ニューデリー →ハイデラバード→プネ→ムンバイ(Feb/15/2025~Mar/4/2025)
Vol.3-1
「インドあるある話(Vol. 3)第一話」(Day−1: Feb/15)ニューデリー(晴れ13~27℃)昨日朝、底冷えする東京を午前10時過ぎのCX便で飛び立ち、満席の約5時間のフライトで香港に到着、乗り継ぎセキュリティチェックでパスポートと顔認証登録を済ませ、レストランで野菜粥とワインで一息。ニューデリーへの乗り継ぎ便に搭乗するのにパスポートも搭乗券も要らず、顔認証だけなので早い。羽田空港では係員が行列に並ぶ乗客一人ひとりのパスポートと搭乗券をチェックして確認のハンコを押していた、人手不足なのにIT化が相当遅れているな。満席であったが、通路側席を確保していたので快適。風邪の症状も随分治まって咳き込むこともなかった。事前に特別食(低脂肪ローカロリー)を注文していたので、食事は薄味で美味くは無いが、周りの乗客より半時間程早く食べられるところが良い。約6時間半のフライトなので映画を2本観て、音楽を聴いてウトウトしながら過ごした。ニューデリーには定刻より15分ほど遅れて到着。荷物をピックアップして、Uberタクシーで空港を午後11時前に出て、無事にホテルにチェックインしたのは午前零時近く。ニューデリーの定宿は友人のインド人が経営する日本人専用サービスアパートで、朝夕和食付き、大浴場あり、1Kで浴室にはバスタブと何と全室にTOTOウォシュレットが完備されているのだ。日本人以外は泊めないという徹底ぶり。いつも何かと改善すべき点を指摘してあげてたり、日本から役に立ちそうな備品を持ち運んだりしているので、感謝されて宿泊代も受け取ってくれない人情派である。こんなだからインド人を好きになってしまうのは自分だけではあるまい。今朝の和朝食も美味しく頂きました。前回指摘したお豆腐が替わっていて美味しくなっていた。(第一話完)

Vol.3-2
「インドあるある話(Vol. 3)第ニ話」(Day−2: Feb/16)ニューデリー(晴れ14~26℃)昨日はインド出張の初仕事を終えて、ホテルの大浴場に浸かってユックリ身体を休める事ができた。体調は回復しているが、全快ではない。今朝はウォシュレットを使用中にイキナリ停電!!(あるある!) だが心配無用、数秒後には通電して事なきを得た。インドでは瞬時の停電は日常茶飯事なので、もう驚くことも無い。今日の仕事はアパレル業界の展示会視察である。タクシーを予約して乗り込んだが、どうもエアコンの効きが悪い。(あるある) 最大のセッティングにしてもらったが全然少し冷やしている程度で暑い。今だからこれでも過ごせるが、来月になると気温が40度近くまで上昇するから、エアコンの効かないタクシーに乗ると地獄である。仕方なく車の窓を開けて風を入れてやり過ごす。午後からモディ首相が同展示会を視察されるそうで、周辺の交通整理による渋滞が心配だ。(第二話完)
Vol.3-3
「インドあるある話(Vol. 3)第三話」(Day−3: Feb/17)ハイデラバード(晴れ20~35℃) ニューデリーからハイデラバードにIndigo便で移動。 定刻より10分早く出発して、到着も定刻より15分も早かった。ここまでは良かったが、何と預けた荷物がターンテーブルに出てくるまで50分も掛かったので、少しも早く着いた気がしない。以前のように表示とは別のターンテーブルに出ているのではないかと、近くにいたIndigo係員に確認したら、表示通りに出るとのことだが、何故時間がかかっているのかの説明はなかった。(あるある) おまけに出口では迎えに来ているはずの大学のドライバーの姿が見えない。(あるある) 電話をかけても通じない。仕方なく手配してくれた大学の教員にメッセージを送ってドライバーの所在地を確認してもらって、ようやく迎えの車に乗り込んだのは着陸して1時間半後であった。やれやれ、これでは大学到着が遅れて、予定通りに講演を始められないことは明らかなのだが、そこはインドなので皆慣れっこになっていることだろう。果たして大学に到着したのは講演開始時刻を少し超えていた。聴講生は少し待たされたようだが、担当教授からの簡単な紹介を受けて早速講義を開始。出席のサインをして抜け出す学生もかなりいて、最後まで聴いてくれた学生の数は半数ほどに減っていた。(あるある) こちらとしては聴きたくない学生には居てもらっても私語したりして邪魔になるだけなので、真剣に聴いてくれる学生だけで良いといつも思う。予定の1時間を使って講義を終えたが、質問はなかった代わりに、記念撮影を求められるのはいつものことである。こっちは有名人でもないのだが、一緒に記念撮影することでパワーを得たいということのようだ。 体調は今一つであったが何とか講演は無事に終えて安堵した。(第三話完)


Vol.3-4
「インドあるある話(Vol. 3)第四話」(Day−4: Feb/18)ハイデラバード(晴れ20~37℃) インドの大学の生活は単調で変化に乏しい。カフェやジムはあるがアルコールはご法度だし、食事はベジタリアンでほぼ毎日同じような質素なものを食べて過ごす。選択肢は無いので出ているものを食べるしかない。普通の日本人なら1ヶ月と持たないだろう。日本の大学のカフェテリアのメニューは豊富で日替わりもあるからインドと比べれば贅沢極まりない。 ゲストハウスとは聞こえが良いが、普通の1ベッドアパート住まい程度の広さで、夜はお湯は出なかった。幸いエアコンが付いていたので快適に寝ることはできた。ハンガーもタオルも頼まないとおいていない。シャンプーも自前である。ドライヤーとかアイロンなどの備品も無いから、無いなりの生活とならざるを得ない。何でも慣れればどうということも無いのだが、日本の便利で快適な生活から比べれば耐え難くなるだろう。昨晩も2度ほど停電も起こっていて、一時はエアコンも復旧しなかった。やれやれ。(第四話完)

