ハイデラバード、グワハティ、アイザウル、ニューデリー、ハイデラバード(Oct/24~)

Vol.6-1

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第一話(Day-1:Oct/24)ハイデラバード 23℃

今日24日から11月26日まで再びインドに出張である。久しぶりの長丁場になるが、今回も多様な活動が複数の都市で予定されていて、どのようなハプニングが待ち受けているか、今から愉しみである。
今回も羽田発デリー行きのエア・インディアに搭乗したが、いつもの通り、目の前のスクリーンは作動しないので、映画や音楽を楽しむことができないが、もうスッカリ慣れてしまった。一つ今回発見したことがある。機内食はエア・インディアの場合は、ベジ(野菜食)またはノン・ベジ(野菜食でない=チキン)しか選択が無いと思い込んでいたのだが、「和食=魚料理」という選択があることを発見した。今日の和食は何と鰻飯であった! 鰻の蒲焼きが卵丼に乗っているもので美味しかった。
今日の便も8割程度の混み具合なので、出発直前に隣が空いている一つ前の席に移動したところ、その座席はリクライニングができなかったが、隣が空いていれば2つの座席を占領できるので良しとした。
周りのインド人乗客が、一度に2、3杯のドリンクを注文している。これも良くあるあることだ。
自分もハイボールを3杯お代わりしてグッスリ眠ることができた。起きたときに気付いたが、後ろの乗客がいつの間にか入れ代わっていて、インド人客2人の話し声で目が覚めたようだ。席の移動はお互い様であるある。
今回もう一つ発見したことは、紙コップの品質の低さである。飲み残しのハイボールの入った紙コップから、少しずつ中身が漏れていていたようで、数時間後に目覚めた時には、テーブルがかなり濡れていたのである。コップを置くための窪みの部分から今にもテーブル全体に溢れる寸前であった! この紙コップはエア・インディア専用に作られているようで、過剰品質でないことは理解できるが、ちと過小品質ではないかと思う。 ヤレヤレ、大事には至らず。
デリーには20分程の遅れで到着、パスコンもスンナリ通って、荷物も直ぐに出てきたので、スムーズに国内便への乗り換えができた。北部デリーから南部ハイデラバードに約2時間飛ぶエア・インディア便はいつもながら満席、数分の遅れで出発した。機内食はもちろん、ベジかノン・ベジの二択である。ハイデラバードには約10分早く到着した。気温22℃と快適だ。(第一話完)

Vol.6-2

「インドあるある話(Vol.6)2025年10月編第二話(Day-1:Oct/24)ハイデラバード 23℃

ハイデラバード空港に着いて、タクシーに乗るのだが、まず空港構内のプリペイドタクシーカウンターの一つ、インド人乗客のいる所で目的地を告げると、1,515ルピー(約2,500円)と言う。高いと判断して外に出たら、例によって出口には客引きのドライバーがウヨウヨ待ち構えている。全て無視して2階出口付近のUberのカウンターへ。一人の男が予約をしてくれるというので、目的地を告げると、3,000ルピー超のタクシーを勧めてきた。その手には乗らない。「Uber Go」(一番安い車)で良いと伝えて、予約してもらった。さて、1階に下りて乗り場を探していると、別の男が「Uberですか、こちらです」と案内されたのは、どう見てもUberではない別のタクシー乗り場で、男いわく、「Uberと同じ値段で良いよ」と言うので、「Uber Goを800ルピーで予約してる」と言うと、「Uber Goは車が出払っているから30分は待たされるよ。1,400ルピーなら今すぐ送るよ」と来たので、そうは問屋が卸さない。「Uber Goを待つよ」と後戻りして、1階のUberカウンターでGOの乗り場所を確認したら、何台ものGOタクシーが待っていたので先頭の車に乗り込んだ。ヤレヤレ、インドでは外国人客と見ると、こうした輩が寄ってきては、何とか高く乗せようとするのだ。インドのタクシーは安いので、吹っ掛けられていると知っていても、日本と比べると圧倒的に安いから、まぁ良いかと交渉が面倒になるものだ。相手もそれを知っているから、遠慮なく吹っ掛けてくるのであるある。自分のように相手の手口を知り尽くしていると、騙されることはまず無い。少し手間取ったが、無事に目的地に辿り着いた。支払ったのは800ルピーのみである。(第二話完)

Vol.6-3

「インドあるある話(Vol.6)2025年10月編第三話(Day-2:Oct/25)ハイデラバード 曇26℃

今日と明日、当地ハイデラバードで第30回日本祭りが開催される。1996年に始まったというから、インド国内でも最も古い日印親睦イベントであろう。今年は会場も広くなり、日本からの参加者も多く、2日間のプログラムも盛り沢山である。自分も今日の午後登壇する機会をもらっている。今回のインド出張のメインイベントの一つである。盛会と成功裡に終了することを祈念している。(第三話完)

