カルナタカ州フブリ→ダルワード→フブリ→チェンナイ→グワハティ→プネ(Sep/21/2024~Oct/14/2024)
Vol.1-1
21日(土)、羽田からの夜行便でシンガポールに飛んで、翌朝乗り継いで南インドのベンガルールへ飛び、そこから国内線のプロペラ機で結構揺れたが、約1時間でKA(カルナタカ)州北部のフブリという田舎町に到着したのは午後4時前。時差は3時間半あるので、日本を出てから20時間を超えている。当地の最高気温は29度、最低は23度と、ベンガルールも当地フブリも気候面では、インドらしからぬ温暖な地域であり、圧倒的に日本の方が暑い‼️ フブリ空港到着時の地面は濡れていて、雨上がりであった。 何よりも今回のインド訪問は、2年2ヶ月振りであり、自分にとっては久しぶりの帰郷のように感慨深いものがある。シンガポール空港からベンガルールに飛ぶ便のゲートで搭乗を並んで待っていると、あと一人で自分の番という土壇場で、後ろにいたインド人2人が無言で追い抜いてゲートに入って行った‼️ ちょっと考え事をしていたためか、一瞬の隙をつかれた、インドあるあるその①である。フブリのホテルにチェックインすると、いきなりトラブル発生!これもインドあるあるその②だが、日本から持ち込んだ蛸足電源プラグをコンセントに差し込んだ途端にバチッとショートして、部屋の電源が落ちてしまった‼️すぐに電気工事担当に来てもらって直してくれたが、蛸足プラグは使わないように言われた。落ち着いたところで早速インドビール、キングフィッシャー・ウルトラを注文した、懐かしい❗️ 今回当地でお世話になるAOTS(海外産業人材育成協会)の職員(日本人)と現地コーディネーター(インド人)の女性2人と、当地出身のインド人弁護士と合流して、夕食はホテル近くのシーフードレストランに連れて行ってもらった。アルコールライセンスの無い店であったが、当地出身の男性が店員に現地(カンナダ)語で何やら話すと、彼は近くのリカーショップからビールとウイスキーを買って持ち込んだ‼️インドあるあるその③。食事は美味しかったが、やはりインドの味付けは濃い濃い濃い~が、これがまた懐かしい‼️その④ 明日から南インドの4大学での研修講義が始まるが、どんなあるある話になるか楽しみでワクワクしている‼️
Vol.1-2
インドあるある話(第二話) 23日(Day2)、南インドのフブリから1時間程度車で北東のダルワードという街にあるSDMCTU大学で最初の講義をした。3時間半に及ぶ長時間講義のため、3部に分けて実施したところ、第一部では420名というこれまでの最大の聴講者が集まったが、第休憩を挟んだ二部では学生の数が減り、第三部が終了した時点では240名に減っていた‼️(あるある) これは通常の講義とは違い、特別に追加されたために、聴講を義務化できなかったという大学側の事情があろう。 講義が始まって10分経過した頃にいきなり電源が落ちてしまった‼️(あるある) マイクなしで講義を継続していると、程なく復旧したので問題はなかったが、第三部の途中にも再度電源が落ちて直ぐに戻った。 講義が終わるとQ&Aを少しやって、最後は集合記念撮影となったが、その後の学生たちとの個別の撮影が止まらない‼️(あるある) 全てが終わってランチに行くのが半時間ほど遅れていた。
Vol.1-3
インドあるある話(第三話) 23日(Day2) 3星ホテルでは良くあることだが、即日仕上げのランドリーが戻って来なかった。これは予想していたので1日余裕をもって預けた。翌日には仕上がって戻ってきた。 シャワーが痛いほど出がきついことや、温度が変化するので冷たかったり熱かったりするのも、インドあるあるだ。室内のミニバー(スナックやドリンク)のストックもメニューに表示された通りになっておらず、何をいくつ消費したのか、確認できないだろうなぁ、と思いながら一袋開けた。ヘヤードライヤーが設置されていないので、ベッドルームの天井扇風機を最速に回して髪と体を乾かしたりするのも慣れっこである。
Vol.1-4