Vol.3-5
「インドあるある話(Vol. 3)第五話」(Day−4: Feb/18)ハイデラバード(晴れ20~37℃) 今日は当地の親日家団体を訪問した。何と到着するなりミーティングルームに呼ばれて入ると10人ほどが集まっていて、今から5人のインド人の日本語講習修了式をするので、メインゲストとして修了証授与をして欲しいと頼まれた。これは全く予期していなかったが、この種のことは経験済みなので喜んでその任を務めさせてもらった。ちょうど日本からお土産にと持ち込んだ和紙の柄の「筆ペン」を修了生にプレゼントして場を盛り上げた。 この団体は日本語の教室を設置していて、日本から専門の日本語の教師が常駐しているので、非常にレベルの高い日本語教育を施している。この団体とは今後とも日本の伝統文化を紹介する日印交流イベントなどで協力していくことを約束した。こちらからお願いもしていないのに、空港まで大型車を出してくれたので、1時間余り快適に過ごした。(第五話完)
Vol.3-6
「インドあるある話(Vol. 3)第六話」(Day−5: Feb/19)ニューデリー(晴れ15~28℃) 昨晩、南インドのハイデラバードから北インドのニューデリーに戻ってきた。2時間の飛行距離だが、気温の差をシッカリ感じる。今回は顧問を務める日本企業の展示会出展のお手伝いなのでホテルもその会社の手配であった。同社の出張者5名と同宿となるのだが、事情があって通常のホテルではなく、サービスアパートという、一般の家具付賃貸マンションの6部屋を借り、その1室に滞在することに。ホテルとは勝手が違い不便さもあるが止むを得ない。とは言え深夜でもお湯が出るし、テレビもあり、朝夕食もインド飯だが提供される、WiFiも不安はないから良しとしよう。そういえば昨日はハイデラバードの大学のゲストハウスでのWiFi接続が不安定で、午前のオンライン授業が何度か、中断する場面があった。まだまだインドの通信インフラは場所によってムラがある。 午後から展示会場を下見に行ったが、自社のブースが全く出来上がっておらず、サイネージなどの備品も届いておらず、何も準備ができないという有様であった。やれやれ、これで明日から展示会は本当に始められるのか!? 結局この日は何もすることがないと判断されて、展示会場をあとに近くの著名な史跡を観光することになった! そして御一行様はビールとウイスキーの買い出しに。自分もちゃっかり好きなインド製ラム酒をゲットしてアパートに戻ったのである。夕食はピザとフライドチキンをテイクアウトして、男6人の前夜祭パーティとなった。 インドでは想定外のことが当たり前のように起きるのだが、それもまた楽しからずや。(第六話完)
Vol.3-7
「インドあるある話(Vol. 3)第七話」(Day−6: Feb/20)ニューデリー(晴れ13 ~26℃) 今日から展示会である。朝9時半に会場に来てみると、うん、何となく展示会の雰囲気が出ていて、多くのブースが既に立ち上がっていた。お手伝いしている日本企業のブースにはミーティングデスクやデジタルサイネージが設置されていたが、メインのモニターが届いていない。10時の開場時刻になったが、サイネージは作動確認できたが、メインのモニターはまだ届いていない。やれやれ、いつになったら全てのセットアップが完了することやら。 もう既に3人の見知らぬインド人が来て、ライトの追加は要らないか、モニターあるよ、名刺入れボックス要らないか、などとダメ元で売り込みに来るのだ。(あるある) 何とも逞しい。 それにしても天井まで10mはあると思われるこのだだっ広い会場内の冷房の効きようはどうだ! 肌寒いくらいである。環境に配慮など、関係ない! (第七話完)

Vol.3-8
「インドあるある話(Vol. 3)第八話」(Day−6: Feb/20)ニューデリー(晴れ13~26℃) 今回の展示会はIETF2025 (International Engineering & Technology Fair)というインドで毎年恒例の巨大な展示会で、あらゆる産業界と国内外の著名企業が出展しているもの。今年はJapan Expo(全業種約30社)に加えて、JETRO主導のJapan Pavilion(機械関連20社)の特別展示エリアが設けられていた。本来ならこれら2つは統一して同じエリアに集めて、50社規模で大々的に日本の技術をアピールすべきであったと思う。これには何か裏事情がありそうだ。この辺りもインドあるあると言えよう。 自分がお手伝いしている日本企業のブースの全てのセットアップが完了したのは午後12時を過ぎていた。やれやれ。(第八話完)






Vol.3-9
「インドあるある話(Vol. 3)第九話」(Day−7: Feb/21)ニューデリー(晴れ12 ~25℃) 展示会の2日目。今朝はアパートでオンライン授業(プネ州立大学日本語学科)を滞りなく終えて、展示会場に向かった。途中、薬局に立ち寄って咳止めシロップと喉荒れ用のタブレットを買って服用。 インドの薬局は大抵の薬は処方箋無しで買えるから、症状を言うと適当に出してくれる。しかも何日分必要かこちらが指定できるので、薬を無駄にすることが少ない。取り敢えず試しに1日分だけを買うことにしている。 会場に着くと、ムンバイから視察に来てくれたインド人の知人が待ち受けていた。彼には今後協力者として出展企業のインドビジネスの展開に貢献してくれることを期待している。 この展示会場には当地の和食レストランのケータリングサービスが有り、定食やラーメン、日本風カレーライスなどを販売していた。Japan Expoならではのことで、有り難い。タンタン麺を試したが美味しくて感動した。(第九話完)