Vol.6-4

「インドあるある話(Vol.6)2025年10月編第四話(Day-2:Oct/25)ハイデラバード 曇26℃

「ハイデラバード日本祭2025」の初日は大盛況であった。小学生の団体を含め多くの若者が集ってイベントを楽しんでくれたように思う。(楽しい)
中には浴衣を着てきた若者もいるが、着丈が合っていなかったり、前がはだけていたりと、チャンと着こなせているインド人は少ない。当地に住む日本人の女性が浴衣姿で闊歩するのは凛として良い景色である。
私がアドバイザーとしてお手伝いしている当地のコンサル会社Indobox㈱のブースには、多くの若者が訪れ、用意していた資料は午前中に無くなってしまった。
午後2時から30分の時間をもらって、いつもの講演''Opportunities for Indian Youth with Japan''をしたら意図したことは達せられたようで、講演後に沢山の聴講者から声を掛けられた。いつもながら、写真を撮らせてほしいと何人もの若者と記念撮影をした。その中の何人がいつ日本に来ることになるのだろう。
昨年の同祭りには事前に600名超の登録があったそうだが、今年は6,000名を超えていたという。この種の「草の根日印外交」が年々広がりを見せていることは嬉しいことだ。(第四話完)

Vol.6-5

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第五話(Day-2:Oct/25)ハイデラバード 晴23℃

「日本祭り」の初日が無事に終了して、今夜は当地の日本人会主催の夕食懇親会に呼ばれていた。食事は当地の郷土料理という。約束の時間までに余裕があったので、Indobox㈱のパートナー2人と夕食会場近くのパブで一杯引っ掛けることに。そのパブはインドとは思えないような、洒落た大人向けの良い雰囲気の場所であった。ここはまた来たいと思う。(第五話完)

Vol.6-6

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第六話(Day-3:Oct/26)ハイデラバード 晴28℃

今日は当地「日本祭」の二日目である。午前中に「茶道のお点前」、午後のフィナーレの前には「着物とサリーのファッションショー」のお手伝いをすることになっている。
「茶道のお点前」は日本から裏千家の茶道家のお点前を自分が半東役を兼ねて、通訳と補足説明をした。観客からは大きな反響があったようだ。自分も浴衣を着たので、またもや写真のモデルになってしまった。国際交流基金のブースでは、インド人が浴衣を着て歩き、写真を撮るというアトラクションがあったが、男の浴衣姿がどう見ても可笑しい(帯の位置が高い)ので何人も直してあげた。まだまだ浴衣の着こなしには時間がかかりそうだ。(第六話完)

Vol.6-7

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第七話(Day-3:Oct/26)ハイデラバード 晴28℃

インドでも日本のアニメや漫画の人気が非常に高いことは良く知られている。日本語を学ぶ動機として、アニメや漫画を原語原文で楽しみたい、という話も良く聞く。以前の「あるある」でも書いたが、実際にインドでは「ドラえもん」や「クレヨン新ちゃん」、「忍者ハットリ君」などがテレビでヒンディー語吹き替えで放映されているらしく、古くは「ワンピース」、最近では「鬼滅の刃」も人気であるらしい。
その延長線上にあるのが「コスプレ」である。今ではどこの日印文化交流イベントでも定番となっていて、一番盛り上がるアトラクションとなっている。今回の「ハイデラバード日本祭り」でも例外ではなかった。アニメの主役や脇役に成り切るコスチュームも年々その精度が上がっているようで、正に真に迫っている者がいるのだ。
自分にはコスプレなど全く無縁と思っていたが、何と最近になって30歳を越えている実の娘が「鬼滅の刃」の時透無一郎という役に嵌ってコスプレに凝っていることを知ったのである。(第七話完)

Vol.6-8

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第八話(Day-4:Oct/27)グワハティ 晴28℃

南インドのハイデラバードから早朝便で北東部の玄関口であるアッサム州のグワハティに予定通り飛んだ。インド全体で日本のお正月に相当するDiwaliという光りの祭典が祝われている。グワハティ空港到着ロビーにはユニークなDiwaliの飾りが印象的であった。
当地で伝統的に作られている仮面と古代インドの神話の一つ、「ラーマーヤナ」のイメージ展示のようである。インド各地の空港にはこうしたローカル色を施した季節の飾りがよく見られて、楽しいものである。(第八話完)

Vol.6-9

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第九話(Day-4:Oct/27)グワハティ 晴28℃

今日から当地インド北東部に日本からの人材開発関連事業視察団(4名)を迎えて、3日間現地の様子をつぶさに見て頂くお世話をすることになる。昨日日本からデリーに到着されたご一行様を、当地のパートナーと共に予定通り出迎えた。
空港近くの4つ星ホテルにチェックインした後、近くのミッション系大学キャンバスを訪問して学生にいつもの講演を行なった。その後、日本からの来訪者にもご挨拶をして頂き、学生からの質問にも答えて頂いた。ここの学生達は日本で就職することは以前には全く想定していなかったようであるが、少しは興味と関心を持ってもらえたかも知れない。(第九話完)

