ベンガルール→プネ→チェンナイ→ハイデラバード→ニューデリー(Nov/13/2024~Dec/3/2024)

Vol.2-1

ンドあるある話(11月)第一話」(Day−1: Nov/13)日本→香港→ベンガルール(23~13℃) 今回は現地到着が深夜0時を過ぎるため、予めタクシーを予約しておいた。1時間足らずでベンガルールの古い市街にある三つ星ホテルに到着。正面ゲートは施錠されていた(あるある)が、ガラス戸をノックすると、レセプションホールで寝ていたフロント係りが起きてきてゲートを開けて、チェックイン。部屋に入って電源を入れたら、いきなりテレビが大音量で鳴りだした。深夜なので周りに迷惑になるため、すぐに音声をミュートに。この大音量は部屋に入る度に響き渡る(あるある)、何とかなら(鳴ら)ないものか。部屋を出るときに、ルームキー差し込み口にダミーのカードを入れておくことにした。さて長旅の疲れを癒やそうとシャワールーム(バスタブは無い)に入ったが、一向にお湯が出ない。思い出したが、これはインドではよくあることで、深夜にお湯が出ないのは三つ星クラスのホテルでは当たり前だ。年中暑いインドではお湯は無くともシャワーできるのだが、この時期のベンガルールでは水は冷たい。仕方なく顔と足だけ洗った。

Vol.2-2

ンドあるある話(11月)第二話」(Day−2: Nov/14)ベンガルール(20~27℃) 今朝はお湯が出たのでインド式にバケツにお湯を溜めて手桶で身体に湯を掛けて入浴。そしてトイレにはウォシュレットの代わりに必ず備わっているのが洗浄用の水道ホースである。これが有るのでインド人はトイレットペーパーを使わないのが当たり前。二つ星ホテルならペーパーはまず無い。これは何よりもSDGsに適っていると言える。日本のウォシュレットなど、贅沢極まりない! 幸い今回のホテルにはペーパーは置いてあった。

Vol.2-3

ンドあるある話(11月)第三話」(Day−3: Nov/15)ベンガルール(20~27℃) 昨日は当地のRamaiah大学を初めて訪問した。数年前のコロナ禍の時にこの大学に設置されたJapan Centreのチーフ・アドバイザーに招致されていたのだが、実際に訪問したことが無かった。副学長クラスの同センターの責任者と話が弾んだ勢いで、翌日に同学の学生に講演をすることに!(あるある) その後、午後には日印ビジネスサミットにパネリストとして登壇したが、非常に良い反応があったようだ。ただ、記念の名前入りの盾を受け取ったが、良く見るとTomia Isoghaiとなっている!(あるある) インド言語では発音からIsoghaiは分からなくは無いが、Tomiaは女性形になっている!(単純まちがい) そして本日、日本語を学ぶ意志のある、または日本と日本語に興味のある学生約100名を対象にRamaiah大学で講演をした。前日に決まったイベントながら、しっかりポスターを作成してくれた。このインドの臨機応変さには日本はついて行けないだろう! この種のイベントでは歓迎の印として花束やバラ一輪をもらうことが多い(あるある)が、いつもその始末に困る。大抵はその場にいる女性に持って帰ってもらうことが多い。そもそも男が花をプレゼントされることに慣れていないので、心地よいとは言えない。

Vol.2-4

ンドあるある話(11月)第四話」(Day−3: Nov/15)ベンガルール(20~27℃) この日のRamaiah大学での臨時特別講演に、チェンナイから出張して来ていた知人を誘って2人で大学へ。その後ホテルに戻ってから、インドの携帯用のプリペイドSIMを買うのに付き合ってもらった。何せ下町の安ホテルに滞在しているので、周辺の繁華街では英語が通じにくいから通訳ガイド役を務めてもらったのである。無事にインド番号のSIMをゲット。これでWiFi環境が無くとも交信ができる。と、思っていたのだが、これもなかなか上手くいかないことが判明する。 この日は当地の老舗和食レストラン「播磨」の20周年記念パーティーに招待されていたが、思い立って薔薇のブーケを買っていこうと、また例の知人に付き合ってもらったが、何処にでも在りそうな花屋がいざとなるとなかなか見つからず、午後7時半から始まっていたパーティー会場に着いたのは午後8時半を超えていた。ここまで付き合ってくれた知人は招待客ではなかったが、ここで彼をホテルに返すことに罪悪感を覚えたので、パーティー会場に同伴することにした。幸い、主催者でオーナーの友人に事情を説明して、自分の席の隣に同伴した知人の席を設けて頂けた。(あるある) 実はインドでは、招待されていない人(妻や娘など)をパーティーに同伴して来ることは結構あることなのだが、自分がすっかりインド人化していることに呆れてしまった!