Vol.3-10
「インドあるある話(Vol. 3)第十話」(Day−8: Feb/22)ニューデリー(晴れ12 ~25℃) 昨日でインド滞在1週間が経過したが、咳と喉の痛みが治まらないので、熟睡ができていない。今日も別の薬を試してみるか。 昨晩は当地の親日家インド人から、出張者全員にご招待を受け、社交クラブでの夕食(本格的北インド料理)を堪能した。インド各地にある上流階級の会員制クラブで、各種のスポーツ施設(プールも有り)とレストラン、プライベートパーティ会場のある、家族向けの社交場である。この時期なので、最初は屋外のテラスで飲み物と、前菜を楽しみながら会話が弾む。今回のホストは70歳の初老の、いかにも賢いインド人ビジネスマンで、本人はリタイアしていると言っているが、当日はゴアから戻ってきたばかりとのこと。どうやら来月辺りにゴア(南西インドの元ポルトガル領で海辺のリゾート)に息子さんが和食レストランを開くという。ツーリズムビジネスに通じた人とお見受けしたが、話をしていると、沢山の共通の知人(日本人)が登場した。正に日印のネットワークの世界は狭い。おまけにお酒の好み(インド製ラム酒)も同じであった。 満腹になって夕食会を終えると、歩いて行けるからと、そのホストの自宅に招かれ、屋上の和風ローンテラスから、ご自身の書斎まで案内された。これも予期せぬ驚きと感動であった。 (あるある) モチロン、これは初対面のホストとの相性が良かったことの証左である。このホストとは今後も長くお付き合いすることになるであろう。この辺りも自分がインドを好きになる所以である。(第十話完)

Vol.3-11
「インドあるある話(Vol. 3)第十一話」(Day−8: Feb/22)ニューデリー(晴れ12~25℃) 本日はIETF(International Engineering & Technology Fair)展示会の最終日。土曜日とあってゲーム機器展示や日本の歌と踊り、コスプレなどを目当てに来場する若者が多く、ビジネス目的の来場者は少ない。 日本(特に被災地の石川県)から沢山のパフォーマー(演者)が来ていて、止まることなく 公演が続いているが、自分には大音響の雑音に聞こえているのは世代ギャップであろうか。ゲーム関連のブースは常に若者で賑わっている。(第十一話完)

Vol.3-12
「インドあるある話(Vol. 3)第十二話」(Day−9: Feb/23)ニューデリー(晴れ13~26℃) 昨日より1度℃気温が上がっている。 確実に夏に向かっている。この時期は当地では雨も降らないから空気が乾燥している。 一昨日インド人クラブで夕食をご馳走になった知人(Dさん)が、午後展示会場に著名なインド企業の知人を招いて下さって、面談を実施した。今後、具体的な協業の可能性を検討することになった。その後、Dさんのお誘いで当地で一番の和食レストランで食事をすることに。そのレストランは自分も良く知っている日本人の友人(インド歴40年以上の大先輩、81歳)が経営者(Nさん)だ。長年の友人であるDさんがお店に来ると私から聞いて、Nさんはわざわざ顔を出して下さった。自分は後でDさんに叱られた。なぜ不自由な状態のNさんを呼んだのか、と。そのNさんは術後間もない非常に不自由な状況にあることを知らされ、ショックを受けたと同時に、Nさんに伝えたのは拙かったと反省したが時既に遅し。Nさんはいつものように滑舌であった。またNさんにパワーをもらった気分であった。日本で食べるよりも美味しい和食を堪能した。(第十二話完)
Vol.3-13
「インドあるある話(Vol. 3)第十三話」(Day−9: Feb/23)ニューデリー(晴れ13~26℃) インド出張も1週間を超えたので、今日は洗濯をした。ここのアパートの屋上に設置してある洗濯機と乾燥機を使えるので費用もかからず便利である。雨の心配も無いし、空気は乾燥しているから、本来なら乾燥機は必要ないのだが、当地は空気汚染が酷いのと、どこからともなく砂塵が飛んでくるので、外で洗濯物を干すと却って汚してしまうという笑えないリスクがある。とは言え、今日は無風のようなので、皺になりやすいシャツだけ干して自然乾燥にして、残りは乾燥機を使った。 インドの一般家庭でも中流家庭以上には徐々に洗濯機が普及しているが、まだまだ普及率は50%も行かないのではないか。自宅前でタライと洗濯板を使う光景や、川岸や公共の洗濯場で手洗いと叩き洗いする女性の姿を見ることも珍しく無い。乾燥機などは贅沢の極みだ。電気洗濯機も種類が豊富で、日本式のトップローディングの全自動、2曹式の手動のものや、欧米のフロントローディングのドラム式全自動のものが上流階級で普及している。街に出ると、住宅街には洗濯屋とドライクリーニング店が目に付く。いずれも安くて助かるが、時にはシャツのボタンが欠けたり、アイロン焼けして戻ることもあるので、どこのクリーニング店を使うか、先ずは試してみないことには安心できない。今ではほとんど見かけないが、木炭を入れたアイロンを見たときは感動した。(第十三話完)

Vol.3-14
「インドあるある話(Vol. 3)第十四話」(Day−10: Feb/24)ニューデリー(晴れ13~27℃) 昨晩はJapan Expo展示会主催者による打ち上げ夕食会に招待され、隣町のホテルに出掛けた。何とその会場は、自分が13年前にほぼ毎週通った懐かしのカラオケパブであった!! ほぼ当時のままの状態であったので、まるでタイムスリップしたような気分であった。 今回の出展者が持ち込んでいた日本酒も振る舞われ、楽しく美味しい一時を過ごした。また、この会では貴重なご縁を頂いて新しい人脈が得られたことも大きな成果であった。但し失敗が一つ。昨夜知り合った人から頂戴した芸術作品(団扇の上に蓮の葉に描いた富士山の絵が貼ってあった)を酔っていて持ち帰るのを忘れてしまった。その作品は今日会うことになっているインドに住む日本人の画家に観てもらう予定であった。また、反省しきり。(あるある) 今朝は11月に訪問した地元の私立小中一貫校を訪問して、親日家の校長先生と今後の協力について話し合った。午後にはもう2人の知人との面談が予定されている。 体調は9割まで回復しているが、当地の大気汚染が酷いので油断禁物である。(第十四話完)