Vol.6-10

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十話(Day-4:Oct/27)グワハティ 晴28℃

午後、アッサム州の人材開発公社を訪問した。ここは数年前にも訪れていたが、大きく変化していたことは、日本の会社が日本語教室を同公社の建物の中に開設していたことだ。まだ授業はこれからということらしいが、この事業には日本政府もサポートしているらしいので、詳しい話を聞きたかったのだが、どうやら先方はこちらを競争相手と見ている為か、歓迎してくれなかった。今後、どのような実績を上げていくのか見守ることにしたい。
この後、自分が顧問を務めている当地の人材送り出し機関のJACEEX社の事務所に視察団ご一行様を案内して、オンラインと対面のハイブリッド方式で、同社の日本語研修生(派遣候補生)との集団面接を実施して、インド北東部の人材とはどのようなものか、直に感じてもらうことができたと思う。実際、日本人とルーツを同じくするモンゴロイド人種で、インド人らしからぬ外見とシャイな性格は来訪者に強い親近感を印象付けたであろう。
明日は、更にもっと日本に近くなるミゾラム州に移動する。 (第十話完)

Vol.6-11

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十一話(Day-5:Oct/28)アイザウル 晴32℃

今朝のInDigo便(インドNo 1航空会社)でグワハティから約1時間東南に向けて飛び、昼前にミゾラム州の州都アイザウル空港に到着。ここは山岳地帯の僅かな盆地に設置された、珍しい小さな空港である。そこからアイザウル市内まで山岳地帯を約1時間のドライブとなる。それだけ空港に適した土地が市内に近い所で見つからなかったのであろう。今回得た最新の良いニュースは、空港から市内に向かう途中で、鉄道の駅が建設中であることだ。そこから鉄道でグワハティから、コルカタやデリーまでも繋がるという。当地の庶民にとって、空路は手が届かないが、鉄道なら3等寝台車両まであるので、これまでは長距離バスしか移動手段が無かった庶民には朗報だ。開通したら是非一度、コルカタから鉄道でグワハティ経由アイザウルに旅してみたいものだ。新たなインド出張の楽しみが増えた。
約1時間のドライブの後に、山岳地帯の山肌に天空の街が姿を現し始めた。標高約1,000㍍のこの景色は他のどの世界にも見られないもので、本当に圧倒される。夜景もまた美しいが肉眼で見るパノラマに勝るものはない。(第十一話完)

Vol.6-12

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十二話】(Day-5:Oct/28)アイザウル 晴32℃

市内のホテルにチェックインして、レストランで昼食のメニューを見ると、ラーメンのようなものがあるので注文したら、何と蕎麦に近い麺で、鶏の出汁も和風に非常に近く、美味しく頂いた。当地は東南アジアや中国にも近いため、汁一杯の麺類が食べられるのである。これがインド本国内なら麺と言えば、焼麺(焼きそば)かカップ麺しかない。
食べ物と言えば、夕刻に街中の露天商が、魚や海老の干物と一緒に、何と普通のカエルの干物を売っているのを見かけたが、そのままの姿で売っているので、流石に一つ摘んで食べてみようとは思わなかった。(第十二話完)

Vol.6-13

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十三話】(Day-5:Oct/28)アイザウル 晴32℃

この日も私立大学で講演をした後、JACEEX社と同大との協力のMOUがサインされた。今後、同大での日本語教育と日本への就職斡旋を本格的に推進することになりそうだ。既に同大学の卒業生2名が大阪の人材派遣会社のスタッフとして内定している。
その後、Book Club CafeでJACEEXの日本語コースを学んでいる当地の研修生約20名との個別模擬面接を行なったところ、予期しなかった展開が待っていた。それは今回のインド視察に来られた知人で、金沢を拠点とする介護専門学校のトップランナーで、日本で著名な創業者で理事長の方が面接した研修生の中で、直ぐにも日本に来る資格を持っている4名の就職先を斡旋して下さることになったのである。その具体的なステップについて翌日のミーティングで確認できたことは、今回の出張の最大の収穫であった。同氏からは個々の研修生に対する有益なアドバイスも得られて大変有意義な面接会となった。選ばれた4人の幸運はもとより、他の研修生にも大いに励みとなったことは疑いの余地もない。当地ミゾラム州が今後JACEEX社の主たる人材供給元になることは確実である。この天空の街とのお付き合いも深まっていきそうだ。自分のライフワークの一つとして、益々やる気が湧いてきた。(第十三話完)

Vol.6-14

「インドあるある話(Vol.6)2025年10月編第十四話】(Day-6:Oct/29)アイザウル 晴30℃

今日は北東部(ミゾラム州)出張の最終日である。当初は州政府の要人との面談が確認されていたのだが、数日前になって中央政府機関からの招集があり、全てのアポがキャンセルされていた。(あるある)
おまけに今日は当地の野党勢力がストライキを起こしていて、街中が休業となり、許可なく市内を移動できないという。このようなサプライズがあるあるインド北東部ではある。
仕方なく外出は諦め、午前中はホテルで来訪者とのミーティングをすることにした。
正午過ぎにホテルを出発して空港に向かう途中、各交差点では町内会の幹部なのか、ロープを張って通行許可を確認している人がいるようだ。警察官も警備していたが、市内は車の行き来も無く、静まり返っていて、特に何も目立った動きは見られなかった。そのお蔭で空港には予定より早目に着いて、近くのレストランで昼食(お粥)を摂り、デリーへのIndiGo便にチェックインした。北東部とはまたしばらくのお別れである。(第十四話完)

Vol.6-15

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十五話】(Day-6:Oct/29)ニューデリー 晴23℃

