デリー→ハイデラバード→コルカタ→アイザウル→ニューデリー→ムンバイ→プネ(Feb/23~)
Vol.8-1
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第一話】(Day-1:Feb/23 )デリー 晴16℃
今日から約2週間のインド出張が始まった。何年か振りに搭乗したJAL便はB787で文句無しに快適であった。夜行便で夜8時15分発、デリー到着は翌日未明の午前3時が定刻だが、45分程度早く到着した。夕食も和食には味噌汁がついてくるし、日本酒も飲める。到着前には朝食も出してくれたが、流石にカロリーオーバーになるので、ヨーグルトとコーヒーだけを戴いた。感心させられたのは、夕食の食材についての説明カードが写真付きで付いてきたことだ。インド人にはベジタリアンもいるので、食材がベジタリアンかノン・ベジタリアンかを明確にしているのは気が利いている。モチロン、日英語対応である。約9時間のフライトで映画も3本観れたので、大満足。
デリーは深夜なので気温は16℃で快適だが、日中は20℃を超えそうだ。
今日は午後便で南インドのハイデラバードに飛ぶので、国内線ターミナル2(T-2)に移動すべく無料シャトルバスに乗ることに。ここで注意すべきは、バス待合ラウンジに立ち寄って、乗ってきたフライトのボーディングパスと乗り継ぎ便のチケットを見せて無料乗車券を取得しておかねばならないことだ。それがないとシャトルバスは有料になるからだが、今日は混んでいたからか、そのチェックは無かったので、乗車券を見せる必要も無かった。
しばらく空港に居ると暑くなってきたので、冬服から夏服に着替えて、乗り継ぎ便のチェックインを待つことにした。
国内線に乗る際に注意すべきことは、預ける荷物の重量制限が通常は15Kgで、持ち込む手荷物の重量制限も7Kgまでとなっているため、国際線でインドに飛ぶ時と、国内線に乗り継ぐ場合では、重量制限が異なるため、今回は国内便の予約時点で荷物の重量制限の選択を20kgまでとしておいた。その分料金は少し高くなる。そして国内便のチェックインをする前に荷物の重量を測っておかねばならないのである。そのため、ターミナルには必ず体重計が設置されてあるある。
今日は預け入れ荷物は18Kg、持ち込みキャリーバッグ(ハンドバッグは対象外)は、成田空港内で土産を買い足したため8Kgになっていたので、約2kg分をキャリーバッグからスーツケースに移し替えた。これでバッチリ制限内である。(第一話完)

Vol.8-2
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二話】(Day-1:Feb/23)デリー 晴14℃~28℃
午後の乗り継ぎ便にセルフチェックインしようと、カウンターには並ばずにKioskで情報を入力してボーディングパスと預け荷物に付けるタグを印刷したまでは良かったが、いざバゲージ・ドロップしようとしたら、重量測定機がエラーになってしまった。他の機械でも試したが同じ。係員にも見てもらったがうまく動作せず、「カウンターに並んで下さい」と言われた。ヤレヤレ、時間に余裕があるから問題はないが、長い列に並ぶことになってしまった。インドの弱点はこういった機械のメンテナンスであるある。そもそも係員は機械が動作しないことに対する責任感に欠けているのだ。それは自分ではなく、エンジニアの仕事だと理解しているようだ。
インドの空港の多くは、出発ロビーにMobile Charging Kioskという携帯電話を充電するための設備があって便利である。助かるのは日本式の平2ピンタイプでもそのまま差し込めることだ。
Kioskには商業用モニターがあり、流れていた映像は、デリー空港が7年連続のベスト空港(恐らくインド国内での評価であろうが)であったことをPRする映像だった。(第二話完)

Vol.8-3
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第三話】(Day-1:Feb/23) ハイデラバード 晴19℃~30℃
定刻より15分早く到着し、バゲージ受け取りのためのターンテーブルに着くやいなや、この後訪問して講演する予定のインドビジネス大学院でお世話になっている日本人留学生と予期せずバッタリ出会った。彼はインドの友人の結婚式に招かれて北部の地方に旅行した帰りに、フライトが遅れて偶然にも同じ時刻にハイデラバード空港に着いたようだ。2人で空港から大学に直行して、留学生の寮でシャワーと着替えをして、大学幹部との面談後、講演会に臨んだ。聴講者はインド人が11名と日本人が9名。講演の題目は''The Japan Edge, Lessons from Japan's Post-War Miracle for India's Manufacturing Era''で約1時間の講義とQ&Aであった。インドの学生はこの4月に卒業するので、リーダーシップとチームビルディングについても、自分の長年のグローバルビジネス経験に基づく教訓について話をした。
この後、洒落たビアホールでの夕食懇親会では日本の大学他からの来訪者と国際交流基金のインドチームを迎えて、愉しく賑やかに過ごした。
昨晩の夜行便では寝不足状態であったので、国内乗り継ぎ、講演と懇親会で休む間も無く、疲れが溜まったようだ。今夜はグッスリ眠れそうだ。 (第三話完)


Vol.8-4
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第四話】(Day-2:Feb/24) ハイデラバード 晴19℃~29℃
今朝8時に貸切バスで、郊外の私立大学に向けて出発予定と聞いて集合場所で待っていたが、バスが予定通りに到着せず、何か所かを廻って同乗者をピックアップして来るため、かなり遅れそうだということで、近くのカフェで待機することに。(あるある)
結局出発したのは午前9時15分であった。今日の大学での日印文化交流イベントは9時半に始まるそうで、今からでは開会には間に合わないが、みんな大きな問題ではないという感じであるある。日本人の学生や教員も同行しているが、既にインドでの経験が多少あるらしく「郷に入っては郷に従え」と心得ているようだ。
午前10時半過ぎに今日のイベント会場の大学に到着した。何と実際のところ開会式は11時からスタートであった。自分は7人の1人として前のVIP席に座り、最後のスピーカーとして、今後ハイデラバードが日印の最も重要なハブになると、短いが熱いメッセージを送った。
開会式の最後はデザイン科のインド人学生によるファッションショーで飾られた。ベジタリアン・ランチの後、日本人学生7名による英語でのショート・プレゼンテーションが披露された。中には非常にユニークで印象に残るプレゼンをした学生もいたが、多くは個人的、主観的な話に留まっていた。その後でインド人学生3人グループによる日印関係のプレゼンがあったが、その内容は非常に良く学習されていて、素晴らしかった。日本に行ったことのない学生達で、恐らくAIを駆使したものと思われるが、僅か2時間で作り上げたという。それもかなり盛っているように思えた。(第四話完)