インドあるある話(第四話) 24日(Day3) 気温23度薄曇り 南インドのフブリ空港近くのKLE Technological Universityでの講義をした。ここはCS(コンピューターサイエンス)専攻の学生が対象なので聴講生は107名(平均)であった。第一部を終えると新たに学生が入ってきて、会場は満席になり、最前列に椅子を足さなければならなかった。(あるある) 学生の反応が良かったので、ついつい話を深掘りしたものだから、第二部の終わりに折り紙を使った講義も熱がこもって、残り時間が10分を切っていた。(あるある) 仕方なく第三部の講義を端折って15分程度の延長で講義を終えたが、記念撮影では例によって何組も数人のグループとの撮影が延々と続いた。またも予定の終了時刻を半時間以上超えていた‼️(あるある) ランチは大学の直ぐとなりの4つ星ホテルのレストランで済ませて、ホテルに戻るときに、ドライバーは近道をするために大通りを約20mほど逆走したが、対向車からクラクションを鳴らされることもなく移動した。‼️(あるある) 宿泊ホテルに戻ると、何やら外が騒がしい。何かのグループが行列をしていて爆竹をと音楽を喧しく鳴らしていたが、恐らく結婚式か何かのお祝い事であったのかも。(あるある) ホテルで夕食後にインド名物のラム酒であるオールドモンクを注文したら、レギュラーボトルは在庫切れで、リザーブならあるとのことで、それは初耳なのでワンショット試してみたら、うん、これはイケる‼️ ただし価格は倍であった。(約430円) これは「インドあるある」ならぬ「インドやるやる」とでも言おうか。



Vol.1-5①
インドあるある話(第五話) 25日(Day4) 今朝は移動日ということで、午前10時にホテルをチェックアウトすることになっていたが、昔から使っていたインドの銀行のデビットカードが使えない‼️暗証番号が間違っているって‼️そんなはずは無い、と思ったが何度試しても通してくれないので諦め、日本のVISAカードで支払おうとしたら、今度は回線からの認証の返信が無い‼️ということで、これも何度かやり直してみたが、通してくれないので諦め、同行してもらっているAOTSの現地コーディネーターさんに立て替えてもらった。 空港でチェックインすると、バゲージ重量が2人で30Kg制限のところ、31.2Kgでオーバー‼️仕方なく自分の荷物から書類や本やシェーバー、名刺など重いものを手荷物に移してOKとなった。(あるある) 今日はフブリ空港からチェンナイに飛ぶ直行便が無かったので、まずは経由地のハイデラバードに予定通り到着した。ここは大都市なので空港も大きくモダンで、そのスケールも建物のデザインも羽田や成田、関空よりも素晴らしい。世界のトップクラスの空港とも遜色無いだろう‼️(やるやる) ところが今日は雨天で霧が立ち込めていて、乗り継ぎ便の到着が遅れている‼️当初は午後5時出発予定であったが、6時10分に変更となった。5時半を過ぎても乗り継ぎ便が到着しない‼️もっと遅れることを覚悟して、のんびり構えることに。一応到着便は相次いでいるし、出発便も飛んではいるので、何れ来るでしょう。はたして午後6時に乗り継ぎ便がゲートに到着して、午後6時35分出発に変更されたようだが、アナウンスは無い‼️(あるある) さて、ゲートが開いて人々が入っていくので安堵して、座席は7Cで前方の通路側なのでゆっくり待ってゲートインしようとしたら、エラー‼️ 「貴方のフライとは隣のゲートで、もう閉まってるよ」と言われてOMG‼️ 実際に隣のゲートは既にclosed。仕方なく、次の便に乗れないか調べ中。 さてさて今日中にチェンナイに到着できるかどうか、バゲージはもうチェンナイに飛んでしまった!? (つづく)


Vol.1-5②
イインドあるある話(第五話その続き) 25日(Day4) 経由地のハイデラバード空港で、ウッカリ搭乗ゲートを間違って乗継便を逃してしまった、AOTSのコーディネーター氏と私は、航空会社の地上スタッフに従い、セキュリティチェックを逆行してチェックインロビーに戻り、カスタマーサービスで次の10時15分発のフライトのチケットを確保できた。セキュリティ上の規則に従い、我々が預けたバゲージも逃した便から下ろされていた。無事にチェックインとセキュリティチェックを終えて、リカバリーできたことにレストランで乾杯! その時点でフライトに30分の遅れが出ていたが、早目に出発ゲートで待機していたら、更に遅れが!(あるある) 結果的に定刻の1時間遅れで最終目的地のチェンナイ空港に到着したのは、翌日の0時30分。空港から車で5星ホテルに着いたのは深夜午前2時前であった。やれやれ! お疲れにビールを一杯と思って、24時間ルームサービスに注文したら、「もうBARは閉めました!」と言う。「24時間サービスだろう!?」と食い下がると、「上司に確認してご連絡します」と言うので電話を切って待ったが、一向に連絡が無い!! (あるある) これはNOだと判断して諦めて、久しぶりにバスタブにお湯を溜めて、疲れた体を癒して寝ることにした。 翌朝は6時から日本とのオンラインミーティングがあったので、昨夜は寝不足になってしまったが、体調はすこぶる良い。今日も南インドで著名なアンナ大学での講義があるので、また頑張るぞ!!