アイザウルから約3時間、デリー空港に午後7時前に到着した。気温は23℃に下がっている。
空港近くのエアロシティのホテルにチェックインして、少し歩いて北インド料理の人気のレストランで夕食。ここエアロシティは2013年に開設された人工的高級商業都市で、ホテル、レストラン、ショッピング、商業ビルが立ち並ぶ。ラーメンや寿司が食べられる和食レストランもある。
日本からの来訪者には、北インド料理の代表的な前菜のマサラ・パパドとヨーグルトのかかったチャートから、タンドーリ(バーベキュー)、4種類のカレーとパン(ナンとロティ)、南インドの米料理の代表格であるビリヤニ(炊き込みご飯)、そしてデザートにはクルフィ(アイスミルク)とガジャール・ハルワ(人参のスイーツ)を堪能して頂いた。もちろんインド製のお酒も欠かせ無い! キングフィッシャー・ウルトラ(ビール)に始まり、赤ワイン、シングル・モルト、最後はオールド・モンク(ラム酒)で締めた。自分も久しぶりに本格的北インド料理を楽しんで大満足であった。(第十五話完)

Vol.6-16

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十六話】(Day-7:Oct/30) ニューデリー 晴23℃

昨夜は部屋のエアコンが効き過ぎていて、室温が19℃と寒くて余り眠れなかった。この時期はまだ暖房は使えないので、エアコンを切るしか無いが、部屋にはアイロンが用意してあったので、アイロンの温度を最大にして点けっ放しにし、それに加えて湯沸かしポットに水を満たして沸騰させると、これが暖房効果があることを過去の経験から知っていたので、それで寒さを凌いだ。
今日の午前は日本大使館を訪問して、人材誘致と日本語教育に関係する政府機関の現地日本人駐在の人達と情報及び意見交換を行なった。
ランチは大使館から近い、北東インド(ナガランド州)料理店で、ランチのタリー(セットメニュー)を注文したら、来訪者から美味しかったとの評価を得た。仕上げのデザートには北東インドでは一般的な黒米(日本では古代米か)のスイーツ(Black Rice Pudding)を賞味頂いたが、それも「ぜんざい」のような感じで好評だったようだ。
ランチの後は日本へのお土産を買うために近くのモールに立ち寄る予定であったが、予定より遅れていたためデリー空港に直接移動した。
日本からの来訪者4名は、5日間のインド視察を大過なく終えて帰国の途に就かれたので、自分もホッと一息である。
この日は夜のIndiGo便でターミナル2からハイデラバードに戻り、明日のイベントに備えることになるが、搭乗まで時間があるのでビールで一息つこうかとバーに入ったら、アルコール・ライセンスが切れているのでビールは販売していないという。ヤレヤレ、仕方が無い。これもインドあるあるである。搭乗する直前になって、ゲート近くに「ビール販売中」の店を見つけたが遅きに失した!
今日のIndiGo便は25分の遅れで出発となった。目的地に着いたのは、深夜0時を回っていた。(第十六話完)

Vol.6-17

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十七話】(Day-7:Oct/30 ハイデラバード 晴23℃

ハイデラバード空港に着いたのは翌日の0時15分。定刻より半時間の遅れであった。機内食が出なかったので、軽く何か腹に収めようと、タクシー乗り場近くのスタンドカフェに立ち寄り、チキンパフとコーヒーを注文したら、160ルピー(約250円)、やはり街中よりは割高だ。
驚いたのは、そのスタンドカフェに置いてあったガネーシャ神の置物である。それはプネとムンバイ地区にある8つの元祖ガネーシャ神体を現していたのだ。「これはプネにあるね!」と店員に言ったら、キョトンとした顔で返事が無かった。
この深夜でドライバーの数が少ないからか、先日すったもんだして安いタクシーUber Goに乗った話を書いた(第二話参照)が、今日はUber Goには長い待ちの行列ができていたので、引き返して政府公認のPrepaid Taxi乗り場に行ったら、料金は1,038ルピーと高速代50ルピーというので、それに乗った。ひょっとしたら、高速代は料金に含まれていて、50ルピーはチップかも知れなかったが、それでも深夜に40分の走行距離で1,800円程度だから格段に安いのであるある。目的地に着いたら午前2時近くになっていた。(第十七話完)

Vol.6-18

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10月編第十八話】(Day-8:Oct/31 )ハイデラバード 晴23℃