Vol.8-5
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第五話】(Day-2:Feb/24) ハイデラバード 晴19℃~29℃
今日のイベントはKIZUNA MATSURIという日印文化交流の盛大なお祭りで、Woxsen大学に昨年設立されたWoxsen Japan Centre(WJC)という組織による初めてのイベントである。
夕方からの第二部では屋外ステージでの日印の伝統音楽と舞踊のパフォーマンスやマーシャルアーツ、いけばなデモ、コスプレなどであった。日本からインドを学びに来ていた学生たちによる「ソーラン節」や、「炭坑節」の盆踊りも披露された。日本とインドは踊りのスタイルもスピードも音楽も異なるが、こうして同じイベントで競演されることで、日本もインドも、どこか人のハートに響き、ワクワク心躍らせるのは同じである事を思い知らされる。
本日の初の日印文化交流イベントは大成功裡に終えたと言えよう。(第五話完)


Vol.8-6
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第六話】(Day-3:Feb/25) ハイデラバード 晴20℃~29℃
夕べ遅く宿舎に戻って、同宿の日本の学生さん達と話をしながら飲み過ぎたようで、今朝は寝坊してしまった。慌てて支度をして半二日酔いの状態で午前の訪問先に向かった。そこはインドでも希有の(64万平米もある)大規模な日系重電(電力送電関連)企業の工場である。社員数は5千人を超えるが、日本人駐在員は12名、総売上の65%は中東アフリカ、欧州、中南米向けの輸出という。インドで日本品質の製品を生産し、国内市場向け以上に世界に輸出しているのは、恐らくインドの日系工場としてはトップランナーであろう。2013年に操業開始して10年を超えているが、色々な苦労話が聞けて大変勉強になった。日本から研修旅行に来ている学生さん達にとって非常に有益な経験であったに違いない。自分にとっても最新のインドのモノづくりの現場を見れたことは貴重な体験となった。
社員食堂でご馳走になったランチでは、特別に当地で有名な「パラダイス」社のマトン・ビリヤニ(インド風釜飯)が美味しかった。
(第六話完)


Vol.8-7
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第七話】(Day-3:Feb/25) ハイデラバード 晴20℃~29℃
工場視察の後、自分がアドバイザーを務めている、当地の日系コンサル会社、Indobox India Pvt. Ltd.による新たな挑戦となる、日本語教育事業を担うIndobox Academyという日本語スクールが本日ハイデラバードに開設された。同開所式に参加して、出席していたインドの若者に、日印の歴史的な関係と将来展望、日本語を学ぶことのメリットについて熱く語った。まだ数人しか受講登録が完了していなかったが、これから多くの受講生を獲得するために、自分も尽力していきたいと思う。(第七話完)



Vol.8-8
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第八話】(Day-4:Feb/26) ハイデラバード 晴21℃~31℃
昨夜の夕食は、中華のホームデリバリーであった。当地に研修旅行で滞在中の日本の学生さん達と訪問中の大学教授、かのISB大学院のMBA留学生、AIESEC(非営利国際学生交流団体)を通して当地でボランティア活動をしている学生2人も含め、総勢12人での賑やかな夕食会となった。うち1人がこの後空港に向かって帰路についた。一度にこれだけの日本人の若者が集うことは、ここハイデラバードでは数年前までは想像もできないことである。丹治社長が率いるIndobox社が2024年5月に当地に拠点を構えたことを契機に、昨年から当地での日印間の人的交流が著しく拡大している。今年(午年)はユニコーンのごとく更なる飛躍をすることは確実だ。自分もほんの僅かだが、アドバイザーとして貢献できていることを嬉しく思う。(第八話完)

Vol.8-9
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第九話】(Day-4:Feb/26 )ハイデラバード 晴21℃~31℃
今朝は当地の半官半民のスタートアップ・インキュベータ施設の一つであるT-WORKS(Vol.2-17話参照)を久し振りに訪問した。研修旅行中の大学生と研究出張で当地を訪問中の大学教授に同行した。ここはモノづくりのワークショップである。程なく別の大学教授と名古屋市の職員の方がジョインされて、T-WORKSの幹部との面談を行なった。
その後、WE HUBという女性のエンパワメント(就業支援)を推進している政府組織を訪問した。ココとも何か協業できそうな気がしている。(Vol.6-25話参照)
最後にもう一つのスタートアップ・インキュベータのt-hub (Vol.2-17話参照)で開催中の日印の大学間の勉強会(名古屋大学、静岡大学他が参加)を視察。久し振りにt-hubの国際連携担当者と再会した。その後、T-WORKSに戻りJETROベンガルール事務所ご一行様との面談を終わって宿舎に戻った。ハイデラバードの最終日で忙しい1日であった。(第九話完)



Vol.8-10
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第十話】(Day-4:Feb/26) ハイデラバード 晴21℃~31℃
夕刻のハイデラバード、通勤渋滞を少しでも緩和するため、幹線道路の反対側の一車線をブロックして、一部区間のみ進行方向を一時的に逆にしていたのを発見した。
なるほど、そういう手もあるなぁと感心させられた。
これはインドで言う「ジュガール」(一時的即効対策)である。インドではこの「ジュガール」を良く見ることが多いが、その多くは一時的ではなく、恒久対策がないままというのもインドあるある、なのである。(第十話完)