Vol.3-15
「インドあるある話(Vol. 3)第十五話」(Day−10: Feb/24)ニューデリー(晴れ13~27℃) 今朝ニューデリー北部の地元の私立小中一貫校を訪問した。ここは前回11月にとあるプロジェクトで初めて訪問し、教育者として高名な校長先生が大の親日家であることを知り、次にニューデリーに来る時には再訪を約束していたものだが、今回は中学生に講演をさせてもらった。この学校では幼稚園から小4年生まで、日本語が必須である。(小5からは他の外国語を選択できる) 約7割の生徒が日本語を学び続けるという。数人の生徒が自己紹介を日本語でしてくれた。インドの家庭料理のランチもご馳走になって、今年の秋にはここで日本の文化を紹介するイベントを実施することを約束しておいとました。(第十五話完)



Vol.3-16
「インドあるある話(Vol. 3)第十六話」(Day−10: Feb/24)ニューデリー(晴れ13~27℃) 今晩も今回の展示会の出張者がお世話になっているインド人のDさん(第十二話参照)からお誘いが有り、会員制クラブで中華料理をご馳走になった。スパイスを多用しているが、味付けは申し分のない中華で堪能した。このDさんの面倒見の良さはどうだ! まるで家族の面倒を見るかのように、頼んでもいないことまで気を遣って下さることに申し訳無い気分になるほどだ。食事のあと、クラブ近くのDさんのご邸宅まで歩いてお伴したが、この時期のニューデリーは年中で一番快適と言っていいだろう。半袖では少し寒く感じる程度の気温(15度℃前後か)で快適であった。 今朝の私立学校での講演で、出ない声を張り上げてかなりのエネルギーを使ったので、声を嗄らしてしまった。今夜はラム酒のお湯割りを飲んで早目に床につくことにした。(第十六話完)
Vol.3-17
「インドあるある話(Vol. 3)第十七話」(Day−11: Feb/25)ニューデリー(晴れ15~27℃) 最低気温が上がった。 昨日聞いたある事件について。 初めてインドを訪問していた日本人が、夜遅くに夕食会場からタクシーでホテルに戻る途上、別のホテルに滞在していた同乗者の女性を先に送り届ける為に、手荷物を置いたままタクシーを待たせていたところ、戻ってみると車が居なくなっていて、手荷物も車の中で、その中にはパスポートや財布が入っていたという。その日本人は翌朝の便で次の目的地に飛ぶことになっていて、パスポートが無いと大変なことになる。。意図的に盗まれたのではないか、と憤慨されていた。深夜に助けを求められた、自分と同行している日本人がその車の手配者であったので、すぐにそのドライバーと連絡が取れる旅行代理店の責任者に連絡を取り、翌朝の午前6時には無事に手荷物が持ち主に届けられたことで事なきを得た。。。 実はこの事件は、車はタクシーではなくハイヤー(貸切)であったし、ドライバーは余り英語が出来ないので、その日本人が同乗者と車を下りた時点で、その日の仕事(深夜近くまで残業していた)は終わったものと理解して帰宅していたのである。ドライバーはまさかその日本人が車に戻ってくるとは思っていなかったろうし、手荷物を置いたままであったことも気付いていなかったと思われる。その日本人にしてみれば、車が居なくなっていることで、手荷物を失い、パスポートが手元に無いことでパニック状態になっていたろうし、「盗まれた!」と思っても無理のない状況であったろう。しかし冷静に判断すれば、過去数日間、貸切で利用していたハイヤーなので、ドライバーは特定できるし、盗みをすれば仕事を失うことになるから、そんなことをするはずが無いことは明らかだが、被害に遭った(と感じた)日本人はハイヤーであったことは知らずに同乗していて、初めての国であんなことが起これば、犯罪かと疑ってしまうことも理解できる。その日本人には「インド人は信用できない」というレッテルが貼られたであろう。いつかそのレッテルを剥がす日が来ることを待つばかりだ。 何とも不運な、虚しい出来事であった。(第十七話完)
Vol.3-18
「インドあるある話(Vol. 3)第十八話」(Day−11: Feb/25)ニューデリー(晴れ15~27℃) 今朝も滞在中のサービスアパートでいつもより遅い朝食を摂った。ダイニングルームには3人のインド人宿泊者が座っていた。2人は会話をしながら食べていたが、突然スマホで外の人とスピーカーホンにして会話を始めた。ボリュームを抑えてくれれば良いのだが、まるで自分の職場か自宅で話をしているかの様子で、同じテーブルに座って食事をしているこちらのことは全くお構い無しだ。(あるある) これはいつものことなので慣れっこなのだが、余りにも喧しい時には注意を促すことにしている。すると相手は気が付いて、Sorry!と言って声を落としてくれる。 インドでは携帯で何処でも話をするし、大声を出すことも普通にある。タクシーのドライバーが運転中に携帯(ハンズフリー)で長々と家族と話をしていたり、車のクラクションが止むことは無いし、ボヤッとしていると並んで待っている列で追い抜かれる事も多い。事ほど左様にインドでは「他人に迷惑をかけている」という意識が薄いようだ。それも「お互い様」だから暗黙の了解で許し合っているように見える。 もしかしたら、日本の社会が「自分を犠牲にしても他人に迷惑をかけない」という社会通念で縛られていて、世界から見れば異常に映るのかも知れない。(第十八話完)
Vol.3-19
「インドあるある話(Vol. 3)第十九話」(Day−11: Feb/25)ニューデリー(晴れ15~27℃) 今日は日印のビジネス促進の為のThe Rising Sun Conclave 2.0に参加している。このコンファレンスは20年以上日本に住んで日印の交流に尽力しているインド人の友人が主宰しているもので、今回がその第二回の開催となった。日印双方から政財界の要人が参加しているが、何よりも嬉しかったのは、元駐日本インド大使のワドワ女史と初めて直接会えたことと、前ヴァルマ大使と再会できたことだ。ヴァルマ大使には2年以上前に自分のインドビザのことで相談したことが有り、大使ご自身が面倒を見て下さった経緯があって、自分のことを覚えていて下さったのは感激であった。ワドワ大使からは、日印文化理解の活動への協力の要請を受けたことも非常に光栄であった。これからニューデリーに来る理由が増えたし、益々忙しくなりそうだ。(第十九話完)