Vol.2-5

ンドあるある話(11月)第五話」(Day−4: Nov/16)ベンガルール→プネ(20~27℃) 今朝のフライトは早朝7時発便だったので、ホテルに空港まで送りのタクシーを予約していたが、約束の時間になっても来ない!(あるある) かの知人が流しのタクシーを掴まえてくれて間に合った。 プネの空港でプリペイドタクシーに乗ろうかと行き先を告げて値段を聞いたら、なんと700ルピー(約1,350円)と言う。それは高過ぎるのでUber/Olaの乗り場に移動して約400ルピーで乗れた。ホテルは12時にチェックインできたので、本日のメインイベントである日印文化交流祭Konnichiwa Puneの開会式(3時)に間に合うよう、着替えて出掛けた。同イベントは2018年の第1回目から参加していた、毎年恒例のイベントだが、自分が帰国中の過去2年連続して参加できなかったので、3年振りの参加に感慨深いものがある。 今回は新しくできた市のイベント会場を使ったようで、屋外に設置されたオープンシアターであったが、なかなかのイベント会場であった。同会場はなんと、日本の岡山県が協力して作られたプネ岡山友好公園の敷地内に増設されていた。同公園は10年以上も前に後楽園を模した日本庭園となっていて、地元市民の憩いの場所となっている。岡山県とプネ市は姉妹都市なのである。

Vol.2-6

ンドあるある話(11月)第六話」(Day−5: Nov/17)プネ(20~27℃) 昨日は恒例の日印文化交流イベントKonnichiwa Puneの開会式のあと、メインステージで茶道のお点前と風呂敷のデモをしてくださった日本文化伝道師のアシスタントを務めた。どちらも非常に好評であった。 昨日後半から本日は、ステージから離れたブースで「Experience Kimono」という触れ込みで、浴衣の着付けサービス(有料)のコーナーで、男子の着付けを手伝っていたが、結構な数のインド人が浴衣を着て喜んで写真撮影をして楽しむ人気のコーナーである。あるサリー着た老婆が浴衣を着たいと言って申し込みをしたが、浴衣の着付けにはサリーは脱いでもらいますよと伝えると、「何てことを!!」と激怒したそうだ。男性の浴衣の着付けも本来はズボンは脱いで着せるべきだが、今回はズボンの上からまとってもらうこととした。

Vol.2-7

ンドあるある話(11月)第七話」(Day−6: Nov/18)プネ(20~27℃) プネでの大きなイベントも無事終了して、この日午前は当地で教鞭を執ったことのある私立大学のMBA向けの講演(それも2日前に実施が決定した)、そしてもう一つの日本語学科のある私立大学の総長との面談(これも友人を通して2日前にアポ確定)、そしてインド人の旧友との夕食面談を予定していたが、最初の大学で予定外の昼食まで招待されたので、次のアポを遅らせることに。(あるある)、加えて旧友が急用でドタキャンとなった。明日は会えるという。ある程度親しくなるとドタキャンはあるあるとなる。 ちょうど、日本から持ってきたスーツケースの車輪の一つが壊れ外れて使い物にならなくなったので新しいのを買いに行くことにした。 流石にインドで、同じ大きさのスーツケースが日本で安く買った値段の約半値で買えた!! もちろん品質は同じとは言えないが。いつものように値段を交渉して一番のディールで決めるのであるが、交渉は面倒だが面白い。「それなら他で見るよ」と言うと必ず値下げしてくるからだ。これを数店舗でやれば、必ず良い買い物ができるというワケであるある。

Vol.2-8

ンドあるある話(11月)第八話」(Day−7: Nov/19)プネ(20~27℃) この日の朝はオンラインで日本からのコンサル業務をこなし、日本から出張されていた九州の著名大学の副学長とホテルで面談をした。もっと多くのインド人学生に留学生(特に学部生)として誘致するための方策について提案させて頂いた。その後、当地の「池坊いけばな支部」のメンバーとの昼食会があり、後は昨日ドタキャンされた旧友との夕食面談であったが、少し疲れ気味で風邪の前兆があり体調が良くなかったし、この日の夜遅い便で移動予定だったので、無理をしないように今度はこっちからドタキャンして、ホテルで休息を取ることにした。 同日夜、11時20分発のチェンナイ行きは30分遅れで出発した。

Vol.2-9

ンドあるある話(11月)第九話」(Day−8: Nov/20)チェンナイ(24~29℃ 深夜の午前2時前にインド南東部のタミル・ナドゥ州の州都チェンナイ空港に到着。友人が手配してくれていたドライバーの情報が事前に届いていなかったので、もしやと思ったら案の定、出口に出迎えてくれるドライバーが見当たらない!15分ほど待っても現れないので、タクシー乗り場へ行き、手配してくれていたというタクシー会社の係員に予約番号を告げて確認してもらった。5分ほどでドライバーが来るというので、これ以上問い詰めることは止めて待っていたら程なくしてタクシーに乗り込んだ。ホテルに着いたらもう午前3時を回っていた。今回のホテルはバスタブがあり、トイレットペーパーもあった。早速旅の疲れを癒やそうとバスタブにお湯を溜めたが、半分程度溜まったところから水になった!(あるある) それでも足を休ませることができて助かった。ただ、風邪気味で調子が良くないので早く休むことに。 翌日から3日間は神奈川県のインド視察団20名様の現地での案内役を務めるので、風邪など引いている余裕は無く、気を引き締めなければ。 流石に翌朝は寝不足で辛かったが、朝食を抜いてご一行様の宿泊ホテルの集合間に合うことができた。

Vol.2-10

ンドあるある話(11月)第十話」(Day−8: Nov/20)チェンナイ(24~29℃) 本日は神奈川県のインド視察団20名を3日間お世話する初日である。なんと、前日渡航の途上、参加者の一人に危篤情報が届き、経由地のシンガポールから急遽とんぼ返り帰国されたとのこと。視察団は総勢19名となった。 初日は先ずJETROでのブリーフィング、その後政府機関を訪問したが、そこの面談時間は先方に急用が生じ当初予定より半時間短縮された。(あるある) ランチは南インド料理で有名な豪華なレストランで、料理もさることながら、室内装飾(伝統絵画や神々の木彫り彫刻)が素晴らしかった。 午後は当地の日本語学校2カ所を訪問し、インド人材の活用の可能性について訪問団の理解を深めて頂いた。 最後に日本国総領事公邸に出向き、総領事からのブリーフィングのあと、当地の日本商工会の幹部の方々との夕食懇親会で楽しく美味しいひと時を過ごしたが、いささかハイボールを飲み過ぎた!! 総領事のシェフは訓練されたインド人で、味付けは日本人向けになっている。また、公邸内にしつらえた生け花も見事であったが、それもインド人によるものとのこと。なるほど若干派手さが際立っていた。(あるある)体調も難なく無事に初日を終えた。