今日は当地のスタートアップ支援のPPP(Public-Private Partnership官民連携)として、インドを代表する機関に急成長しているT-Hub (Technology Hub)とT-WORKSを久しぶりに訪問した。どちらも自分がアドバイザーを務めるIndobox㈱の現地法人が、MOUを締結して日印連携を進めている相手である。ここは10年以上昔のハイデラバードを知る人から見れば全くの別天地でもある。急成長中のインドを象徴するナレッジ(知識)・シティと言えよう。
T-Hubでは、デリー地区から出張に来られた日本人と合流して、同幹部と面談した。面談したのは2人の女性である。ほんの数ヶ月前に日本に出張していた同幹部は今夜日本に飛んで、帰路には台湾に立ち寄るというので、在ムンバイでインドと台湾を繋いで両国の橋渡しをしている台湾人女性を紹介した。
T-WORKSでは、Indoboxと共催で特別講演会が開催され、自分がその講師を務めた。例によって、約15分遅れで始まった(あるある)が、その後も聴講者が続々と入場して、50席程度の会場はほぼ埋まった。講演のテーマは添付の通り、日本のモノづくりの秘密について、長年のメーカー勤務経験から得た知見を披露させてもらった。
モディ首相が2014年に立ち上げた
''Make in India''の旗印の下で、GDPに占める製造業の割合を25%以上に高めるという国家の目標の実現に向けて、インドが抱えている課題についても話をした。主催者と聴講者から高い評価を得られたようだ。Q&Aセッションでは多くの質問が出たが、中には聴講者に向かって自分の意見や経験を長々と語り始める人もいて閉口した。(あるある) 
今回初めてT-WORKSのCEOとも面会することができ、講演にも参席された。同CEOとIndobox社との面談では、近々同社の中にJapan Centreを設置することでIndobox社と話が進んでいるようだ。次回の訪問が愉しみだ。
全く予期せずではあるあるのだが、講演のQ&Aの途中で、同日訪問されていた新任のカナダ総領事がCEOに先導されて会場に入って来られて、聴講者にご挨拶をされたのも一興であった。こういう想定外のこともインドではあるある。(第十八話完)

Vol.6-19

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第十九話】(Day-10:Nov/2 )ハイデラバード 晴27℃

昨日は定例のプネ大学院日本語修士課程2年生の授業、午前8~10時を終えて休息日とすることにした。なにせ24日に羽田→デリー→ハイデラバードの13時間超の長旅を終えてインドに着いた翌日から、連続7日間休みなしフルスロットルで走り回っていたし、ここハイデラバードに戻ってきた30日は深夜2時に宿舎に着いたので、流石に疲れが溜まっていたからである。1日外出せず、のんびりと過ごしたお蔭で疲れは癒された。
今日は日曜日だが、浜松市副市長ご一行様が当地を訪問中で、Indobox社がT-WORKSとT-Hub視察をアレンジすることになっていた。どちらの機関も担当者が休日出勤対応してくれて来訪者も満足されたようであった。同ご一行様は、前日にIIT-H(国立インド工科大学ハイデラバード校)を訪問され、「浜松Day」というイベントを開催されていた。来年はT-WORKSで新設予定のJapan Centreでも同様のイベントができそうだ。T-Hubは、現在訪日中の国際連携責任者が来週浜松市を訪問することになっていて、当地との関係強化が進むであろう。
昨年約10年振りに自分がハイデラバードを訪れた時に、T-HubとT-WORKSを擁するこの街が、近い将来に日印間の最重要ハブ都市になるであろうことを直感できたが、確実にそうなっていくことを予期できた。Indobox社が当地を拠点として活動していることが素晴らしく、自分が少しばかりお手伝いできることが嬉しく、光栄に思う。(第十九話完)

Vol.6-20

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第二十話】(Day-10:Nov/2 ハイデラバード) 晴27℃

浜松市副市長ご一行様とランチをしながら、一つお話したことがある。それは日本とインドのモノづくりの根本的な違いである。どういうことか、名刺を見れば分かる。
日本には名刺のサイズに標準規格があり、通常の名刺サイズは4号(55x91mm)であり、全国共通であるため、日本で印刷された名刺はどこの誰からもらってもピッタリ寸分違わない。但し、厚みや紙質、表面の光沢の有無などは異なることもある。
一方、インドには標準規格が存在しないため、印刷業者によってサイズが異なる。インド人100人から受け取った名刺は100枚全部が数ミリ程度異なるサイズである。時には日本の名刺ホルダーには収まらない大きいものも散見される。(あるある)
更に驚くことは、同じ会社の複数の社員から、同時に受け取った名刺であっても、同じサイズとは限らないことも良くあるある。これは、各自入社のタイミングが異なり、印刷の都度、発注する業者が担当者の采配(縁故などもあり)で代わっているからであろうと想像できる。時に表面がツルツルの名刺など、見かけはユニークだが、ボールペンで日付や場所などの記録が書けなくて困るのだ。全く受け取る側のことが配慮されていないのであるある。
詰まる所、インド人には名刺サイズのほんの数ミリの差異など、どうでも良いということだろうが、日本人でAA型(血液型)の自分には、気になってしょうがないのであるある。
日本のJIS(日本工業規格→後の日本産業規格)が、日本のモノづくりの発展に大きく貢献したことを知る世代は、既に現役を引退していることだろう。(第二十話完)

Vol.6-21

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十一話】(Day-10:Nov/2 ハイデラバード) 晴27℃

この日の午後、アニメやゲームなどの国際展示会'India Joy'が2日間当地で開催中で、Indobox社もブースを出して日印の交流コンサルタントとして来場者にPRした。
インドのベンガルールでコスプレ大会を主催している人がこの展示会にも視察されていた。次回の大会は来年1月10日に開催予定で、参加希望者は500人規模になるという。限られた時間でどのように審査するのか、見ものである。
(第二十一話完)

Vol.6-22

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十二話】(Day-11:Nov/3)ハイデラバード 晴27℃