Vol.3-20
「インドあるある話(Vol. 3)第二十話」(Day−11: Feb/25)ニューデリー(晴れ15~27℃) 今日は日印のビジネス促進の為のThe Rising Sun Conclave 2.0に参加している。2人の元駐日インド大使との交流が再開できたことは最大の収穫であった。(第十九話参照) 同コンファレンスは最初から予定より遅れて始まった。(あるある) 途中で45分ほどの遅れになり、自分の出番は予定では午後6時過ぎだったので、どうなることかと不安がよぎったが、実際には一つ予定されていたセッションが登壇者の都合でキャンセルされて遅れを取り戻し、自分が登壇するパネルディスカッションはほぼ当初の予定通りに始まった。パネリストの1人がプレゼンテーションに15分以上を費やした為に、自分の発言の時間が限られてしまい、不完全燃焼で終えたのがガッカリであった。最後に夕食懇親会があったが、お酒は出ていないし、食事はベジタリアンのみである。(あるある)さっさと食べてお先に失礼し、宿泊先のアパートに戻ってビールで「お疲れ様でした!」(第二十話完)

Vol.3-21
「インドあるある話(Vol. 3)第二十一話」(Day−12: Feb/26)ニューデリー(晴れ17~29℃) 気温が上がった。 今日はヒンドゥー教のシバ神の祝日である。午前中にElecramaという電気機器関連の大規模な展示会に出展している台湾の会社のブースを訪問して、顔合わせと該社の概要の説明を受け、その後空港に向かった。空港の入口ではエアチケットのQRコードが必要なのだが、何故か今回のオンライン予約ではそれがメールで届いていなかったので、空港ビルの端にあるエアラインの事務所に立ち寄り、そこでQRコードを受け取って入場した。入口のディスプレイにはそのQRコードから読み取られた一人ひとりの情報が表示される仕組みだ。これは過去見たことのない新しい仕組みである。タクシーもUberやOlaのアプリで予約し、支払いもQRコードを読み取ってキャッシュレスが当たり前だ。ことデジタル化に関しては、インドの方が確実に日本よりも進んでいる。ニューデリーから西インドのプネに飛ぶ。(第二十一話完)

Vol.3-22
「インドあるある話(Vol. 3)第二十二話」(Day−13: Feb/27)プネ(晴れ14~36℃) 西インドに来て最高気温が一気に上がった。何と日中の温度差は22度℃もある。 昨夜は、ホテル近くの東アジア料理レストランで、なんちゃって寿司とラーメンを試したが、まずまずであった。ニューデリー近郊には多くの本格的和食レストランがあるが、ここ西インドのプネではその数は限られるし、日本人シェフはどこにもいないので質も落ちるのは仕方がない。価格も高いので贅沢な食事になるが、それでも寿司や刺身が食べられるのは大変有り難いことだ。 今朝のホテルの朝食は南インド料理主体のビュッフェであった。米粉で作ったパンのイドリは南インド料理の定番で、米を平たくして乾燥させたポーハは西インドの朝食の家庭料理だ。インド版味噌汁と自分が呼ぶ野菜スープのサンバーはインドなら何処でも朝食に欠かすことはない。日本人の舌には「カレー味」が多いのは確かだが、恐らくインド人の舌では、日本食はどれも「出汁と醤油味」であろう。 自分は世界のどこに行っても、現地の食文化に対応できて、どんな料理も楽しめるのが自慢だが、日本に長く住むインド人の多くが、寿司やラーメンを美味しいと好んでいる事も事実である。それは結局のところ、人間の5感というものは、好き嫌いの程度の差はあれ、人種や文化的背景にはそれほど関係なく、どこの人でも同じ5感を持っているのだと悟ったということである。(第二十二話完)


Vol.3-23①
「インドあるある話(Vol. 3)第二十三話」(Day−13: Feb/27)プネ(晴れ14~36℃) 今日は当地プネでの初仕事(非常勤顧問を務める日本企業の市場調査のお手伝い)を終えて、当地の私立大学でインドの伝統医学であるアーユルヴェーダの講師をしている知人の女性夫婦と面談した。既に1年以上前から交信はしていたのだが面と向かって話をするのは今日が初めてであった。日本で研究することを希望していて、昨年は自分がお付き合いのある順天堂大学の関係者と繋いだが、研究者として日本に招聘されるところまでは至らなかった。引き続き今後も協力することを約束した。 その後、当地の古い知人と再会して、7階建てビルの屋上のテラスのビアホールで夕食をご馳走になった。夜は気温も下がって屋外でも快適だ。これまで見たことのない大きな器の形に焼かれたマサラ・パパドは見応えあり、ビールにも最適で食べ応えも十分であった。海老のガーリックソースバーベキューも美味しくてビールが進んだ。メインはタイ風グリーンカレーとライスで仕上げた。またまた食べ過ぎの感が。(あるある) 明日のプネ大学院での「ビジネス日本語」の講義の準備を完了して早目に床についた。(第二十三話完)