Vol.2-11

ンドあるある話(11月)第十一話」(Day−9: Nov/21)チェンナイ(24~29℃) 視察団の2日目の今日は、先ずチェンナイ市郊外の工業団地を訪問した。日系合弁企業(大株主はインドの会社)が運営している工業団地で、大手日本企業も進出して工場が稼働している。その中の中規模の日系合弁(韓国との)会社の工場を見学した。中国やタイでの工場進出を経験された日本人社長のお話は大変有益であった。 ランチはインド風中華料理のビュッフェで、種類も多く味も濃すぎず辛くなく、視察団の皆さんも満足されていた。 午後は日本語教育に熱心な私立大学を訪問した。そこでは盛大なる歓迎を受け、日本語の歌とインド伝統舞踊に加えて、日本風の踊り(グループ)も披露された。司会は日本語を学ぶ学生による日本語での進行であった。視察団全員に歓迎のショールと大きなフルーツバスケットが贈られた。このフルーツバスケットはどう見てもあと2日では食べ切れない量だが、余ったものは部屋に残しておけば、誰かが適当に処分(消化)してくれるので無駄にはならないので、ご心配なく!

Vol.2-12

ンドあるある話(11月)第十二話」(Day−10: Nov/22)チェンナイ(24~29℃) この日はインド視察団の最終日。日系企業(自動車部品製造)を訪問した。人数が多いため、2チームに分かれて工場見学と会社紹介を受けた。その後、チェンナイ市内に戻る途中のホテルで視察団の昼食にお伴して、そこでご一行様に別れを告げ、手配された車で自分の次の企業訪問に向かった。 今回訪問したどの現地日系企業の日本人責任者も、真面目で誠実そうだが、余りハッピーな印象はなかったのが残念に思えた。やはりインド駐在は生活と仕事の両面でハードシップが高いということだろう。例外的だったのは工業団地の日本人営業担当者は奥様と1歳のお子さんを帯同されていて、今のところ生活面で大きな問題は無いと言われていたのは嬉しかった。最近の駐在員の中には、帯同子女を現地のアメリカンスクールやドイツスクールに通わせて、国際感覚が自然に養われる教育環境を選択する人が増えている印象があるが、実態はどうなのか気になる。

Vol.2-13

ンドあるある話(11月)第十三話」(Day−10: Nov/22)チェンナイ(24~29℃) 神奈川県視察団と別れて、ホテルも変更した。やはりバスタブもペーパーもドライヤーもない。一仕事終えた気分でビールを一杯と思ったが、このホテルではバーは無く、レストランにもアルコールは置いていない。近くにリカーショップがあるかとホテルの従業員に聞くも知らないと言う。仕方なく外に出て明かりの多い方角に歩き始めたが、5分歩いても一向に見当たらない。他の街なら直ぐに見つかりそうなものだが。そこで、街角のよろず屋と言って良いキラナショップで尋ねてみたら 、少し先の大通りを渡って、10メートル先に下り坂の道を下りるとあると言う。行ってみると確かに有った‼️ 暗がりの下り坂の先に野良犬と人だかりが見えた。怪しげなその店は金網で仕切られていて、店には入れない。金網越しに注文を言うと中から持ち出してくる。500ml缶ビールは定価140ルピーだが、その店では150ルピー(約270円)だと言う。ここは交渉しても仕方がないから値切らずに2本買った。どうやらこの地区ではアルコール飲料の販売は禁止されているように見えた。ともあれやっとゲットしたビールだが、冷えてない!ホテルの部屋に戻ってミニ冷蔵庫に入れたが、飲めるようになるまでに1時間以上を費やした。やれやれ。

Vol.2-14

ンドあるある話(11月)第十四話」(Day−11: Nov/23)チェンナイ(24~29℃) 視察団は無事に帰国されたようで安堵した。この日は視察団が先日訪問した当地の老舗の日本語教室で、講演と日印文化交流イベントをすることが決まっていた。講演では最近のインド人の若者向けのトピックである ''Opportunities for the Indian Youth with Japan''について半時間ほど話をして非常に好評であった。その後、文化交流イベントがあり、日本の着物とインドのサリーのフュージョン・ファッションショーが催された。メディアの取材やインタビューもあった。そのビデオ録画が早速編集されて送られてきたので観ていると、画像は良く撮れているのだが、挿入されているBGMがどうも怪しい!聴いていると、やはりそうだ、これは日本の音楽ではなく、中国のものに違いない。これは良くあることだが、インド人にとっては、日本と韓国や中国は同じ文化圏に見えるようで、この種の混乱とその結果としての間違った使い方が起こるようだ。 そりゃ、日本人にとってもインドと、パキスタン、スリランカ、バングラデシュは区別が付きにくい。日本にあるインド料理店の大半がネパール人の経営であることもまだまだ知られていない。だから、インド人が中国のものを日本のものとして受け止めることもあるでしょう。この日本語教室には今後もできるだけサポートしていこうと考えている。 (希望者には同ビデオを共有します。)