Vol.8-11
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第十一話】(Day-4:Feb/26) ハイデラバード 晴21℃~31℃
インドでの楽しみの一つは、超新鮮な鶏肉を食べることだ。ハイデラバードに来ると、日本から研修旅行に来ている学生さんと同宿することが多いので、生きた鶏をその場で屠殺して売っている店に連れて行き、丸一羽を皮付き(Dressedと呼ぶ)で買ってきて、宿舎で雇っているコックさんに唐揚げにしてもらうのだが、これが最高に美味いのである。この話は既にVol.6-26話でしたが、今回も同じ失敗をしてしまった。レバーと砂肝を残してもらうことを言い忘れてしまったのだ。実のところ、レバーと砂肝こそ、新鮮なので最高に美味なのである。そういうわけで今回の学生さん達はレバーと砂肝抜きで、唐揚げを楽しんでもらったが、いつも通り大好評であった。次回は失敗しない様にしなければ。
ちなみに前回(昨年11月)と今回では若干の値上げが見られた事を付記しておく。(第十一話完)


Vol.8-12
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第十二話】(Day-5:Feb/27) コルカタ 晴19℃~31℃
今朝の8時15分発のIndiGo便でコルカタに飛んだ。早朝に宿舎を出たので約2時間のフライトでは寝ていこうと思っていたが、すぐ後ろの乗客が何度も自分の席を掴んで動くため、揺らされてその度に起こされた。こっちは後ろに迷惑がかからないように、リクライニングも控え目にしているのだが、仕方ない。ここはインドである。他人に迷惑を掛けても「お互い様」なのであるある。
コルカタ空港には様々な神々や歴史的人物などの立体彫刻が展示されていた。インドの空港では、それぞれの地域の特徴をPRする工夫が凝らされているので、ターミナルの中を歩いているだけで愉しくなるものだ。
空港内の土産物屋でも多様な飾り物や額縁を目にする事も多い。またインドの空港は歴史上の人物の名前で呼ばれることが多いが、コルカタ空港はベンガル人でインド独立運動家のネタジ・スバス・チャンドラ・ボース空港と呼ぶ。
当地はベンガル地方で、主要言語もベンガル語である。因みにハイデラバードの主要言語はテルグ語、ベンガルールはカンナダ語である。南インドの言語は多少の共通性があるようだが、ここ東インドのベンガル語はヒンディー語に似ているようでかなり異なる言語らしい。インドの言語に関して特徴的なのは、紙幣のルピー札には17言語の表記があることだ。
搭乗ゲート付近で座っていたら、軽くて短い地震が2度揺れた事を感じた。インドも地震と無縁ではない。
この後、次の目的地である北東インドのミゾラム州に飛ぶ。(第十二話完)


Vol.8-13
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十三話】(Day-5:Feb/27) アイザウル 晴/曇12℃~26℃
コルカタ空港から定刻より20分遅れで北東インドのミゾラム州Aizawl空港に出発した。乗客の大半はミゾラム州の人達と見られ、その容貌は日本人と見分けがつかない。当然だが自分もそう見られている。その証拠に、座席に座ると直ぐに女性から現地語で声をかけられ、「座席を代わってもらえますか? あっ、ミゾの方ではないですか?」というようなことを言っている。小さな男の子も連れていた。どうやら親子で乗ったが、席が離れてしまったようだ。3列後ろの通路側だと言うので、代わってあげた。
ここ北東インドは中国に近いため特別管理地区となっていて、空港では外国人の入境登録が必要である。本来なら事前に承認されていなければならないが、そこはインドであるある。申請書を見せて登録書類を書いたら通してくれた。
空港は山岳地帯にあり、標高は300mほど。そこから約1時間かけて山頂地帯に広がるアイザウル市内までくねくねとした山道を車で登っていく。標高900m辺りまで登ると、山の斜面に街が展開している。更にアップダウンの道を登り、ほぼ市街地の中心にあるホテルに到着。標高は1,027mである。陽が落ちると流石に涼しくなってきたので、冬服に着替えてホテルのテラスに特別に設けられた夕食会場に向かった。(第十三話完)
Vol.8-14
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十四話】(Day-5:Feb/27) アイザウル 晴/曇12℃~26℃
今回のミゾラム州訪問は3度目である。目的の一つは当地で開催中のMizoram Literature Festivalにスピーカーとして参加することであった。同フェスティバルは昨年に続く2度目とのことで、昨日から多くの作家や詩人が集まってインドの文学について語らうイベントのようだ。会場はイギリスの植民地時代に建てられた歴史あるクラブハウスで、その名もAIjal Clubというので、ひょっとしたらと思って聞いてみたら、やはり当時のイギリス人が名付けたようだ。現在はAizawl(アイザウル)と呼ばれるこの街は当時はAijal(アイジャル)と呼ばれていたらしい。これはボンベイがムンバイに、カルカッタがコルカタに変わったことと同類であろう。
夕食会はホテルのイベント会場広場に特設されたビュッフェ形式、着席して会食するスタイルであったが、驚いたのは、ドライステート(禁酒州)なので、公共の場所では飲酒は禁じられているのだが、閉鎖されたグループ内では屋外でもドリンクを持ち込みで飲めることだ。お蔭でドリンクと美味しい北東インド料理を楽しんだ。何とビーフもポークも出ていた。食事に関しては当地は日本人にとっても嬉しい地域なのである。夕食会で主催者の歓迎を受け、多くの文学者に紹介されて会話も弾んだ。参加しているのは自分以外はインド人であるが、その大半は見かけは日本人と変わらないため、自分もいつの間にかグループの中に溶け込んでしまっていることを感じる。
明朝のいつものオンライン授業の準備のため、先に退席して部屋に戻った。(第十四話完)
Vol.8-15
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第十五話】(Day-6:Feb/28) アイザウル 晴12℃~26℃
昨晩は気温が15℃を下回ったようで、部屋に用意されていた電気ヒーターで暖を取りながら仕事をした。朝8時から10時まではオンライン授業をこなし、フェスティバル会場に着いたが、10時15分から始まる予定とプログラムには書かれていたが、10時半になっても始まらず、人の集まりもまばらであったので、ミルクティーをすすりながら、会場に設置されていた屋台の本屋と絵画展示を見ていたら、数人の若者が寄ってきて、「おはようございます!」と挨拶した。気が付くと、最近日本(石川県)に就職が決まった研修生が来ていた。いつの間にか10人程の若者が集まっていた。みんな当地で日本語を学んでいるグループであった。中には前回10月末に訪問した時に会っていたようだ。うち3人は日本で特定技能資格者として、農業と介護の仕事が決まっていて、在留資格証明書(COE)が下りるのを待っている。順調に進めば半年以内には日本に来るだろう。自分がお手伝いをしている送り出し機関としては初のミゾラム出身者となる。全てが順調に進むことを祈るとともに、日本に渡航するまでの間に日本語能力を高めるためのサポートをすることを約束した。(第十五話完)