ここハイデラバードでの宿舎は、Indobox社の創業者である丹治社長のご自宅の一部屋を間借りしているが、ここにはもう三人の同宿者がいて、一人は同社長のご子息(中学3年生)で、後の2人は日本からインターンとして研修に来ている男子大学生(1年生と4年生)である。その4年生は、つい先月30日に日本から初めてインドに来て、5日目であった。
今日は丹治社長が出張不在のため、その大学生2人と市内に出ることになった。先ずは1年生がインドの携帯SIMを取得したいとのことで、JIOという携帯電話会社のショップをネットで探して行ってみると、そこにある筈のショップがどこにも無い! また別の場所をネットで見つけて行ってみたが、やはり見当らない。どうやらネット情報と地図情報は古くて当てにできないと諦めて、今日のメインテーマである、有名な観光地の「チャール・ミナール」(4つの塔)に向かった。そこを訪問するのは十何年振りだろうか。
現地に着いてみると、そこには旧態依然とした、昔ながらのイスラム教徒の街の光景が目に飛び込んで、タイムスリップした気分であった。同行した大学生にはサトウキビのジュースやPAANと呼ばれる、キンマの葉にビンロウジや香辛料を包んで、食後などに噛む嗜好品を試してもらった。近くには装飾品やジュエリー、女性のサリーや服飾品のお店がひしめき合っていて、客引きの声が喧しい。
紳士服の店に入ると、マネキンが着ていた一着のインド風スーツに目が留まり、試着してみたいと店員に言うと、細い急な階段を3階まで上がって、試着させてもらったら、ジャケットはピッタリなのだが、ベストが少し小さくて前のボタンが留められない、OMG!!
やはりダイエットをしないとアカン。
3人は別の店でインド服(クルタ)の特売品(一着約500円、定価は約2,500円)を見つけて買った。偶然にも3人とも同じサイズである。(もちろん、自分だけはギリギリ)
その後、近くの橋の歩道上に出ているフルーツの出店で、珍しい果物(カスタード・アップル)とパパイヤを買って帰った。
さて帰る段になって、タクシーを捕まえるのが一苦労で、かなりの距離を歩いて大通りまで出て、漸く足を確保して帰宅したのは午後8時半を回っていた。帰宅直後に飲んだビールは最高であった。(第二十二話完)

Vol.6-23

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十三話】(Day-12:Nov/4) ハイデラバード  晴27℃

今日は大阪の地方銀行のご一行様が当地を午後訪問され、IIT-H(インド国立工科大学ハイデラバード校)を視察されるということで、同宿の大学生2人と一緒にIIT-Hに出向き、午後12時に、同学で10年以上教鞭を執っておられる片岡教授と面談した。同教授とは過去に何度か会っていたが、直接対面でお話をするのは今回が初めてであった。CS(コンピューターサイエンス)専門の教授のお話は、将来についての強烈な刺激と新たな視点を得られたように思う。
面談の後で、同大学に半年間留学中のお茶の水女子大学の学生に学食でのランチを案内してもらった。学食のランチは基本ベジタリアンの定食で70ルピー(約115円)である。ノンベジ(チキン)料理は追加料金(55ルピー、=90円)で食べられる。やはり全体に味付けが少し辛いが、十分美味しく食べられた。
今日のメイン・イベントである地方銀行ご一行様のハイデラバード到着が、エア・インディア航空の事情で2時間ほど大幅に遅れるようだ。(あるある) こういう時にこそ、臨機応変な対応力が求められるのである。(第二十三話完)

Vol.6-24

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十四話】(Day-12:Nov/4) ハイデラバード  晴27℃

IIT-Hの学食でランチを終えて、スズキ㈱が当地で起業した、Next Bharat Venturesの傘下にあるSuzuki Innovation Centre(SIC)を訪問して、ご一行様が到着するまで、暫く時間調整をさせてもらった。
午後5時近くにご一行様が到着して、先ずはJapan Cultural Centreを視察、その後キャンパス内を案内した後、SICにご案内して、同社の概要のプレゼンを来訪者にしてもらって、質疑応答を終えてIIT-H視察は無事に完了。
市内に移動してビアホールで夕食会をしたが、自分も大阪育ちのせいか、大阪からの来客とあって、呑みながら歯に衣を着せぬ話をして意気投合したようだ。そもそも自分は失うものが無いので、遠慮のない半ばインド人的な振る舞いをするのだが、それが裏目に出ることもあり注意が必要だが、ほとんどの場合は良い結果を生んでいると自分では自負している。 (第二十四話完)

Vol.6-25

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十五話】(Day-13:Nov/5)ハイデラバード 晴27℃