Vol.1-6
インドあるある話(第六話) 26日(Day5) チェンナイ、29度 朝6時の日本とのオンラインミーティングのために睡眠不足ではあったが、午前10時にホテルを出てタクシーに乗り、予定通り日本総領事館を訪問して、領事にご挨拶と11月に予定されている神奈川県産業振興センター主催の視察研修ツアーで再訪問することの確認、設立準備中の関西日印協会についての説明を行って退出。帰りはインド名物のオートリキシャ(3輪タクシー)をつかまえて料金交渉(あるある)して、久し振りに市内のリキシャライドを楽しんだ。当初の予定ではホテルを11時に出発して、著名な州立アンナ大学との面談を11時半にすることになっていたが、前日に12時半訪問に変更となった。(あるある) 訪問すると、予定にはなかった(あるある)キャンパス内の創立者像前での写真撮影に加えて、その日は日本人学生3名が訪問中なので面談してくださいとのことで、会うことに。予想通りアンナ大学と交流のある横浜国立大学の学部と学院生が来ていた。その面談もそこそこに、教員用の食堂でランチを済ませて、いざ講演会場へ。 この時点で当初の予定から30分遅れていた。(あるある) 順調に講義とQ&Aを終え、記念撮影も少なめで大学を後にした。
Vol.1-7
インドあるある話(第七話) 26日(Day5) チェンナイ、29度 アンナ大学での講演を無事に終えて、現地のコーディネーター(古い友人)と、ニューデリーからの随行者と3人で、近くの和食レストラン「北海道」で夕食。初めての場所であったが、寿司カウンターがあって、靴を脱いで上がる掘りごたつ式の仕切りのあるテーブル席に座ると、インド人仕様なのか足が床に届かない!! テーブルが手元からちょっと遠いので、居心地が悪い!(あるある) 店員に勧められて奥のカラオケ個室に移動した。メニューは驚くほど豊富で、一品料理と寿司刺し身(ネタは限られる)、丼もの、定食もの、麺類も揃っていて、鰻まであるではないか!! しかも値段はニューデリー近郊の和食レストランの半額!! メニューの書き方にも、所々に違和感を感じたので、「ハハァ、ここは日本人の経営ではないなぁ。」と断定、そしてアルコールドリンクメニューを求めると、メニューは無いと言うので、ビールはあるの?と聞くと、YES。そうか、やはりここはリカーライセンス無しでアルコールを提供している闇カラオケ店と判明。インドでは珍しい鰻を注文すると「今日は切れています。」(あるある)(moon apology) ずっと脂っこいインド飯が続いていたので、ハマチの刺し身と豆腐とアボカドのサラダを注文したら、どれも美味しかった。ビールと酎ハイを飲んだら、その料金は印刷された伝票の上に手書きで合計金額も追記されていた。(あるある)(moon wink) カラオケ設備を見ると、見慣れないブランドの音響機器があり、曲選びの分厚いファイルを見たら、半分は韓国語であった。日本の唄はせいぜい100〜150曲程度か、これでは日本人は来ないだろう。試しに一曲、唄ってみたがエコーが効かないので店員を呼んだが、やっぱりダメ。これでは気持ち良く唄えないと思うが、韓国人は平気なのかも知れない。 ともあれ、ホッと一息つく癒しの夕食であった。


Vol.1-8①
インドあるある話(第八話) 27日(Day6) チェンナイ、27-3 4度C チェンナイから西に車で約1時間のアバディという街にあるMurugappa大学が今回の全4回の研修講義ツアーの最後であった。受講生は約100名で、工科大学だが女子学生も半数近い。最も反応が良かった印象がある。 チェンナイのような大都市で無いせいもあるのか、特に女子大生が幼く見えた。3時間半に亘る講義を無事に終えて、大学の教員食堂でランチをご馳走になった。 インド人は通常右手だけで食べる。スプーンを使うことはあっても、ナイフやフォークを使うことが無い。(あるある) これは10年以上インドに住んでいた自分としても、余り好まない習慣であるが、実際にやってみると、これが意外と最も食べやすいことに気付かされるのだが、それでも好んでしないのは、何となく野蛮なイメージがあるからかも知れない。 食後、珍しくほぼ予定通りの時刻に空港に向けて移動した。



Vol.1-8②