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ンドあるある話(11月)第十五話」(Day−12: Nov/24)ハイデラバード(15~31℃) この日は早朝便での移動となった。チェックインとセキュリティチェックを終えた時点で搭乗時刻の5分前だったが、コーヒーとサンドイッチを買って食べていたら、携帯電話が鳴った。発信者不明のため拒否したら、また直に掛かってきたので受信すると、「貴方はハイデラバードに飛ばないのですか?」と聞かれて、すぐ行きますと答え、飲みかけのコーヒーを残して搭乗ゲートに。最後から2番目の搭乗者であった。インドではほとんど全てのことが、予定された時間通りに運ばないのだが、今回搭乗したインディゴ航空は定刻発着を徹底して旅行者の信頼を得て、今やインドでは最大規模の航空会社となった。こうして個別に電話で搭乗の確認をしているところが流石である。

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ンドあるある話(11月)第十六話」(Day−12: Nov/24)ハイデラバード(15~31℃) 当地ハイデラバード初日は親日家のNPO、Japan Hubを訪問。ここがビックリ!!!! 何と日本の伝統芸術や工芸品、陶芸品、日本人形やフルセットの雛飾り、面も胴も付いた剣道着もあり、まるでミニ日本文化博物館である。これまでインドの、いや世界の何処でも観たことのない日本の伝統芸術と工芸のコレクションである。特にお茶のお点前ができるだけの道具と茶碗が揃っていて、おまけに畳マットまで敷いてあったことに感激。 このJapan Hubとは今後共同して、日印文化交流の当地のハブとして、各種のイベントを実施していくことを約束した。 そしてランチでは素晴らしい本格的な南インド料理をご馳走になった。10種類のオカズを先ずは米粉でできたパンで食べて行く。その後、汁物は炊いた白米ご飯の上にかけて食べる。気がつくと、自分一人がずっと手で口に運んでいて、他の招待してくれたインド人はスプーンを使っていた!! 自分が益々インド人化していることに改めて気付かされた。

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ンドあるある話(11月)第十六話」(Day−13: Nov/25)ハイデラバード(16~30℃) この日は当地郊外に立地する私立大学Woxsen大学を訪問した。実は2020年のコロナ禍に一度、オンラインでゲスト講義をしたことのある大学だったが、訪問は今回初。当時招聘してくれたスペイン人の教授は副学長に昇進していたが、今回は面談できず。工学部長、総務部長、人材育成部長などと面談し、今後の協力を約束した。この大学の教員の多くは外国人で、アフリカや中東からの留学生も多い。そして全寮制(2~4人の相部屋)。スポーツ施設が何でも揃っていて、陸上トラック、体育館、プール、テニスコートなど、無いのは柔道場くらいか! インドに居ながら外国留学している気分になるキャンパスである。 午後には寄宿しているIIT-H大学(インド国立工科大学ハイデラバード校)に戻り、構内にあるJapan DeskとSIC(Suzuki Innovation Centre)と面談。構内と言っても広いので、移動は構内循環バスである。Japan Deskは日本からの来客のお世話や、インドから日本に出張する際のお世話をしている。この日は有名私立大学から10名ほどの学生と、ある大企業の出張者が訪問していた。その出張者とはゲストハウスの夕食でも一緒した。約3ヶ月をかけてインド国内を視察中だということだ。自分の第二の故郷となった西インドのプネには訪問予定が無いと言うので、案内役を紹介するので是非視察してくださいと強くお勧めした。

Vol.2-17

ンドあるある話(11月)第十七話」(Day−14: Nov/26)ハイデラバード(16~30℃) この日は待望の当地のスタートアップ支援機関(半官半民)であるT-HubとT-Worksを訪問した。正にインドの、いや世界の最先端ではないかと思えるような刺激を得て、感激の連続であった! ここはインドの中でも他に例を見ない取り組みである。ともかくモダンで斬新なオフィスコンプレックスだ。さらに建設中の30階建てコンプレックスはアニメ、ゲーム、AR/VR関連のスタートアップ支援機関IMAGEがそびえ立つと言うから驚きだ。今後、日本企業(特に中堅中小)に取って重要なハブ都市になることを予感した。 インド全体で既に10万社を超えるスタートアップが生まれているが、ここT-Hubだけで2000社を育て上げたと言う。自分がアドバイザーを務める日印コンサルタント会社のIndobox Inc.が既にT-Hub社とMOUを締結していて、今回その現場を視察したもの。同社の作業スペースも確保されていた。T-Hubが新しい事業創造を支援する共同ワークスペースなら、T-Worksは新しいモノづくりを支援する共同ワークショップと言える。T-Worksの壁に''Come, Fail. Learn & Build''というメッセージが描かれていて、感動した。日本ならFail(失敗)という言葉は禁句であるが、「失敗から学ぶ」ことを、日本人も見直すべきだろう。 今朝、ここに来る途中でハイヤー(トヨタのSUV)のエアコンが効き過ぎて寒いので、ドライバーに「温度を上げて」と言ったら、「温度調節はできない」と言う。そんな筈はないと自分で調節レバーを上げようとしたが、びくとも動かなかった!こんなのはインドでも初めて経験したが、ドライバーいわく、「ここでは普通ですよ」って、それはないやろう!