昨日からIndobox社がお世話をしている大阪の地銀のご一行様は、今日はT-HubとT-WORKSの視察に加えて、WE HUBという女性の社会進出と就業を支援する、当地テランガナ州政府機関を訪問した。
今日は実はシーク教(男性はターバンを巻く)の祝日で、政府機関は休業日であったが、日本からの来訪者のために休日出勤して対応してくれた。先日も日曜日に来訪を受け入れてくれた事例があったが、この辺りはインドの臨機応変で実利的な精神の現れであるある。日本なら労働法コンプライアンスとか言って鼻から受け付けてくれないだろう。
WE HUBは今回初めての訪問となったが、州立大学のキャンパス内に設置されていて、ほぼ女性だけの職場である。いかにもそのような和みと温かみのある雰囲気の事務所であった。そこは州内の地方に出向いては、教育レベルの低い女性のためのスキル教育や、17~23歳の若い女性向けの就業指導、女性起業家への経営支援など、あらゆる年代や民族や部族、宗教、地域を問わず、全ての女性の社会進出と就業支援、即ち所得と生活レベルの向上を目指す活動である。これはインド社会全体の共通で最大の課題である、貧富格差の拡大に対する地方政府の取り組みとして注目に値する。2018年3月からオペレーションが開始され、現在では同州内に留まらず、他の州からも要請を受け、同様の組織の構築と施策の実装運用の協力を行なっているという。
日本政府もJICA(国際協力機構)を通して一部支援をしているようだが、このWE HUBの活動は、インド全土に行き渡るには時間も資金も全く足りていないに違いない。在インド日系企業によるCSR活動の対象にも打ってつけなので、何か自分でもできることが無いのか、考えさせられた。
WE HUB訪問を終えて、地銀のご一行様にはお暇乞いをして宿舎に戻った。今後の同地銀の連携によって、Indobox社が少しでも多くの中小企業のインド進出をお手伝いできれば嬉しく思う。(第二十五話完)

Vol.6-26

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十六話】(Day-14:Nov/6)ハイデラバード 晴27℃

今回の出張の14日目である。午前中は当地の不動産業者との面談で、高齢者向けの家事代行はもちろん、介護と診療サービス付きの超高級マンションを高所得者向けに売り出すという計画を持っていた。確かにインドも高齢化と少子化が進んでいて、高所得者の家族は、子息がアメリカに移住していてインドには戻ってこないケースが増えているため、残された老夫婦の面倒をみることができなくなっているという。そこで敢えて住み慣れた住居を手放して、全てのサービスを提供する高級マンションに引っ越すという需要が必ず増えてくるというのである。そうかも知れない。
日本の不動産業界もインドに注目しているので、介護関連事業者と共にこの話には乗れる可能性があるだろう、ということで日本側のパートナー候補を紹介することとした。
午後には当地のAI(人工知能)関連のスタートアップ企業を訪問して、今後の日本との連携について協議した。色々とできることがありそうで楽しみである。
今夕の食事は、インドでは一般的な生きている地鶏の新鮮な生肉を丸一羽近くで買ってきて、雇いのインド人のコックに唐揚げを調理してもらった。新鮮な鶏肉なので超美味いのである。
但し、失敗したのは、丸一羽買ったはずなのに、帰宅してカットされた鶏肉をよく見ると、レバーと砂肝が入っていないではないか! しまったと思ったが、あとの祭りである。本当はこの新鮮なレバーこそ最高に美味なのだが、当地では生の鶏肉を買うのに、皮は剥いでしまうし、レバーと砂肝は誰も食べないらしく、捨ててしまうのだ。その事を思い出して反省し、次回は鶏の頭以外は全部皮付きで持ち帰る事を確認することにした。ちなみに今日の鶏生肉一羽は約500円であった。生きた鶏をそのまま買えば1キロ300円もしない。通常はスキンレス(皮無し)で1キロ約400円だが、皮を残す(これをDressedと言うのが面白い!)と手間がかかるから1キロ約450円と高くなるのである。この超新鮮な地鶏を味わえるのはインドの醍醐味の一つではあるある。(第二十六話完)

Vol.6-27

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第二十七話】(Day-15:Nov/7)ハイデラバード 晴27℃

インドで道を歩いていると、色々なモノに出くわす。
公道を闊歩する野良牛やバッファローの一群、山羊の大集団、野良豚もしくはイノシシの家族、ラクダや象や馬、稀に見るのは野猿と孔雀などなど。日本で騒ぎを起こしている熊は流石に見たことがない。
インドで外に出て気を付けるべきは、①足下に注意すること、②蚊に刺されないように予防すること、③野良犬に噛まれないこと、である。
①は当然ながら、道に落ちている様々な動物の糞を踏まないためである。時には人糞であることもそう珍しくない。BOP(Bottom of the Pyramid)とも呼ばれる最底辺の階層の人達は、路上生活者であり幼い子供達は排泄も路上でしているからだ。時折その光景を目の当たりにすることがある。先日、牛の糞を踏んづけてしまって、その場では完全には落とせず、翌日の朝に半分乾燥したそれをトイレ用シャワーで洗い流した。
実は牛糞は臭くないし、人間に役に立つものなのだ。肥料になるし、家の壁や床の塗料にもなる。一度、牛糞でできた田舎の農家の家を訪問したことがあるが、夏でも外熱を通さず、室内は快適そうだった。
②はデング熱などの予防のため、肌の露出を少なくする服装を心がけることや、防虫スプレーなどで予防すると良い。
③は狂犬病の予防のために他ならない。友人や知人でデング熱に罹ったという日本人もいるが、幸い自分はまだその経験は無いが、野良犬に噛まれて焦ったことが一度だけあるが、大事には至らずに済んだ。いつ何処にいても犬死にだけはしたくないものだ。(第二十七話完)

Vol.6-28

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第二十八話】(Day-15:Nov/7)ハイデラバード 晴27℃