インドあるある話(第八話続き) 27日(Day6) チェンナイ、27-3 4度C 珍しくほぼ予定通りの時刻に空港に向けて移動した。チェンナイ空港でチェックインを済ませ、セキュリティではベルトを外すのを忘れて、また手荷物検査のコンベヤーに乗せた。(あるある) 空港によってはベルトを外す必要が無いこともあるので混乱する。(あるある)セキュリティを出たところから出発ゲートの周辺まで、たくさんのブランドショップやブティック、アクセサリー店、お土産店、レストランやバーやスナックスタンドなどが立ち並んでいる。インドの民族衣装店に入って、いわゆる「モディジャケット」と呼ばれるベスト風のジャケットを観ていたら、前がボタン止めではなくジッパーになっている珍しいジャケットが気になって、「このジャケットは新しいモデルなの?」と店員に聞くと、「はい、新しいモデルです。」「いつ頃発売されたの?」「つい最近です。」「色は他にあるの?」「いえ、この色だけです。」とやり取りして、自分のサイズがあったので羽織ってみるとピッタリであった。念のためにタグを見たら、製造年月が2022年3月とあったので、「2022年製造とあるじゃないか、新しいモデルではないね」と言うと、「この店では最近発売したばかりの新しい商品です。」(あるある)ともあれ、気に入ったので買ってしまった。




Vol.1-9
「インドあるある話(第九話) 27日(Day6)グワハティ 26~30度C インド北東地区の玄関口であるアッサム州グワハティ市に定刻より30分遅れで午後9時30分に到着。手配されていたタクシーに乗り込み無事に宿舎となるIndia Clubに着いてチェックインすると、旧友たちが待ち構えているBarに下りて久しぶりの再会を祝して乾杯!翌日に当地で開催される「日印教育イベント」に福岡から参加された日本語学校の幹部の方が来られていて、数年振りの再会に感激したが、その方々の名前を思い出せない!! (あるある) かなり飲んで部屋に戻ると、冷房が20度Cに冷え切っている。(あるある)エアコンを止め、バスルームの窓を開けて外の熱気と湿気を室内に迎え入れた。荷物を開けて早速パソコンや携帯を充電しようとしたが、部屋のコンセントの差し込みが緩くて安定して電源が取れない‼ ガチャガチャやっているとコンセントカバーが外れた!! (あるある) 部屋の中の全てのコンセントを試してみたが、どれもダメ‼ 諦めて翌日、プラグアダプターもしくは延長コードを入手することにした。(あるある) おまけにトイレに備えてあるペーパーがキッチン用のように硬くて粗いので、これはそのまま使うと★になりそうで、少し水で湿らせて使うしかない‼(あるある)やれやれ、旅の疲れを癒してくれるはずのホテルでこれなのだ。インドに慣れていない人には4つ星以上のホテルをお奨めする。
Vol.1-10
「インドあるある話(第十話) 28日(Day7)グワハティ 26~30度C いよいよ本日は北東インド初の「日印教育イベント」の開催日である。 会場は当地で著名なCotton Universityの500名収容の大講堂だが、事前の参加登録は1500名を超えているという。通常インドでは事前登録者の数の半分から7割が当日出席すると言われているが、明らかに収容人数を超えていたため、昼食の準備が足りなかったようだ。(あるある)(moon troubled) このイベントではアトラクションとして、「茶道のお点前」を正式な開会式の前に実施して、自分はその説明役(半東役ではない)を無事に務めた。開会式ではインド政府の大臣とアッサム州の教育大臣がVVIPとして招聘されていて、在インド日本大使館からも参事官がVIPとして臨席された。一通りゲストのスピーチが終わって開会式を終えて、ランチ休憩。午後のセッションでは最初に自分が”Opportunities for Indian Youth with Japan"と題するプレゼンをしたのだが、学生が会場最後部辺りに立ち止まって騒がしくしているので、「できるだけ前に来て座って静粛に!」と何度も注意をしなければならなかった。(あるある)プレゼンの途中で2度、数十秒の停電が発生した(あるある)が、慣れっこになっているので、絶えることなく続けて予定時間で終えた。多くの学生や教員から好評を得たようで安堵し、遅いランチに向かった。 今回のイベントでは多くの課題が残されたが、概ね成功裡に終えることができた。主催者であるIJBC(Indo Japan Business Council)のアドバイザーの立場である自分にとっても貴重な体験となった。この日の夕食は関係者での打ち上げ会となったが、その中に主催者の幹部の一人が夫人を同伴して来ていた。(あるある)西インドのムンバイに住むその幹部は、恐らく初めての北東インド出張に夫人を伴って旅行を兼ねて来たようだ。(あるある)