Vol.2-18

ンドあるある話(11月)第十八話」(Day−14: Nov/26)ハイデラバード(16~30℃) 当地の宿泊は国立工科大学のゲストハウスなので、外部から様々な教育関係者が泊まっている。ホテルと同様のサービスを提供し、朝夕の2食付きであるが、アルコール飲料は提供されないので、数日間はドライデーを楽しむことに。食事はもちろんベジタリアンだが、この日の朝は珍しくゆで玉子が出た! それならきっとシェフに言えば、「玉子焼き」は出してくれそうだ。ここには日本からの来客も多いし、大学のJapan Deskと産学連携のリサーチ棟もあり、日本人も常駐しているので、そうなると喜ばれることだろう。 ランドリーサービスも外注していて、翌日には戻ってきた。シャツ類1点40ルピー(約70円)と流石に安い! 昨晩、日本からの出張者とJapan Deskの職員と一緒に夕食を食べていたら、一人のインド人が断りもなく空いていた隣の席に座って、自己紹介も無く話を始めた。(あるある) 「どこから来た? 何しに来た?」と尋問されたので、「貴方は誰ですか?」と切り返すと、教員向けの研修プログラムに外部から参加していると言う。話が面白くなかったので自分は相手にしなかった。日本を経験した人なら、先ず「すみません、ちょっとお話しても良いですか?」から始まるのだが、南インド人の気安さは迷惑極まりないことが良くあるある。

Vol.2-19

ンドあるある話(11月)第十九話」(Day−15: Nov/27)ハイデラバード(16~30℃)→ニューデリー(14~27℃) 寄宿先からハイヤーで空港に向かった。高速道路が整備されていて快適なのだが、問題はドライバーの運転だ。インドではどこでも一緒だが、車線を守ることと、車間距離を空けると言う安全運転の基本が全くできていない。誰もがレーサーのような運転である。 インドで優れたドライバーの3つの条件とは以下の通りである。 1. Good brake (ブレーキが良く効く) 2. Good horn (クラクションが響く) 3. Good luck (運が良い) ということなので、無事に帰国できればラッキーということ、かも知れない。

Vol.2-20

ンドあるある話(11月)第二十話」(Day−15: Nov/27)ハイデラバード(16~30℃)→ニューデリー(14~27℃) 今日まで風邪をこじらせること無く、何とか予定を消化してきた。今日から大気汚染で悪名高いニューデリーに移動するが、これまで自分が経験したレベルを超えているとのことなので心配ではある。今回はある大企業の教育関連のプロジェクトのお手伝いをすることになっているが、相手の学校が汚染対策で閉鎖中(オンライン授業)という。それでもプロジェクトのために関係者のみ登校してくれるというから、やはりこれもインドの臨機応変さである。ただし誰か一人でも体調を崩すようなことがあれば父兄からクレームが出るリスクもある。とは言え、学校は歩いて登校する生徒はおらず、スクールバスもしくは自家用車(多くはお抱えのドライバー)の送り迎えなので、余り心配はないだろう。これがモンスター父兄のいる日本ならあり得ないない。

Vol.2-21

ンドあるある話(11月)第二十一話」(Day−15: Nov/27)ハイデラバード(16~30℃)→ニューデリー(14~27℃) ここハイデラバード空港で、インディゴ航空国内線のセルフチェックインとバゲージローディングを見た。その手順と仕組みは日本のそれと変わらない。端末で操作するとチェックインが完了してボーディングカードとバゲージタグが印刷される。すぐ前にあるバゲージローディングの機械の前で係員がタグを取り付けてくれて、ローダーにバゲージを乗せると重量チェック(15kg)に問題が無ければ完了となる。ほんの5分ほどでチェックイン完了するので、これまでのようにカウンターに並ぶ必要が無い。日本ではとっくの昔に導入されているが、インドでは今回初めて見た。他の航空会社でも導入しているのか気になるところだ。9月にこの空港を利用したときには気付かなかったのかも知れない。セキュリティチェックを終えると電動カートが待っていたので、乗り込んでゲート近くまで乗せてもらった。このカートには''NO TIPS PLEASE''と書いた表示があった。インドでは基本チップは不要だが、欧米人のチップの習慣がインドにも影響しているようだ。 実は最近、膝を痛めているので重い荷物を持って歩くのが辛い時があるのだ。今回の出張でも心配したが、何とか全行程踏破できそうである。

Vol.2-22

ンドあるある話(11月)第二十二話」(Day−15: Nov/27)ニューデリー(14~27℃) デリー行きのインディゴ便は約30分遅れで出発したが、ほぼ到着は定刻通りであった。やはりパイロットの意識が違うことを感じた。指定のターンテーブルで預けた荷物を待っていたが、一向に出てこないので、ふと予感が走り、隣のターンテーブルに目をやると、ほらやっぱり、自分のスーツケースが廻っていた。こういう事はたまにはあるものだ。 今回の宿泊地は空港近くのエアロシティのホテルなので、メトロでは一駅(20ルピー)、そこからオートリキシャで2分(100ルピー)、計120ルピー(約210円)であった。これでも高いと思ったが、因みにPrepaid Taxiは600ルピー(約1000円)である。無事ホテルに到着して遅いランチをとった。 チェンナイで引いた風邪が長引いていて、咳と喉の痛みが治まらない。新しい薬が必要だ。インドの伝統医学に基づく薬草成分で作られた医薬品メーカーのPatanjaliのお店で、咳止め薬と溶かして飲むペーストを処方された。即効とは行かないまでも、少しでも快方に向かうことを期待したい。