Vol.8-16
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十六話】(Day-6:Feb/28) アイザウル 晴12℃~26℃
フェスティバル2日目の最初のセッションに登壇することになっていたが、プログラムでは10時15分開始が結局は11時過ぎに始まり、''Northeast India and Japan''という本を執筆した2人の作家による、自分への日印関係についてとアッサム州で人材育成事業をしているJACEEXについてのインタビューであった。また、インド全体で人気のある ''IKIGAI''という、スペイン人が書いた日本の長寿の秘密に関する本についても意見交換した。その後のQ&Aも会場内の聴講者から活発な質問が飛び交った。多くの若者が参加していたので、この機会に日印関係について話ができたことは幸運であった。(第十六話完)



Vol.8-17
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十七話】(Day-6:Feb/28) アイザウル 晴12℃~26℃
ランチはビュッフェ形式だが、北東インドらしいメニューで美味しく戴いた。ご飯は日本米に近く粘りがあって食べやすく、豚肉料理が必ずあるし、野菜スープは唐辛子が入っていて適度に辛くて美味い。そら豆はアッサリした薄味であった。美味しいのでつい食べ過ぎてしまうのが、インドでの悩みの種である。いつもダイエットを肝に銘じて出掛けるのだが、誘惑に勝てない自分の弱さを思い知らされている。言い訳ではないが、「明日死んでも悔いない今日を生きる」ことを常に意識しているので、ダイエットは難しいのかも知れない。(第十七話完)



Vol.8-18
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十八話】(Day-7:Mar/1) アイザウル 晴14℃~28℃
今朝は午前中に当地のホスピタルを訪問することを、昨夜の夕食会で会った経営者から誘われていたのだが、約束の9時に電話が来ないので、こちらからかけたが応答がない。10時になっても連絡が無いので、今回のフェスティバル主催者である知人に確認してもらったら、何ということか。今日は日曜日のため、キリスト教会に行っていて、ホスピタル訪問もできないとのこと。どうやら先方は昨日を金曜日と勘違いしていて、今日は土曜日と思い込んでいたようだ。ヤレヤレ、誘ってくれたのは有難かったが、とんだ迷惑である。本人からも謝罪の電話も無い。まぁ、こんなことも起こるのがインドではあるある。そういう自分も一度、インド人との約束を忘れていたことがあるので、今回の相手を責めることも躊躇う。空いた時間を有効に使うことにした。
午後12時過ぎにホテルをチェックアウトして、ローカルタクシーで約1時間の空港へのドライブである。キャッシュのみと言うので、ホテルの隣にあった銀行で現金を引き出した。
標高1,000m超の高地にあるアイザウル市街を後にして、山を下っていく。空港に近い低地に新設鉄道の建設現場があり、駅が作られているようだ。この駅ができると、デリーまで鉄道で繋がることになるだろうから、貨物として物資の移動が格段に速くなるに違いない。それでも市街地までは40分ほど山道を登らねばならないので、不便は残りそうだが、航空路線に頼っている現状からは抜本的な改善となる。この鉄道建設はインド政府の''Act East''政策の一環であるが、ここが開通すると、北東インドの全ての州都が鉄道で繋がるという。いずれはミャンマーを通して東南アジアに繋がる重要な貿易路線が完成することだろう。いつか、バンコクからインパールに向かう観光列車に乗ってノンビリと旅行を楽しめる時代が来るかもしれない。それまで健康でいなければ。(第十八話完)
Vol.8-19
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第十九話】(Day-7:Mar/1 ニューデリー) 晴17℃~31℃
インドはやはり自分にとって特別なのかも知れない。
ミゾラム州を後にしてデリーに飛んだIndiGo便は流石である。定刻の10分前に出発し、30分早く到着した。エア・インディアではこれはあり得ない。
ターンテーブルで荷物が出てくるのを待っていたら、後ろから ''Tomio san!!''と声がしたような気がして振り返ると、そこには国立ミゾラム大学のV教授がいたのである。どうやら家族で、同じ便に乗っていたらしい。お母上が当地で療養中とのこと。同教授とは実に8年ほど前に同大学で知り合って交信をしていたが、携帯電話番号を何度か変えた時点でコンタクトを失っていたのだ。ところが昨日のFestivalのことを久し振りにFace Book に投稿したら、同教授から直ぐにコメントがアップされていたので、まだ繋がっていることが確認できて安堵していた。そしてFestivalを視察に来ていたミゾラム大学院の女子学生と知り合った際にも、同教授の話をしていたのである。そのV教授本人と翌日にデリー空港でバッタリ出会うとは、何という巡り合わせであろうか!!
この奇跡的な8年振りの再会には何か重要な意味があるに違いないと感じた。恐らくこの先、V教授を通してミゾラム大学と日本の大学の連携の道が見えてくるような気がしたのである。因みに同教授は武道家であり、確か黒帯の空手家ではなかったか、相当な親日家であることは間違いない。数年間途絶えていた交信が再開したので、今後の展開が非常に愉しみである。
同教授とはミゾラム大学での再会を約して別れ、迎えの車で定宿に向かった。(第十九話完)