Vol.3-24
「インドあるある話(Vol. 3)第二十三話」(Day−14: Feb/28)プネ(晴れ14~36℃) 今朝は早朝8時から10時まで、州立プネ大学日本語科大学院の修士課程の「ビジネス日本語」(週1回2時間)の講義で、1月からオンラインで実施していたが、今日はその第9講で初めての対面授業であった。やはり、受講生の反応を見ながらの授業には力の入りようが全く違う。まだ声の出具合が完全には回復していなかったが、何とか声を出してやり遂げた。受講生の反応もすこぶる良く、「先生の講義はいつも面白くて分かり易い」と言ってもらえたことは非常に励みになった。残念だが、次回以降はオンライン授業に戻ることになる。(第二十三話完)

Vol.3-25
「インドあるある話(Vol. 3)第二十五話」(Day−14: Feb/28)プネ(晴れ14~36℃) 前回の「あるある話」は二十三話ではなく二十四話でした。訂正します。 さて、今日はプネ大学での講義の後、当地の日印ビジネス交流グループのIJBC(Indo Japan Business Council)の集まりに参加し、その後JETROムンバイ事務所主催のセミナーと懇親会に参加した。そこには以前に日本で一度相談を受けた人で、既に当地に1年半駐在されている日本企業の代表者も参加されていた。懇親会では水牛のステーキが食べられるステーキハウスで美味しい料理と、インド談義に花が咲いた。自分はここプネが広大なインドの中でも、日本人にとっては最適な駐在地であることを、自らの体験に基づく結論であることを主張した。 明日1日は今回の出張の最終目的地ムンバイに陸路移動する。(第二十五話完)
Vol.3-26
「インドあるある話(Vol. 3)第二十六話」(Day−15: Mar/1)プネ(晴れ16~36℃) 最高気温は当地では既に35℃を超えていたが、今朝は最低気温が15℃を超えた!! これから夏に向かっていく。 当地プネには、自分が10年間住んでいた頃には影も形も無かったメトロが、2年前ほど前に開通していて街の景色が一変しているのが、面白いことには、実はまだ全線開通していなくて、途中で高架線路が途切れていたり、最終目的地の終点まで線路が届いていないにも拘らず、乗客を乗せて電車を走らせていることである。これは日本では一旦計画されたら、その区間の工事が完了するまで営業開始することなど、まずあり得ないことだ。 これに関連して思い出すことは、当地の私立大学で外部講師を務めていた時代に、キャンパス内に新設された6階建てビルの4階まで工事が終わった時点で、その棟の教室を使い始めたことに驚いた。当然エレベーターもまだ設置されていないし、5階から屋上まではコンクリートの外壁だけで、吹きさらしであった。そのビルが完成するまでに更に半年程を要したと記憶している。 事ほど左様に、インドでは未完成のモノでも使えるところは使い始めるという考え方(これを「ジュガール」と呼ぶ)があるようだ。 メトロにしても、数年前にモディ首相が開通式を行ったのは、わずか数キロの路線を走らせただけであった。果たしてメトロが全線開通するのはいつのことなのか、次回の当地出張時には一度試乗してみたいものだ。(第二十六話完)

Vol.3-27
「インドあるある話(Vol. 3)第二十七話」(Day−15: Mar/1)プネ(晴れ16~36℃) 今朝もインドの朝食を堪能した。ビュッフェには定番のメニューが並んでいるが、注文すればオムレツなどの各種の卵料理と、南インド料理のドーサ(米粉で作ったクレープのような薄いもの)などを作ってくれる。焼き立てのドーサにココナッツチャツネを付けるのが自分には最高の朝食である。今朝のビュッフェで見つけたSesami Carrot(真っ赤な甘い人参に白胡麻)が新しい感動であった。全く人参独特の臭みが無く、これなら人参嫌いの子供はいなくなるに違いない。実際インドの人参は甘いので、スイーツの定番にもなっている。 大皿に各種料理を盛ると色彩も賑やかだが、食べている人達も賑やかである。左隣のテーブルの2人は会話が途切れることがないし、右隣のテーブルでは1人の男性がスマホでビデオ通話をしていて、奥さんと覚しき相手の声までこちらにも響いてくる。日本ではホテルの朝食はしいーんとしていることが多いし、午前9時30分頃までには朝食サービスが終わるのが通例だが、ここでは10時30分までサービスしている。 異国の地を気に入るかどうかの最重要ポイントは「人」であることは議論を待たないと思うが、2番目は「食」であろう。そして3番目は「気候」かな。現地で友人ができ、毎日食べても飽きない食事があり、居心地が良ければ、その地をきっと好きになることだろう。 10年住んだ当地プネは自分の第二の故郷になって久しい。(第二十七話完)
Vol.3-28
「インドあるある話(Vol. 3)第二十八話」(Day−15: Mar/1)ムンバイ(晴れ23~36℃) 低地のムンバイに来たら、最低気温が20℃を超えた! 今日は昼前にプネを車で出発し、陸路ムンバイに移動した。プネ郊外から高速道路が整備されているので快適だ。途中からプネ(標高約700m)のあるデカン高原を下って行くに従い、気温も上がる。平地に下りた所にサービスエリアがあって食事ができる。それも2カ所あって、上層階級が利用するフードコートと下層階級が利用するカフェテリアに別れている。今日はカフェテリアを利用して、Wada Pav(ワラパオ)という、パンに揚げたジャガイモを挟んだものと、Dahi Wada(ダヒワダ)というスパイスの効いたヨーグルトに米粉で作った揚げパンを浸けたもの、それとコーヒーを注文。どちらも駐在時代には良く食べていた懐かしの当地の代表的スナックである。 ムンバイ市へ繋ぐ新しい長距離のコーズウェイブリッジができていて、初めて車で通ったが快適で近道にもなっていた。 ホテルにチェックインしたが、部屋の窓に附いているロールアップカーテンが閉まらず、南向きの窓で眩しい日光が部屋に差し込んでいるので、修理を頼んだら、15分程で来て直してくれた。 その後、当地に住むインド人コンサルタントとホテルで初めて会って、今後の連携と協力を約束した。(第二十八話完)