Vol.2-23

ンドあるある話(11月)第二十三話」(Day−16: Nov/28)ニューデリー(13~26℃) ここニューデリーは内陸の盆地で、1月には真冬を迎え、気温が0度になることもある。確かに日が暮れると外は肌寒く感じるので、日々冬に向かっていることが覗える。幸いなことに大気汚染は改善されて、警報も解除されていた。 今日は教育プロジェクトで、日本からの出張者にお伴して、日本語教育を長年実施している私立の小中高一貫校を訪問した。手厚いもてなしと大歓迎を受けた。生徒たちはインド式の相手に最大の敬意を表す、即ち上半身を折り、右手で相手の足に触れるという挨拶をしてくれた。(あるある) ここの経営者と意気投合したので、今後も幅広く協力することを約束した。 その後、日本大使館と国際交流基金を訪問して、プロジェクトの紹介と今後の協力を要請した。公的機関との良いパイプができたと思う。この日の夕食は北インドの料理と西インドのワインを出張者に堪能してもらった。もちろん、インドカレーを楽しむパンはナンでは無くローティであるある。

Vol.2-24

ンドあるある話(11月)第二十四話」(Day−17: Nov/29)ニューデリー(12~25℃) ニューデリーは毎日少しずつ温度が下がっている。(多分インド全体でも) 今朝は東の郊外に出掛けた。路上でEV(電動式)車をよく見かける。とは言ってもその大半は3輪のオートリキシャかオート3輪(貨物輸送車)、もしくは路線バスである。そのバスには「100%Electric」と「0%Smoke」というスローガンと「Switch Delhi」という政策名のロゴが描いてあった。そして今回初めて見たのはEV車のタクシーで、通称Blue Cabと呼ばれるBluSmartタクシーだ。普通車EVには乗ってみたいものだ。インドのEV車は、プレートが緑色をしているので、すぐに気が付くが、時おり路上を走る自家用車も見かけた。国全体ではまだまだEVの普及率は数%に過ぎないが、今後確実に増えていくことだろう。 今朝の面談先に40分以上も早く着いたので、近くにカフェが無いか調べたが、9時を過ぎているのにどこも開いてない。やはり郊外だからだ。開いているのは路上の屋台ばかり。(あるある) 自分は平気だが、日本からの出張者にはちょっと、とお勧めするのは止めておいた。ドライバーが気を利かした積りで近道を行くのだが、上手く目的地に繋がらず、元の道に戻ることになり、結果的に到着が15分も遅れてしまった。(あるある)

Vol.2-25

ンドあるある話(11月)第二十五話」(Day−17: Nov/29)ニューデリー(12~25℃) 今朝の面談も非常に前向きで有意義であった。これで教育プロジェクトのオフィシャル行事を無事に完了したので、出張者をデリー観光にお連れすることに。先方の希望で、クトゥブ・ミナールというイスラム遺跡を見学した。インドの観光地はどこでもそうだが、外国人の入場料は550ルピー(約1,000円)なのだが、インド人は40ルピー(約7円)といった具合に料金差がとてつもなく大きいのである。その代わり、外国人専用の出入り口を通るため、長い行列に並ぶことは無い。もし大気汚染警報が発令されていたら、観光地は閉鎖されるので、今日は汚染も低く晴天に恵まれラッキーであった。自分としては久しぶりに訪れた史跡だが、出張者にとってはイスラム遺跡の見学は初めてで感動、満足されていた。 ランチはモール内の韓国料理店で海老天巻の寿司と茶碗蒸しを注文。巻き寿司に付いてきた紅生姜が半分凍っていて、ビーフジャーキーかと見間違えた!茶碗蒸しは蒸した玉子焼き状態であったが、味は良かった。夕べのインド料理のあとでは、ホッとするものだ。 外出して歩いたせいか、咳が酷くなってきた。出張者を空港に送ったあと、買っておいたペースト状の喉の薬を、熱いお茶に溶かして飲むとスッキリした。このまま夕食までひと休憩することにした。

Vol.2-26

ンドあるある話(11月)第二十六話」(Day−17: Nov/29)ニューデリー(12~25℃) EV車が増えている反面、ここニューデリーでは、大八車を押す人や、旧態依然としたリキシャ(自転車を漕ぐドライバー、お客2人乗り)を見た。これは先月、北東インドのアッサム州ではモーター付きの電動リキシャに様変わりしていたことと対照的だ。やはり、ニューデリーではまだまだ保守的で経済的にもモーターを付ける余裕の無い貧困ドライバー層が多いということか。インドの弱点である貧富の差のギャップが広がっているようだ。この事は第三次モディ政権にとって大きな課題であることは論を待たない。 もう一つ、依然として進歩していないことは、我先にと人を追い越そうとする精神である。14億超の人口規模で競争がとんでもなく厳しいことがその背景にあるが、もう少し「他人への思いやり」というものを持ってもらいたいと思う。モディ首相が唱えている「2047年(独立100周年)までに先進国の仲間入り」を果たすためにも、今から教育の見直しをすべきだろう。 そう思うと、日本は終戦後わずか23年後の1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国となったのは、(西ドイツもそうだが)世界(特に戦勝国)から見れば奇跡的な復興であった。かの有名な'Japan as No.1'という書籍が米国ハーバード大学教授から出版されたのは、自分が大学を卒業してシャープ㈱に入社した1979年のことだ。こんな話は今の日本の若者には知られていない。生活に不自由無く、競争もなく、ハングリー精神に欠けた日本の若者には、超競争社会であるインドの若者との交流によって、世界と日本を見直す絶好の機会となろう。いや、インドよりも日本こそ教育改革が必須であることを感じている。そしてすでに僅かではあるが実行し始めている。いずれは若者向けに塾を始めたいという夢も持っているのだが、今は日印の橋渡し役で毎日が忙しい。