Vol.8-20
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第二十話】(Day-7:Mar/1 ニューデリー) 晴17℃~31℃
デリー直轄地と周辺都市を含む首都圏をNCR (National Capital Region)と呼ぶが、これはAIによれば以下の通り。
デリー連邦直轄地を中心に近隣州(ハリヤーナー、ラージャスターン、ウッタル・プラデーシュ)の一部を含む、人口約3,000万人の巨大都市圏です。グルガオンやノイダなどの衛星都市を含み、日系企業が約半数集中するビジネスの中心地・巨大工業地帯です。
人口規模だけで3,000万人というと、サウジアラビアやベネズエラなどの中堅国家に匹敵するから驚きである。さらに驚くのは、AIによると、日本の首都圏(1都3県)の人口は3,700万人に上ることだ。2000年辺りまで世界一であったらしいが、現在はジャカルタ、ダッカ(バングラデシュ)に次いで3位という。デリーNCRは4位らしい。
さて、ここデリーNCRでの定宿はAJUホテルグループのAJU HINODEホテルである。ここの創業者でオーナーとは10年以上の付き合いがあり、いつも無料で泊めてくれる。当初は食事代も飲み代も全て負担してくれていたが、それでは余りに厚かましいし、却って泊まりにくくなるため、部屋代だけを負担してもらっている。その代わりでもないが、日本でしか手に入らないお土産を持参したり、ホテルのサービスについて助言したりして僅かだが恩返しをしている。
AJUグループのホテルは日本人専用に作られていて、全部屋にバスタブとウォシュレットがあり、食事は朝昼晩とも和食を提供しているのが嬉しい。自分は毎回インド各地を訪問してインド飯に飽きていて、風呂にも入りたいので、ここに来ると心底ホッとするのだ。
更に洗濯物が無料でその日に出来上がってくるのも、2週間以上の旅芸人には非常に助かっている。
今夜は先ずビールとおつまみセット、続いて豚スタミナ定食で満腹満足。いかんイカン!! ご飯は小盛りでも食べ過ぎてしまった感がてんこ盛りであった。(第二十話完)


Vol.8-21
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第二十一話】(Day-8:Mar/2) ニューデリー 晴17℃~31℃
当地を訪問する際に必ず顔を出す私立学校がある。1年と少しほど前にある教育関係のプロジェクトで初めて訪問して以来、ここの経営者で校長先生と懇意になったので、デリーに来てこの学校に行かないことは不義理になってしまうほどのウエットな関係になっている。実は9日前に校長からメールが届き、今後はインドの高等教育改革にも手を広げる計画だと言うので、具体的なアイデアを聞いてみたいと思っていたから、このタイミングで会えたことは幸運であった。今後、彼の新たな挑戦にも少しばかり貢献できるかも知れないと思うとワクワクする。
この学校では、小学1年生から中学3年生まで、希望者が日本語を学んでいる。いつものように中学生8人が校長室に呼ばれて、日本語での自己紹介をしてくれた。
また、明日と明後日はインド全土で春の到来を祝う「ホーリー」(色の祭典)があり、今日は一足先に学校内でもお祝いをしたようで、生徒たちは顔に赤黄青緑色の粉をかけ合って楽しんでいたようだ。AIによる概要は以下の通り。
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2026年のホーリー(Holi)は、メインとなる色が舞う日が3月4日(水)、前夜祭のホリカ・ダハン(Holika Dahan)が3月3日(火)に開催されます。インド全土で春の到来を祝う「色の祭り」であり、鮮やかな色粉や水を掛け合って楽しむ、無礼講のイベントです。
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自分も10年ほど前に当地に駐在時代にこの祭りを経験したが、掛けられた色が洗濯しても落ちないことに閉口し、この日は外出しないことにしたものだ。
もう一つ今日発見した重大なことは、同校長と自分は同じ3月20日生まれであったことである。会話の中で互いに気づいたことだが、それにしても稀有なことである。この校長との御縁は想像以上に深いのかも知れない。やはり、インドは自分にとって特別なのだろう。(第二十一話完)



Vol.8-22
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第二十二話】(Day-8:Mar/2
) ニューデリー 晴17℃~31℃
今朝訪問した私立学校を出てホテルに戻る途中で、郊外の込み入った街中を車で移動するのだが、舗装道路が少なく、でこぼこ道が多いので車が大きく揺れるし、スピードも出せないから移動時間が長くなるのだ。そして、野良牛が非常に多いことに気付かされる。都会から半時間ほど離れているだけで、牛や猪、山羊に出くわすことが多くなる。都会では交通量が多いことに加えて、熱い舗装道路を歩くのが辛いのではないかと思われる。
今日もタクシーに乗りながら、何度も野良牛に接触しそうになって、ドキドキさせられた。(第二十二話完)