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「インドあるある話(Vol. 3)第二十九話」(Day−16: Mar/2)ムンバイ(晴れ21~36℃) インドでタクシーに乗ると、必ずと言って良いほど、車のダッシュボードの上にヒンドゥー教の神様の像を見かける。どの神様かは多神教であるヒンドゥー教が8割を占めるインドでは、都市によって異なるが最もポピュラーなのは、やはり象の頭をしたガネーシャであろう。なぜ象なのかは諸説あるのでここでは述べないが、ともかくこの神様がインド人に広く信奉されていることは間違いない。この写真のドライバーはガネーシャ神ともう一体別の黒い顔をしてマラータ族(当地域を支配した王族)の伝統的ターバンを巻いた風情の神様が居るが、名前は忘れたが、ドライバーの親元の田舎地方で祀られている神様らしい。そしてもう一人、上からぶら下がっているのはシバ神(ガネーシャの父親)である。 ガネーシャ神と言えば、日本でも歓喜天(かんぎてん)または通称「聖天さん」という神名で信奉されていて、実に全国で200ヶ所以上の「聖天さん」が存在することを約10年ほど前に知った時は、余りの感動にうち震えたものだ。日本の「3大聖天」というのがあって、生駒聖天(奈良)、待乳山聖天(東京)と妻沼聖天山(埼玉)はお参りしたが、秘仏とされているため、ガネーシャ神を直接拝むことはできない。その代わりに十一面観音様を拝することになっているのも面白い。ガネーシャ神の本拠地はプネであることも興味深いご縁である。 毎年9月には約10日間に亙り「ガネーシャ祭」が当地ムンバイとプネ周辺で大々的に催される。見るも正に圧巻であるが、人混みと交通渋滞がとんでもなくて、見物には勇気が必要だ。(第二十九話完)

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「インドあるある話(Vol. 3)第三十話」(Day−16: Mar/2)ムンバイ(晴れ21~36℃) 前回の補足になるが、日本で仏教(密教)の神々として祀られている、以下は全てインド起源のヒンドゥー教の神々であることを日本ではほとんど知られていない。しかし同じ神様を祀り拝んでいるとなると、これほど強い信頼の絆は他にないであろう。これが自分が主張している持論の「日本の将来(を頼れるの)はインドしかない!」という理由の最強のものだ。 * ①日本名:大黒天、(7福神) インドの元の神名:マハーカーラ ②日本名:弁財天(弁天さま、7福神) インドの元の神名:サラスヴァティー ③日本名:歓喜天/聖天/大聖天/大聖歓 喜天/天尊/歓喜自在天/毘那夜迦天 インドの元の神名:ガネーシャ ④日本名:日天/大日天王 インドの元の神名:スーリヤ ⑤日本名:梵天 インドの元の神名:ブラフマー ⑥日本名:吉祥天 インドの元の神名:ラクシュミー ⑦日本名:帝釈天 インドの元の神名:インドラ ⑧日本名:毘沙門天 (7福神) インドの元の神名:クベーラ 日本で広く知られている「7福神」の中に、3柱ものインド起源の神様がいたことを知る日本人は稀だろう。実のところ、恵比寿天だけが日本独自の神様なのである。残りの3柱は中国起源だ。(第三十話完)
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「インドあるある話(Vol. 3)第三十一話」(Day−16: Mar/2)ムンバイ(晴れ21~36℃) 今朝はムンバイ空港国内線ターミナルに近いホテルをチェックアウトして、海岸沿いのリゾートホテルに移動する。とは言っても休暇ではなく、日本から今夕到着される企業幹部の便宜を図っての宿泊地の選択をしたもので、空港からも近い5つ星ホテルに幹部が宿泊され、その隣の3つ星ホテルに移動するわけだ。 ここ空港傍のホテルの窓から見た景色は、特に変哲もない都会の風景で、インドをイメージできるものはオート三輪のタクシーぐらいか。すぐ下にはスポーツクラブがあり、テニスコートや奥にはプールも見える。くすんだ空には離陸した航空機が飛んでいく。ここの空気もかなり汚染されているようだ。(第三十一話完)

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「インドあるある話(Vol. 3)第三十二話」(Day−16: Mar/2)ムンバイ(晴れ21~36℃) ムンバイ空港に近く、海岸沿いのリゾートホテルにチェックインし、荷物をフロントに預けてランチに出掛けた。Food Squareという食品のマーケットに来たら、一階がスーパーで、地下にフードコートがあった。ムンバイのストリートフードから、イタリアン、アジアエスニック、そして寿司まである。独立店舗でGood Seoulという韓国風フライドチキンの店もあるし、チーズ専門店、肉や鮮魚を売る店もある。何と言っても冷房がしっかり効いているので居心地が良い。しかもWiFiも無料で使える。コーヒーも各種揃っているので、ここでユックリ過ごすこともできそうだ。客層もインド人の上層階級と外国人居住者が多い印象を受けた。次回は韓国フードを試してみよう。(第三十二話完)