Vol.1-11
「インドあるある話(第十一話) 29日(Day8)グワハティ 26~31度℃ 昨日のイベントを終えて一休み。主宰者で当地のパートナーの友人宅に、主催者幹部とランチに呼ばれた。小高い丘陵に建つ邸宅は、インドの富裕層の象徴で、近くに大河を見下ろす見晴らしの良い庭園、10人の来客を迎えられる上品なリビング、レストランの厨房のように広いキッチン、ブティックホテルのような洒落たダイニングなど、典型的だ。(あるある) 彼の父親とは数年前にも会っていたが、今年100歳になるという老人は、杖をついて歩き、食事もでき、認知はあるが少し会話もできる人で、自分の若さを再認識させられた。インドの平均寿命は68歳と言われるが、これは公衆衛生と医療不足に起因する乳幼児死亡率の高さや感染症などで早死にするケースが多いことが平均寿命を低くしているだけで、決して医療技術が遅れているわけでは無い。実際には90歳を超える人も少なくないようだ。 インドの美味しい家庭料理とお酒を堪能し、ほろ酔いどころか、かなり酔って夕方ホテルに戻ると、これまでの疲れが溜まっていたのか、バタキューであった。
Vol.1-12
「インドあるある話(第十二話) 29日(Day8)グワハティ 26~31度℃ ここの宿舎(インドクラブ)はホテルでは無いが、宿泊と食事ができる会員制クラブで、テニスコートやプールなどの施設があり、家族やグループでパーティをしたりする富裕層の社交場である。インド各地にあるある施設だ。 ランドリーサービスは無いが、頼めば近くのランドリー店に持っていってくれる。翌朝には仕上がるというので、念の為に1日早目に頼んでおいたら、翌日10時頃にランドリー店から部屋に届けてくれた。インドではアイロンを高熱でかけるので、時折生地を傷めてしまうことがあるあるので、高級な服をランドリーに出すのはリスクが伴う。貝のボタンが欠けて戻ってきたりする。(あるある) (moon apology) 今回は9点で700ルピー(約1250円)掛かったが、問題なく綺麗に仕上がったようなので、配達してくれた老人にチップをはずんだら、ニッコリ笑顔で合掌して立ち去った。
Vol.1-13
「インドあるある話(第十三話) 30日(Day9)グワハティ 曇26〜31度℃ インド低所得層の日常の足となっているリキシャ(3輪乗合タクシー)には2種類があり、旧態依然とした人力3輪車と、屋根付きだがドアも窓も無い3輪バイクのオートリキシャ(略称オート)があるが、今回2年振りにインドを訪問して驚いたのは、人力車にモーターが付いていて、もはや人力ではなく、電力リキシャに、オートの多くがもはやCNGガス車ではなく、EVリキシャに替わっていることであった!! インド自動車業界のEV化は実は2輪車と3輪車が主流となっていることを実感した。これに加えて、市内の路線バスのほとんどがエアコン付きの快適なEVバスになっていたことも印象的であった! それでもまだエアコンも無く窓は開け放しで黒煙と悪臭を撒き散らす旧態依然としたバスが走っているのもインドあるあるだ。

Vol.1-14
「インドあるある話(第十四話) 30日(Day9)グワハティ 曇26〜31度℃ 今日はグワハティ市内の私立大学を訪問し、同学で日本語教師をされている日本人の先生の案内で副学長先生との面談が実現。同学には現在140名の日本語学習者がおり、11月上旬にJapan Carnivalというイベントを初めて開催することを知った。日本の文化に関するあらゆるテーマについて出展することができるらしい。できれば次回のインド訪問時に参加できればと思う。副学長先生との再会を約束しておいとました。 この後、日本人の先生のご自宅のあるIIT-Guwahati校のキャンパスに移動する際に驚いたことは、通常インドではドライバーを雇っているものだが、なんとその女の先生は自身で運転されているというのだ!! 自分もドバイ、メキシコでは休日のみ、サウジとアメリカでは毎日、自ら運転したが、インドでは危なくて自分で運転する事など有り得ないことであったからだ。交通ルールを守らない乱暴で危険なドライバーが多いからだが、同先生によると、運転免許は車の操作ができることを確認するだけで取得できたそうだ。(moon apology) ご主人がアッサム州出身ということでIIT-Guwahati校の教授をされていて、同先生の教員用宿舎は緑に囲まれた広いキャンパスの一角にあり、質素で典型的な、しかし日本の標準よりは相当広くて天井も高いアパートであるある。10歳の男の子と5歳の女の子が賑やかに出迎えてくれた。同日は偶然にも先生(母親)のお誕生日と重なり、バースデーケーキと紅茶とスナックを戴いて子供達の遊び相手をしているといつの間にか日が暮れていた。国土が東西に広いインドでは、東に位置するグワハティは中央のニューデリーより半時間、西のムンバイよりも1時間ほど日の出も日の入りも早いのだ。