Vol.8-23
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第二十三話】(Day-8:Mar/2) ニューデリー 晴17℃~31℃
インドでは「おもてなしをする」とは何かを食べてもらうこと、と同義と言っても過言ではない。インドでミーティングをすると、コーヒーか紅茶(もしくは緑茶)を出してくれるが、ほぼ必ずと言って良いほど、クッキーやお菓子、あるいはスナックが出されるのだ。
今朝も私立学校の校長を訪問した際、着くなり「朝食を一緒にどうですか?」と聞いてきたが、こっちは午前8時半頃にホテルでシッカリ朝食をとっていて、まだ11時なので何も欲しくはないのだが、インド人の友人になると、それでは決して許されない。「お腹一杯なのでチャイだけで良い」と言っても「軽いスナックはどうだ?」と言ってきたので、「甘くなければ少し」と言うと、待っていましたとばかり、西インドでポピュラーなスナック菓子の「ドクラ」が出てきた。これは自分が約10年住んだプネでも時折食べたから、名前は忘れていたが良く知っていた。確かに甘くはない、むしろ少し塩っぱい軽いケーキである。
Wikipediaによると以下の通り。
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ドクラ(Dhokla)は、インドのグジャラート州やその近辺が発祥の、塩味の蒸しパンである。インド中で人気がある。発酵させた生地を蒸すことで、ケーキのような食感となる。
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どっこい、出されたのはドクラだけではなかった。名前は忘れてしまったが、米から作ったインド版のポン菓子である。そして当然だが、二杯目のチャイが出てきた。
校長は言う。「今度来るときは朝食を抜いて来て、ここで一緒に」ヤレヤレ、これだからインドでダイエットは至難の業となるのであるある。(第二十三話完)


Vol.8-24
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十四話】(Day-9:Mar/3) ニューデリー 晴17℃~31℃
この日の午後のIndiGo便でムンバイに移動するので、午前11時前にホテルを出発して空港へ。
チェックインを済ませ、セキュリティを通るが、今回は必ず引っ掛かるのだ。ハンドバッグに入れている折りたたみ傘を調べられ、いちいち傘を開けて見せる必要があった。次回は預けるスーツケースに移しておこう。
出発ホールはまるでショッピングモールのようだ。多くのお店とレストランがあり、広場にはHOLIを祝うバンド演奏が音楽を奏でていて、人集りができていた。HOLIの特別展示も有って、その前で記念撮影をしている家族連れやカップルがいる。
今日のムンバイ行きのIndiGo便は珍しく空いていて、自分の座席の隣は2つとも空席であった。またも定刻よりも25分早く到着した。
そこまでは良かったのだが。。(第二十四話完)

Vol.8-25
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十五話】(Day-9:Mar/3) ムンバイ 晴26℃~33℃
ムンバイに定刻より25分早く着いたのは良かったが。流石に南に下りてきたので暑い、ムンバイはデリーと違って海が近いので蒸し暑いのである。さて、ホテルに電話を入れて空港まで出迎えの車を頼んだ。空港からUberなどのアプリを使って自分で予約しても良いのだが、向こうからキャンセルされたりすることがあるので面倒くさいのだ。5分以内にはドライバーから電話するというので空港ターミナル出口の手前で待っていたら、掛かってきた。10分で着くという。
ところが15分経っても連絡がないので、ドライバーに電話すると、あと5分で着くから、P5(5階パーキング)のPillar 38(柱38番)で待てと言う。エレベーターでP5に下りて、柱38番を探そうとしたら、何と、すべての柱の番号が無くなっていたのである。以前は確かに柱番号で合流できていたのだが、どうやら今回はすべての柱番号を変更することになるらしく、真っ白な張り紙で番号が隠されていたのである。しょうがないので、出口の方向に歩いていると、パーキングの係員2人に止められた。「何処へ行くのか?」、「柱番号38を探しているが番号が書いていない」と言うと、係員はただ笑っているだけ。多分、彼らも正しい情報を知らされていないのだ。ドライバーに電話をして、その係員に話してもらった。現地語(マラーティー語)で話が通じたようで、自分のところに出迎えが来たのは30分後であった。ヤレヤレ、である。その係員2人は、自分からチップをもらえることを期待していたようだが、頼んでもいないのに、ただこちらの様子をうかがっていていて、ドライバーと現地語で話をしてくれただけなので何もあげなかった。恐らく仕事が終わって退社する前にチップを稼げるかもと思って様子を見ていたのかも知れない。
ようやく出迎えの車でホテルに着いたのは、ほぼ当初の予定通りの時間になっていた。(第二十五話完)
Vol.8-26
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十六話】(Day-10:Mar/4) ムンバイ 晴26℃~33℃
今日はムンバイ郊外の田舎街に遠出することになっていて、昨夜の知人との夕食では、今朝は午前7時にホテルを出発すると聞いていたから、6時に起きて支度をして、朝食を摂りに6時45分に食堂に下りたが、「朝食は7時半からです」と言われた。ちゃんと営業時間が書かれたプラカードも見せてくれた。日本ではその時刻にならないと席にも着けないが、ここはインドである。席に座って、何かビュッフェで準備できているものはないかなぁと見て回ると、シリアルとミルク、果物、パン、スイーツがあったので、勝手に大皿によそっていると、コーヒー飲みますか?パンをトーストしますか?と聞いてくれたので、コーヒーをお願いしたら、ちょうど淹れたてを注いでくれた。そこで7時5分前になっていたが、知人から出迎えの連絡が来ないので、どうせ遅れてくるに違いないと踏んで、ノンビリ朝食を楽しむことにした。
果たせるかな、出迎えの連絡があったのは7時半を超えていた。
それから直ぐにホテルを出発して、途中で2人が同乗してきて、40分程走ったところで、幹線道路沿いのフードコートで休憩して、朝食タイムである。こっちはホテルで朝食を済ませているので、チャイだけで良いが、同乗の3人はシッカリ食べていた。
約2時間のドライブで、ムンバイから北の田舎町パルガールに、交通渋滞が無かったので、予定していたよりも少し早目に着いたので安堵した。(第二十六話完)
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「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十七話】(Day-10:Mar/4) ムンバイ 晴26℃~33℃
予定より少し早目に大学に着いたのは良かった。ここはムンバイから北に2時間ほど走り、道半ばでグジャラート州に繋がる幹線道路から西に逸れて田舎道を進む。
約半時間で目的地に到着。
この私立大学はムンバイには通えない周辺の村や町から学生を受け入れている総合大学である。キリスト教系の大学だが、学生のほとんどはヒンドゥー教徒だ。実際にインド全体ではキリスト教徒は2%程度しかいないが、この種のミッションスクールや大学は日本以上にインドには多く存在する。イギリスの植民地であった影響が残っていると言えよう。
この大学では3年生に外国語の履修を義務付けており、100名以上の学生が日本語を学んでいるという。
国際連携担当教授との面談の後、メインホール(講堂)でのオリエンテーションプログラムの中で、メインゲストとして登壇した。恐らく150名ほどの聴講生がいたようだ。いつものように、日印関係の重要性と将来展望、そしてインドの若者にとっての日本との就業機会について話をしたら、非常に良い反応があったようで、講義の後で多くの学生が寄ってきて、質問を浴びせられた。これは学生の関心を得られたことの証である。今後、この大学と日本との連携について模索しようと思う。(第二十七話完)