Vol.2-27

ンドあるある話(11月)第二十七話」(Day−18: Nov/30)ニューデリー(12~25℃) この週末はオフィシャルな用件は無くフリーになったので、ホテルもニューデリーの隣町の下町の3星に移動する。最寄りのメトロの駅まではここのホテルが無料で送ってくれた。メトロ空港線は日本や香港やKLなどの空港行き列車などとも遜色が無く、清潔でエアコンも良く効いていて快適だ。空港線はニューデリー駅止まりで、そこから各路線に乗り換える。チケットを買うのに並んでいた窓口はUPI(キャッシュレス)専用だと窓口で知り、並び直さねばならなかった。(あるある) Yellow Line に乗り換えて終点まで乗った。ここニューデリーだけでは無いが、メトロは日本政府のODAで作られたので、日本の技術がインドでも活かされていることを誇りに思う。現在、建設中のムンバイとアーメダバード約500kmを結ぶ新幹線も日本のODAである。当初は2023年にも開通とされていたが、土地収用に時間が掛かって大幅に遅れている。この辺りは中国との違いだが、一応民主主義国家なのでやむを得ない。 メトロの車内は騒がしい。数人は携帯電話で話をしているし、ビデオチャットしている人も。そうでなくとも話好きのインド人だから、連れがいると会話が途切れることはない。10年程前に乗った時には、車内の床に座って食事をしている家族を見たものだが、流石に今は車内飲食は禁止されているようだ。 目的地の終点に着いた。ホテルを出てから2時間が経過しているが、電車代は100ルピー(約180円)と駅からオートで100ルピー計200ルピー(約360円)。もしタクシーで来ていたら約1時間で500ルピー以上は掛かっていたろう。 駅のモールのファーストフードで軽く食べて、無事にホテルに到着したのは午後4時であった。このホテルの経営者は昔からの友人だ。もう5年ぶりになるだろうか、久し振りの再会を喜びあった。前回来た時には装備されていなかった、銭湯とウォシュレット、炊飯器もあるという日本仕様に徹したホテルとして完成されていた! キッチンも大型冷蔵庫も付いている部屋があり、レストランは朝夕を和食を提供している。ここなら長期滞在も可能だろう。インド駐在も楽になってきたなぁ、と感慨深いが、まだまだここは例外的な存在である。 あと足りないものと言えば、そう、カラオケの設備とサービスだが、前回はやっていたのだが、コロナ禍で止めたそうだ。当然ながらライセンス上の制限もあるだろう。 ともあれ、長旅の最後の2泊はノンビリと寛いで癒されたい。先ずは銭湯に入ってみるとするか。

Vol.2-28

ンドあるある話(11月)第二十八話」(Day−19: Dec/1)ニューデリー(12~26℃) ここハリアナ州のグルグラムは首都ニューデリーに隣接している新興都市で、2010年辺りから急速に発展し、日本人居住地区としても恐らくインド最大規模では無いか。その中心地に位置するこの和風ホテルは、徹底した日本式を売りにしている。日本人の要望を聞いて一つ一つ実現していったというから頭が下がる。夕べは早速ここの銭湯に入ってみた。10人ほどが一度に入れるゆったりした湯船があり、洗い場とサウナ、水風呂もある。ただ、お湯が少しぬるく感じたのは気候のせいかも知れない。それと洗い場の座り心地が低過ぎて良くない、バスタオルだけで手拭いがない、着替え室のロッカーの鍵を腕にぶら下げられないなど、細かいところで足りない部分があるので、オーナーに伝えようと思う。 今日も当地の旧友(日本人)との再会でランチとディナーの会食が決まっている。昨晩はインド人の友人家族であった。 今朝の朝食はモチロン和食、ヘルシーに美味しく頂いた。インドではヤクルトが流行っていて、「ヤクルトお姉さん」も活躍している。自分の子供の頃を思い出させてくれる。 有り難いのはランドリーサービスが無料でしかも当日仕上がりであること。これは長期滞在者には、何よりも一番のサービスだ。試しに今朝そのサービスをお願いした。

Vol.2-29①

ンドあるある話(11月)第二十九話」(Day−19: Dec/1)ニューデリー(12~26℃) 今日も咳が止まらず、体調は万全では無いが、嗽と睡眠と食事で何とか回復を目指している。喉が痛むので冷たいビールは控えているが、お酒を欠かすことも辛いので、インドの名ラム酒Old Monkを買ってきて、お湯割りを楽しんでいる。夕べ当地で見つけた特別ボトルが気に入った。750mlで750ルピー(約1,350円)と比較的お買い得なので、良く売れている。日本人駐在員でも知る人ぞ知る銘酒である。飲みきれなくてもこのホテルにボトルキープしてもらうことにする。 そもそもインド国産には何でもあり、ビール、ワイン、ウイスキー、ブランデー、ジン、ラムなど国産品は安いのだが、日本酒の人気は高まっているものの、輸入品なのでとびきり高いため超富裕層でなければ手が届かない。そこでインドの酒メーカーは工夫をした。何と、ハーフボトル、クォーターボトルどころか、1回で飲み切る超小瓶まで売っているのだ。この商売魂は実はあらゆる商品に見られる。1回使い切りシャンプーパックが良い例である。コストは余分に掛かっているが、価格には乗せていない! 飽くまでも買い手の便宜を優先したマーケティングと言えよう!