Vol.1-15
「インドあるある話(第十五話) 1日(Day10)グワハティ 曇り時々雨28度℃ いよいよグワハティ最後の日となった。パートナー会社の事務所を訪問し、今後の人材開発と日本に誘致する事業についてディスカッションをした後、ローカル政府機関を訪問した。その後、ITIと呼ばれる職業訓練校を訪問したが、そこは女子校であった。ロボティックス、コンピューターサイエンスなどの基礎コースに加えて、ドライバーになるための運転のシミュレーターがあり、興味本位で試してみたが、これは今一つ面白味も臨場感も無かった。 公式の予定を全て消化して、ダウンタウンの市場に出かけた。2年間使用していなかった現地の銀行口座のキャッシュカードが使えた時は歓喜した! オートに乗って行った旧態依然とした市場は賑わっていて活気がある。ここは何十年も前から同じ景色であるに違いない。
Vol.1-16
「インドあるある話(第十六話) 1日(Day10)グワハティ 曇24℃ 空港に到着して、出発ロビーに入る際にパスポートとチケットのチェックを受けるが、自分のパスポートを見た係員が、「貴方、日本人ですか‼️、アッサム人に見えますよ‼️」と言って笑顔で通してくれた。(あるある) ロビーの中でIJBCの幹部と合流してチェックインを済ませ、セキュリティーチェックへ。ボディチェックをした係官が搭乗券をマジマジと見て言うには、「アッサム人に見えるが、どこから来た❓️」、「日本です。」、「やっぱりね。名前でそうかなと思ったよ」という具合である。北東インドに来ると、どこでもあるあるだ。(moon oops) 夕食をフードコートで。郷土料理店でアッサム風タリー(定食)、とは言ってもやはりカレー(あるある)だが(moon laugh)注文したら、美味しかった‼️ 薬草が入ったような冷たいドリンクが食欲を増してくれた。 午後11時過ぎに出発する深夜便で、20分遅れで出発したが、(あるある)2時間30分のフライトが長く感じられた。それもそのはず、いよいよ我が「第二の故郷」である、西インドのプネに向かっているからだ。それはまるで2年振りに里帰りするかのように興奮して眠れない。


Vol.1-17
「インドあるある話(第十七話) 10月2日(Day11) プネ 曇 27℃ 深夜便で約30分遅れ(あるある)でプネに到着した。我が第二の故郷である。ここは飛行機から地上に降りて、そのままターミナルビルまで1分ほど歩く、懐かしい空港である。ふと見ると見慣れたターミナルビルの直ぐ隣に新しいビルが併設されていた。明後日イベントを実施する、馴染みの大学が迎えの運転手を手配してくれていたのだが、上手く見つからず、電話しても英語が全く通じないドライバーなので、(あるある) 一緒に乗ってきた仲間に話をしてもらって、乗り込んだ。午前3時を過ぎていた。午前4時前に大学に着いたが、さてどこの宿舎なのか、どうやらドライバーは知らないようで、(あるある) 自分が連絡を受けていた男子寮の名前を言っても、初めての場所のようでキャンパスの中のどこなのか分からないようだ。深夜なのでキャンパスは静まり返っていて、車でウロウロすると野良犬が襲いかかってくる‼️(あるある) ようやく早朝出掛ける人を見つけて場所を確定することができた。宿舎の管理人が寝ているところを起こして部屋に入れてもらったら、3人部屋でバストイレは隣の部屋との共有であった。ともかく旅の疲れと寝不足を回復するために床についた。 当初は大学のゲストハウスに泊めてもらえる予定と聞いていたのだが、今回は運悪く翌日に他の一大行事があって、VIPが占有していて空きが無かったと直前になって知らされた‼️(あるある) それにしても、VIPであるはずの自分の到着は関係者に周知されていたはずだが、ドライバーといい、宿舎の管理人といい、全くちゃんと段取りしていないのも、インドあるあるだ。
Vol.1-18