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「インドあるある話(Vol. 3)第三十三話」(Day−16: Mar/2)ムンバイ(晴れ21~36℃) 今回お手伝いをしている日本企業の幹部役員をムンバイ空港出迎えて、海岸沿いのリゾートJuhu(ジュフ)にある5つ星ホテルにお泊まり頂いた。 面白いことに、全く予期せぬ偶然なのだが、東京発の同じANA便で出張して来られる日本人出張者を、出口で待ち構えている数人の日本人の中に、なんと自分が非常勤アドバイザーを務める名古屋のコンサルタント会社Indobox社の経営幹部の女性を見かけたので声を掛けた。その人も大層驚き、数ヶ月振りの偶然の再会を喜び合った。実は今回のインド出張の道中にも、共通の知人が要ることで感激した場面が数度有ったのだが、まさか南インドのコインバトールに住んでいる彼女と、ここ西インドのムンバイ空港で会うとは、本当に世の中狭いものだ。というか、まだまだ日印のネットワークは小さいと言うべきか。 先に出て来られた役員を出迎え、ホテルにチェックイン後、メインのダイニングホールで夕食をとった。先ずはインドビールで喉を潤し、次に自分がお奨めするインド産ラム酒Old Monkを注文しようとメニューを見たら、そのブランドは載っていない!やはり有名とはいえ、庶民の味方の安いお酒は5つ星ホテルには似合わないと言うことか。文句を言っても仕方がないので、別のブランドを注文。夕食の後、ホテルに近いリカーショップで、Old Monkのハーフボトルをゲットした。(インドにはクオーターボトルもあるのだ!) これを明日の夜、役員にお試し戴くことにしよう。(第三十三話完)

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「インドあるある話(Vol. 3)第三十四話」(Day−17: Mar/3)ムンバイ(晴れ21~36℃) 日本から出張して来られた役員を、まず在ムンバイ総領事館にご案内して八木総領事と面会した。今回のアポ取得は1週間前を切っていたのだが、面識が有ったお蔭で総領事が時間を取って下さった。総領事はムンバイ市と横浜市が今年60周年を迎えるが、何も双方から動きが無いことを大変気にしておられた。帰国したらこの件の展開についてご相談することを約した。今日はひな祭りの桃の節句で、総領事館でもお雛様に迎えられた。 その後、取引先の日本人駐在員との面談と著名なインドレストランでの昼食会を終えて、次にインドの取引先を訪問して今後の連携と協力を確認、夕食会はムンバイ空港近くのインド風高級ホテルのレストランに招待され、最高レベルのインド料理に舌鼓を打った。 その会社とは13年の取引経験があるそうで、インド人経営者は日本企業とのお付き合い(飲みニケーション)を熟知されていて、役員も自分も今回初めて会ったが、すぐに打ち解けて和やかで楽しい食事会となった。 先方はジャイナ教徒で厳格なベジタリアン(根菜も一切食べない)なのだが、こちらにはチキン、マトン、大海老などの料理を注文して下さった。自分達は食べないが、相手の好みに合わせて注文するという、インド流のおもてなしである。同席された後継者の息子さん(28歳)ともども、何度も賑やかに「乾杯!」でビールの一気飲みをお互いに交わして盛り上がり、周りのインド人客を驚かせる場面もあったが、役員も大変満足されたようだ。次回はその経営者と息子さん夫婦が住むご自宅に招かれることになった。インドでは自宅に招かれることは信頼と友情の証である。(第三十四話完)


Vol.3-35
「インドあるある話(Vol. 3)第三十五話」(Day−18: Mar/4)ムンバイ(晴れ20~36℃) いよいよ今日がインド出張の最終日である。今朝はムンバイの隣町にあるミニ工業団地に小さな工場の経営者を訪問。そこに向かう途中には、新興住宅地に林立している建設中の高層マンションやメトロの新線工事など、開発が進むインドの一端を目の当りにした。その工業団地に直結する工事中の幹線道路はムンバイとニューデリーを結ぶ陸路の大動脈となる予定で、全線が高速道路になれば、現在は18~20時間かかる陸路が8時間に短縮されるそうだ。広いインドの中でも既に最大の人口規模を誇るムンバイは、近隣都市を擁して大都市圏として益々巨大化するであろうことは疑う余地がない。 今回もムンバイ市内を南北に繋ぐ高速道路が延長されていたのを初めて見たが、半年後にここを再訪すれば恐らく景色が一変していることだろう。(第三十五話完)


Vol.3-36
「インドあるある話(Vol. 3)第三十六話」(Day−18: Mar/4)ムンバイ(晴れ20~36℃) 工業団地を訪問した後、空港近くのホテルで、インドで積極的に事業を展開されている日本の商社のインド駐在員とのランチミーティング。駐在暦4年目の現地責任者によるブリーフィングはさすがに非常に内容の濃い、示唆に富むお話であった。外国で現地事情に精通するまでに最低3年はかかるもので、それ以降が本当に活躍できるのだが、インドのような生活のハードシップの高い特殊地域では、駐在期間が3年ということもあり、これからという時期に任期満了して帰国するのは如何にも勿体ないし、ノウハウの蓄積ができないことになる。 全ての仕事を終えて、役員と出張者を空港に見送り、自分は空港近くのショッピングモールで最後の買い物をした。UNIQLOとダイソーが店を出していたが、日本へのお土産には、いつものようにインド製コーヒー豆とカシューナッツを買い込んだ。日本はまた寒くなっていると聞くので、ジャンパーを買って荷物に入れた。預けるスーツケースの重量オーバーの不安が過ぎったが、空港内にある重量計で測ってみると、ちょうど20kgでホッとした。手荷物は10kgなので問題はない。オンラインチェックインも完了し、後は荷物預ける時間まで、空港内のバーで「お疲れ様でした」(乾杯) (第三十六話完、Vol.3完)


Vol.3 End