Vol.8-28
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十八話】(Day-10:Mar/4) ムンバイ 晴26℃~33℃
大学で軽いランチをご馳走になり、同じ街にある私立学校に向かった。予定から半時間ほど遅れていた。
その学校はいかにも古めかしく飾り気の無い田舎の学校である。この学校(小1~8年)では昨年後半辺りから、5年生以上の生徒に日本語教育を取り入れており、希望者60名程が学んでいるという。ここに来た目的の一つは、アニメを通して日本に興味のある生徒たちとの交流により、もっと学習者を増やすことである。ここの生徒は日本人と会ったことは無く、今回が初めてのことで、自分が珍しい動物でもあるかのように、興味津々の眼差しを浴びていた。
案内された講堂には100名近い生徒と先生と、少数の保護者も来ていた。それもそのはず、行事は日本語での挨拶に始まり、「ひらがなの歌」とやらをグループで合唱して、何と次には「窓際のトットちゃん」のショート演劇が10人ほどのグループにより始まったのである。6人ほど別のグループがバックコーラスを担っていた。自分はトットちゃんの映画は観ていなかったので、劇のストーリーは追えなかった。それより気になったのが、主役のトットちゃんの容貌である。中国人っぽい髪型と服装であったのだが、これはインド人には日本と韓国と中国は見分けがつかないし、頼れる日本人が居ないから無理も無い。以前にもインドで着物のショーを実施した時に、その記録ビデオに流れていた音楽は明らかに中国のものであったことを思い出した。日本人にはインド人とバングラデシュ人とスリランカ人の区別ができないのと同じことだ。
前座が終わって、主賓として招かれた自分の登壇の番である。先刻の大学の講演の内容をはしょって少し噛み砕いて、小学5年生にも解るように話をした。そして日本語は母音が5つだけで、子音とくっついて単語ができていること、そして彼らの母語であるマラーティー語と語順が同じであることから、話し言葉としては決して難しくないことを伝えた。東アジアの漢字圏とは異なるインド人にとって、日本語の読み書きは相当ハードルが高いが、複数の言語を使いこなすことに長けているので、日本語をペラペラ話すインド人は実に多いのである。多言語国家インドならではの特徴であると言えよう。自分の登壇中に1人の中年の男性が会場に入ってきた。前市長だと紹介された。元々招待されていたのか、別の用件が合って偶然立ち寄られたのか、インドではこの種の、訳の分からない人物が登場することが良くある。恐らく校長先生の友人なのであろう。何を話されたのか、最後に登壇して現地語で力強いスピーチをされた。個人的な政治活動であったのかも知れない。
長時間の滞在となり、予定から大幅に遅れてムンバイへの帰路についた。途中、日印政府の一大プロジェクトである、ムンバイとアーメダバードを高速で結ぶ新幹線の高架工事現場を車窓から見ることができた。そしてもう一つ、デリーとムンバイを繋ぐ長距離高速道路の料金所の工事現場も見た。これは、DMIC(Delhi-Mumbai Industrial Corridor:デリー・ムンバイ産業大動脈)の中のインフラプロジェクトである。
この田舎にも発展するインドを垣間見たのであった。(第二十八話完)


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「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第二十九話】(Day-10:Mar/4) ムンバイ 晴26℃~33℃
今回のムンバイのホテルは当地の知人に頼んで、安い三ツ星を取ってくれたのだが、実にユニークな作りの古い建物を改装したホテルである。四方が回廊で繋がったような形の大きな3階建ての建物で、広い中庭がある。この建物の半分くらいをホテルが占めていて、途中に階段ルームが2カ所あり、その階段ルームで上の階に上がり、廊下の一番奥の部屋に泊まっている。一度その階段を下りてみたら、中庭に出たが、丸で景色が変わって、どこがホテルの玄関口か分からなくなってしまった。
部屋から直ぐ向かいに鉄道駅が見えるが、中庭からは外の景色は見えない。そもそもホテルのレセプションは玄関口から2階に上がった所にある。その奥にレストランがあるのだが、中庭に向かっている。何とも不思議な作りなのである。
部屋に入ると、インドでは珍しくないウインドウ型のエアコンが設置されていた。リモコンは効かない。(あるある) 手動で温度調節をする。音はうるさいが、エアコンがあるだけ助かる。バスルームはトイレと兼用であるのはインドの常識だが、バスタブは無い。湯沸かし器のスイッチを入れてしばらくしてからお湯が出てくるのを待つ。トイレットペーパーは頼まないと備えてはいない。ここは一泊約6,000円とインドでは比較的高いが、空港にも鉄道にも便利なムンバイの一等地なので仕方が無い。今日は午後4時の特急列車でプネに移動するのが愉しみだ。(第二十九話完)