「インドあるある話(第十八話) 2日(Day11)プネ 晴れ 20~32℃ 朝食を終えて、招聘してくれた大学の教授と再会し、知り合って9年になる学長に挨拶に行った。学長も親しく迎えてくれて、旧交を温めることができた。以前に約1年半この大学で教鞭を執ったことがあるので、よく知っている友人だ。明日の日印関連のイベントでは学長も参席されることも確認できた。この後、関係者に挨拶してイベント会場の下見と準備に取り掛かり、ランチの後で宿舎で少し休憩。 世話役の日本語教師に昨夜の宿舎探しについて優しくクレームすると、「ドライバーにはちゃんと伝えていましたよ。」と言う。(あるある) 伝えた側は役割を果たしたので責任は無いと考えているので、謝ることもない。これはインドに限らないが、「ちゃんと伝えた」と「ちゃんと伝わっていた」とは大違いのようだ。(あるある)
Vol.1-19
「インドあるある話(第十九話) 2日(Day11)プネ 晴れ 20~32℃ 午前中に学長に挨拶に行く途中で、同大学の創立者で総長が専用車で市内の本部からこちらのキャンパスに到着するのを目撃していたので、担当教授に総長に挨拶ができないかと頼んでみたら、夕食後に総長の宿舎であるゲストハウスを覗いて見るとチャンスがあるかもとアドバイスを受けた。行ってみると丁度総長が独りで休憩されているところで、部屋に通してもらった。総長は懐かしく親しく迎えて下さって、楽しい一時を過ごすことができた。(あるある) 同総長は自分が2015年に初めて大学で講演した際に、予期せず途中から臨席され、Bell of Hiroshimaという原爆と平和を綴った分厚い本をプレゼントして下さって以来のお付き合いである。2018年に幕張で開催された「世界宗教者会議」にインドを代表して来訪された折にも会うことができた。その総長との久しぶりの予期せぬ偶然の再会は、何とも言い難い命運を感じ、感動した。ある程度親しくお付き合いをしていると、どんなに偉い人物であっても、アポ無しで迎え入れてくれるのは、インドに限らないが、有り難いことと思う。(あるある)
Vol.1-20
「インドあるある話(第二十話) 3日(Day12)プネ 晴れ 21~32℃ いよいよ本日がメインイベントの日。午前中は大学恒例の年中最大行事である「世界平和会議」が開幕した。キャンパス内にある世界一高いとされるドームが会場で、世界中から多くの宗教家が招聘されてスピーチをする2日間のイベントである。今回は仏教の代表者はインドの高僧であった。自分は別の午後の日印関連イベントに招聘されていて、この偉大な世界大会には参加する予定ではなかったが、昨晩、首尾良く総長との再会が実現していたので、会場に足を運んだ。受け付けで旧知の大学職員を見つけたので、登録もせずに入ることができた。(あるある) 正面舞台の壇上には、中心に総長を挟んでお偉方面々が10名ほど鎮座されていた。式次第進行役をしていた友人の教授を見つけて、ビデオ映像が流れている隙に声をかけたら、懐かしがってくれて、「壇上に上がって後ろに座れ」と言ってくれたので、遠慮なく壇上に上がったら、また別の旧知の教授とも再会の挨拶を交わした。総長のスピーチが終わって休憩に入った時に、壇上最前列におられたVIPにも紹介してくれた。そのVIPは午後の自分のイベントにも飛び入り参席することになったのだが、これも人が結ぶご縁というものだ。これまでにもインドの友人たちが、どれだけの素晴らしいご縁を結んでくれたか、数え切れない。善意の連鎖とでも言おうか。(あるある)
Vol.1-21
「インドあるある話(第二十一話) 3日(Day12)プネ 晴れ 21~32℃ 午後2時スタートのメインイベントは2つあって、一つは自分が学生に向けて ''Opportunities for Indian Youth with Japan''というテーマでプレゼンする講演会、そしてもう一つは「伝統文化を守り、環境にも優しくなろう」というメッセージを込めた、日本の古着物で手作り(再利用)されたインドのサリーのファッションショーであった。 午後2時を過ぎても始まりそうに無い(あるある)ので責任者の教授に様子を聞くと、学長がもうすぐ来られるとのことで待っている(あるある)とのこと。先に会場に到着されたのは、午前中の「世界平和会議」のVIPの女性ともう2人の招待客であった。結局、学長が到着するまで更に15分待って、先ずは自分の講演を20分で切り上げた。これは言わば前座であったからである。 定刻より約30分遅れ(あるある)で、いよいよ本日のメインイベントのファッションショーが始まった。