Vol.2-29②

ンドあるある話(11月)第二十九話」(Day−19: Dec/1)ニューデリー(12~26℃) 今日はランチミーティングにニューデリーまで約1時間タクシーで移動して、当地で長年画家として活躍されている日本人の旧友と再会した。旦那様がインド人の芸術家である。地中海料理の洒落た高級感のあるレストランで、料理も非常に美味であった。その旧友はもう20年以上この悪名高きニューデリーで、ご自分で事故なく車を運転していると聞いて椅子から落ちそうになった。きっと3Goodに恵まれているに違いない!そのご夫婦とも今後の連携を約束して別れた後、インド人の知人が迎えに来てくれて、その知人が勤める研究所に案内された。そこから一旦ホテルに戻り、日本人の旧友との夕食会へ。久しぶりに本格的な握り寿司を堪能した。日本の職人の握りを冷凍で持ち込んでいるので、価格は非常に高いのだが、インドだから価値も高い。この友人とも更なる連携を約束しておいとました。 今日のランチの場所は公的な集会場(宴会場)にあり、鯉が泳いでいる人工池には、ちょうど蓮の花が可憐に咲いていた。

Vol.2-30

ンドあるある話(11月)第三十話」(Day−20: Dec/2)ニューデリー(12~26℃)→香港(16~25℃) いよいよ今回の最終日である。グルグラムの日本式ホテルの経営者には、今回気付いた細かい点を実地に部屋の中で伝えて、改善を提案しておいた。きっと次回は更に良くなっているだろう。 午前中オンライン会議をして、ホテルをチェックアウトして、自分がアドバイザーを務めているインドの著名な法律事務所を数年ぶりに訪問。グルグラム支店は昨年末に見晴らしの良い新しいビルの15階に移転していた。日本で著名な法律事務所は大手町界隈に立派な事務所を構えているところが多いが、こちらも遜色のない構えである。この法律事務所の顧問と言えふ
ば聞こえが良いが、他にやることが多いため、実際にはほとんど役に立てていないので、日本人の後任が決まるまではお手伝いすることにしようと思う。インド式のランチプレートをご馳走になって、午後にはAsian Community News(ACN)というWebメディアを訪問した。自分はここのEditorial Boardメンバーでもあるが、ほぼ役に立っていない。今後、日印の中堅中小企業向けのセミナーなどを企画推進することや、日本人のBoardメンバーを増やすことに貢献したいと思った。何と、ここで即席のビデオインタビューの録画撮りをすることになった(あるある)が、果たして配信されるのだろうか。 この日の夜便で帰国の途につくので、早目に空港に向かった。予約してもらったタクシーは750ルピー(約1,350円)だったが、1,000ルピーでお釣りをもらおうとしたら、現金の持ち合わせがないと言う。(あるあるある) その手には乗らんぞ、と財布を見せてもらったら、本当に100ルピー札と小銭しか持っていなかったので、100ルピーだけのお釣りで許してあげた。最近のタクシーはスマホ決済が増え、お釣りを準備していないドライバーが非常に多いのは困りものである。

Vol.2-31

ンドあるある話(11月)第三十一話」(Day−21: Dec/3)ニューデリー(12~26℃)→香港(16~25℃) ニューデリー空港では全て順調であったが、今回は香港乗り換えのキャセイ航空である。出発が22:45と遅いが、5時間のフライトなので香港到着は翌朝6:15と早いため、食事は朝食ではなく夕食となる。出発して直にでてくれば良いのだが、実際に、食事を始めたのは2時間ほど経ってからであった。インド時間では真夜中の1時である。こんな真夜中に食べさせるのか、と嫌になるが、そういうフライトを選んだのだから仕方がない。映画を2本観ながらその合間に食事をしたので、結局一睡もしていない。咳は治まってきたので、周りに迷惑をかけることも無かった。 香港空港で珍しいボーディングブリッジを見つけた。飛行機が下を通るために、とてつもない高さになっている! こんなのは以前には無かったし、世界のどこにも見られないだろうと思う。 やれやれ、次の大阪行きのフライトでは直に寝てしまってランチを食べ損ねないようにしなくては! 今回のインド出張でも「あるある話」が盛り沢山であったが、それなりに成果も山盛りであった。既に次回2月の出張の約束もしているので、出張の度に次の予定も決まっていくことが習慣になりそうな予感がしてきた。 ともあれ、先ずは風邪と膝の手当てが先決である。

Vol.2-32

ンドあるある話(11月)第三十二話(最終回)」(Day−21: Dec/3)香港(16~25℃)→大阪(8~18℃) 定刻より少し早く関空に到着。今回は後半の体調は万全では無かったが、何とか予定以上の面談と成果を上げることができたと思う。インド各地での今回の活動は、立場も目的もそれぞれ異なっていて、渡す名刺も相手によって使い分けている。正に「インド何でも屋」の様相なのだが、お蔭で楽しく過ごすことができた。これからもこのスタイルで日印の更なる発展に少しでも貢献できれば望外の喜びである。 いつも思う事だが、日本の空港でバゲージを受け取る時に、ターンテーブルに乗って出てくるバゲージは全て、取っ手が手前になるように揃えてあるので、簡単に取り下ろすことができる。雨の日なら係員が一つ一つ雨雫を拭ってくれる。こんな丁寧な仕事は日本以外では見たことがないが、先ず見ることはないだろう。外国人旅行者はこの事に気付いているのだろうか、気になるところではある。 3週間ぶりに日本に戻ったが、一気に冬に入ったようで、日本の季節の移り変わりの趣も改めて感慨深いものがある。やはり、日本人に生まれたことが人生最大の幸運である事は疑問の余地がない。(このシリーズ終わり)

Vol.2 End

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