Vol.8-30
「インドあるある話シリーズ(Vol.8) 2026年2月編 第三十話】(Day-11:Mar/5) ムンバイ 晴26℃~33℃
今朝はゆっくり朝食を摂り、チェックアウトして、出迎えを待ってオートリキシャで最寄りの地下鉄の駅に向かった。今回初めて体験するムンバイのメトロである。5分ほどで駅に着き、チケット買うと、デリー・メトロのトークン(プラスチック製のコインのようなもの)ではなく、紙のチケットで改札ではQRコードを読み取る最新式である。エレベーターで地下のプラットフォームへ。完全密閉式のホームドア(京都の地下鉄と同じ)であった。これなら接触事故はあり得ない。車内はクリーンでエアコンも効いていて快適である。そこから10駅ほど乗って、降車駅に着いて地上に上がった。この地域はオートリキシャは規制されていて走っていない。黒と黄色のタクシーに乗り込んで、目的地の州立女子大に向かった。厄介なのはこのタクシーは交渉して乗るので、乗車拒否もあるし、料金を吹っ掛けられる事も多い。今日は地元のインド人が一緒なので良いが、自分一人だと、外国人と見て釣り上げてくるのだ。これが結構面倒だが面白くもあるある。程なくして女子大に着いたようだ。(第三十話完)



Vol.8-32
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第三十二話】(Day-11:Mar/5) ムンバイ 晴26℃~33℃
女子大学を後に、日本から当地に出張されていた、東京の人材斡旋会社とランチミーティングを予定していたのだが、何と今日はイスラム教のラマダン(断食月)のど真ん中に当たり、イスラム教徒が多いこの近辺のノンベジタリアンのレストランがどこも開いていない!! これは流石に読めていなかったので、結局バーガー・キングの店で面談となったのである。(happy Cony)確かにラマダン期間中の日中の営業はしていないのは当然である。ベジタリアンのレストランはいくらでも見つかるのだが、エアコンが無いなど、この時期は都合が悪いのだ。
ベジタリアンと言えば、インドの街の至る所で見られるのが、サトウキビのジュースの屋台である。専用の機械で自然に採れたサトウキビを何度も機械に通してバキバキに押しつぶしてジュースにする。今回は飲んでいないので撮っていないが、何度も見かけた。100%自然の甘さは超美味なのである。
もう一つ、ベジタリアンと言えば、新鮮なフルーツのジュースを飲ませてくれる屋台もあるが、珍しいのは野菜ジュースの屋台である。新鮮な野菜だけをその場でジューサーにかけ、ジュースとして飲むのだが、これがまた美味いのである。インドでしか体験できないユニークなドリンクである。(三十二話完)
Vol.8-33
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2月編 第三十三話】(Day-11:Mar/5) ムンバイ 晴26℃~33℃
面談を終えて、ムンバイ中央駅に向かった。時間に余裕があったので、エアコンが効いている有料の待合ラウンジに入って、今回ムンバイで面倒を見てくれた知人に別れを告げた。
さて、そこから今夜の宿舎を予約しなければならない。と言うのも、プネでは最近毎回お世話になっている私立大学のゲストハウスの予約が取れていなかったのだが、今朝になって連絡があり、ゲストハウスは空いていないといことだった。仕方が無いので、今晩から泊まるホテルを確保せねばならぬが、まぁ何とかなるものだ。
パソコンを立ち上げて、早速予約アプリを走らせると、上手い具合に最近利用していたプネのシェアアパートが空いていたので予約完了。これで一安心である。
特急列車の出発時刻の30分前にラウンジを出て、掲示板を見ると定刻出発で11番ホームである。これは12月に初めて同じホームから乗っていたので勝手が分かっている。(Vol.7-五話参照)
今回の列車はムンバイ近郊の主要駅に止まってから、次はプネ駅までノンストップであった。これは早く着くぞと期待したのだが、途中でスピードを落としたり、一時停車したりして、結局は定刻よりも30分遅れての到着となった。ヤレヤレ、期待通りには行かないのがインドであるある。(第三十三話完)




Vol.8-34
「インドあるある話シリーズ(Vol.8)2026年2~3月編 第三十四話】(Day-11:Mar/5) プネ 晴 20℃~34℃
以前に10年超住んで我が第二のホームタウンとなったプネに着いたのは、午後7時40分であった。駅からオートリキシャで約15分で、先に予約したシェアアパートに到着。ここは前回も泊まったので使い勝手も土地勘もバッチリ。この地域は2年間住んだことがあるので、慣れ親しんだ街である。久し振り、とは言っても12月末以来なので遠くは無いが、住み慣れた街に戻るのは心が休まるものだ。
歩いて1分のお気に入りのレストランに入って、ビールで旅の疲れを癒し、軽い夕食を摂ったあと、近くのキラナショップ(インドではどこにでもある生活用品が揃うよろず屋)に立ち寄り、両替をするためにソーダ水を買おうとしたが、流石に20ルピーの支払いに500ルピー札は受け付けてくれなかった。最近のインドは日本のPayPayのような電子マネー決済がどこでも主流になっていて、キャッシュで支払うとお釣りがもらえないことが多いので、特にオートリキシャやタクシーを利用する際には、お釣りはないものと覚悟すべきであるある。以前にも書いたが、PayPayの本家本元は実はインドなのだ。日本がインドの画期的な新サービスを真似たという事実はあまり知られていない。以下、AIが教えてくれる。
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日本の代表的な決済サービス「PayPay」は、インドのフィンテック企業「Paytm」の技術協力により生まれました。ソフトバンクと旧ヤフーがインドの広大な市場で成功した技術を活用して2018年に立ち上げたもので、技術的ルーツはインドにあると言えます。
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実際にインドで生活していた時代(2011~2022年)、買い物はほとんどPaytmを使っていた事を思い出す。今ではUPI (Unified Payments Interface)と呼ばれる決済システムが出来上がり、PhonePe、Google Pay、Paytmが3強アプリとして広く普及していて、都市部の小売店から露店まで、QRコード決済がどこでも通用している。インドは日本よりも遥かに先を走っているのである。(第三十四話完)