今回日印で初めてお披露目した着物とサリーの日印フュージョン・ファッションを自ら手縫いで創造したのは、自分と共に長年に亘り日印の文化交流や人材育成に携わっているアーティストで、書道家で茶道家でもある日本の伝統文化の伝道師と言って良い古い友人だ。自分は彼女のアシスタントトとして通訳を務めたが、自分も初めて見る素晴らしい作品の「着物deサリー」の数々には感銘を受け、思わず通訳のテンションが上がっていた。いくつかの作品はサリーと着物の組み合わせとなっており、留め袖と合わせたものなど、意外で絶妙なコンビネーションの妙があったし、着物だけで作られたサリーは、特に友禅などはインドでは決して見られない贅の極みであった。学生も招待客も魅せられていたに違いない。(ショーの写真は追って) ショーが終わって、学長から過分のお褒めと感謝のお言葉を頂戴して、一仕事を終えた達成感に歓喜し安堵したのであった。


Vol.1-22
「インドあるある話(第二十二話) 3日(Day12)プネ 晴れ 21~32℃ 馴染のMIT-ADT大学での日印イベントには、旧知のインド人の家族が来ていた。その家族は、数年前に日本語教室を田舎の街で初めて開設した折に、自分がVIPゲストとして招待されたご縁があった。以来SNSで繋がっていたので、彼らもこのイベントを知り、遠くから駆けつけてくれていた。イベントが終わると、待ち構えていたように自分のところに近づいて来て、数年前の同教室の開講式の写真を大きくプリントしてフレームに収めたものを贈呈された。(あるある) 気持ちは有り難いのだが、大きくて重い額縁を日本に持って帰ることはできない(国内線の預け入れバゲージは15Kgまで)ので、フレームから写真だけを剥がして持ち帰ることに。インド人から頂いたプレゼントは相当数に及ぶが、実のところ貰っても有り難くないものもあり、その扱いは悩ましいものがあるある。どうやらホスピタリティの感覚が日本とは違うように思える。 今回のイベントを引き受けてくれた担当教授と世話になった大学の皆さんにお礼の挨拶をして大学を出発し、プネ市内の中心部のホテルに移動した。打ち上げをしようと、IJBCの仲間と近くでお酒が飲めるレストランを探したが、バーはあってもレストランは周辺には見当たらず、少し歩いて行かねばならなかった。(あるある) 一つ大仕事をやり遂げた満足感と達成感、そして今回のインド出張のフィナーレに乾杯!!
Vol.1-23
「インドあるある話(第二十三話最終回) 4-5日(Day13-14)プネ→デリー→シンガポール 早朝ホテルを出発してプネ空港の新しいターミナルに到着。ギリギリのタイミングで搭乗してデリーに飛んで、空港のカフェで今回の出張でお世話になった旧知のAOTSの所長さんと再会。その後、市内に出てJCCII(日本インド商工会)事務所にお邪魔して、事務局長とANAのトップと、昼食で旧交を温めた。 デリー空港から夜行便でシンガポールへ飛んだ飛行機は初体験となるA380-800で、2階は全てビジネスクラスだ。フルフラットシートで快適だった。この機材ならもっと長く乗っていたいと思う。(moon apology) 今、正にシンガポールから関空に向かっているところだが、今回の2週間のインド出張を振り返って総括しよう。 ①インドは日本とは対照的で、若者の活力があり、経済成長も確実である。プネには2年前には工事中だったメトロ2線が運行しているし、各地の空港も拡大中である。EV化も進行中。 ②日本はまだまだインドを知らず、途上国扱いしていて、本気でインドと組もうとしていない。(見下している。) ③インドの社会格差が広がっていて、モディ政権の政治の舵取りが難しくなっている。 ④上記の事情から、自分がやらねばならないことがまだまだあることを再認識させられた。 実は10月1日に実母が他界した。以前から自分は親を見送ることは無いだろうと覚悟を決めていた。実父の時もインドに居た。この予期せぬタイミングは自分の命運であったと思っているので後悔は無いが、初曾孫を抱かせてあげられなかったことと、こんな自分に産んで育ててくれた母への感謝の言葉を直接伝えることができなかったことは残念でならない。人が聞けば親不孝者と言われるかも知れないが、自分には母が「シッカリ役割を果たして帰ってきなさい」という言葉が聞こえたのである。数々の幸運なる出来事も母の蔭なる導きであったと思えるのである。家族に大きな負担をかけることなく逝った母にインドから感謝の念を送った。
Vol. 1 END
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