今日の午前中は宿舎のすぐ近くにあるISB(Indian School of Business)というビジネススクール(経営大学院)を訪問した。ここは全インドのビジネススクールの中でもトップクラスである。それが証拠に当学には歴代の大統領や首相が、卒業式などに漏れなく臨席されている。
このキャンパスには一人の日本人男子留学生が1年間のMBAコースで学んでいて、彼に案内してもらった。広い敷地は緑に囲まれていて、「孔雀の横断に注意!」なんて標識をキャンパス内の路上で見た。中央のメインの円形の建物の中に、教室や研究室、講堂や図書館、アドミン(総務管理課)、就職課、学食などがあり、外側に学生寮、教員宿舎が立ち並ぶ。全寮制であり、インド全国から有名校のMBAの資格を目指して学生が集まっている。学生寮は4人(個室)で一つのユニットでの共同生活。
世界各国のビジネススクールや経営、経済、商科系の大学院と提携していて、日本では名古屋商科大学と交換留学を実施しているが、ISBから日本への留学生は毎年いるが、インドに来る同大の学生は皆無でまだ実績は無いという。今回案内してくれた日本人留学生は、元大手銀行の社員で、会社を10年超勤めた後に一念発起して、インドでMBAを学んでいるというレアケースである。
同留学生の話を聞いていて、これはもっと多くの日本の若者にISBを知ってもらうべきだと思った。そのために日本との提携先を拡大することや、インド人の優秀な頭脳を日本に迎え入れる道を、このISBにも拓くために貢献できることがあると確信した。就職課の職員とも話をして、Indobox社がISBと合同で「日本就職フェア」などというセミナーや、日系企業の合同会社説明会などを企画推進できることを確認した。
日本人学生の友人で、ISBにフランスの提携校から、短期交換留学で来ていた日系フランス人(母親は日本人)の男子学生とも話ができた。彼はインドの次にベトナムでのインターンシップが決まっているが、その後には日本でもインターンシップを、祖父の介護中の母親の住む名古屋市で探す予定と言う。Indobox社の本拠地は名古屋市である。偶然とは思えない。
今夜、宿舎での夕食会に、この2人を招待することになり、驚いたことに、その日系フランス人学生は、日本風チキンカツカレーを調理して差し入れしてくれたのである。ここインドで、日本のカツカレーをフランス人の調理でご馳走になるとは、何という巡り合わせであろうか!! 
驚きはそれだけでは無かった。何と、夕食の席でカツカレーを無言で満足そうに食べていた、Indoboxの社長のご子息(中3生)が、突然その日系フランス人学生にフランス語で会話を始めたではないか!! 一同唖然(フリーズ)である。どうやら幼い頃に、ムンバイに駐在していた父親に同伴していて、フランス系の国際学校に通っていたため、自然にフランス語を身につけたのだそうだ。
日系フランス人学生は富士山が好きだと言うので、自分がインド人へのお土産にと日本から持ってきていた、赤富士のタペストリーをカツカレーのお礼にプレゼントした。このようなサプライズがあるのも、インドならではなのであるある。(第二十八話完)

Vol.6-29

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第二十九話】(Day-15:Nov/7)ハイデラバード 晴27℃

ビジネススクールを後にして、親日家の団体に立ち寄り、日本からお土産に持ってきていた和風デザインの暖簾をプレゼントした。この団体は先日の「第30回ハイデラバード日本祭り」の主催者だ。
この後、前回たどり着けなかった携帯電話会社ショップの場所を調べてもらって行ってみると、電話会社直営ではなく、代理店であったが、SIMカードを別の端末に入れ換えるという用件は済ますことができて一つ肩の荷が下りた。
次に向かったのは、市内で最大規模の高級スーパーマーケットである。オート(三輪タクシー)でそこに向かう途中、ドライバーが道を間違えて、高架道路に乗ってしまったことに気付いて昇り坂の途中で止まって、Uターンを始める気配だ。ちょっと待て、ここは一通でUターン(逆走)禁止だよ、とも思ったが、このまま進むと次の出口まで下りられないので、遠回りになってしまう、だから敢えてUターンして逆走して、地道に戻るという訳である。そこで成り行きに任せたら、ドライバーは上手く上ってくる車やバスを避けて、元の地道に戻ってくれた。ヤレヤレ、冷や汗ものではあったが、これもインドあるあるだ。(第二十九話完)

Vol.6-30

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十話】(Day-16:Nov/8)ハイデラバード 晴27℃

今朝はプネ大学大学院の日本語講義の最終回をオンラインで終えた。来週の土曜日にはプネを訪問するため、もう一度学生達に会えないかと打診したら、是非会いましょうとのことで、来週も特別講義を対面ですることに決定した。(但し無償奉仕だ)
昨晩に続いて、今夕も当地に住む日本人の学生や若者を5人招待して総勢9人で夕食懇親会があった。宿舎の裏通りにあるチキンショップに学生達を連れていき、生きたニワトリがどのように鶏肉として売られていくのか、その様を観て(聴いて)もらった。多くの日本人には観る(聴く)に堪えない光景だが、流石にインドに来ている若者たちだけあって、好奇心旺盛だ。今回は早い時間帯だったので、皮付き(Dressed)が用意できるとのことで、3羽注文した。約20分待って、小さくカットされたまだ生温かい鶏肉を受け取って帰宅し、雇われコックさんに唐揚げを調理してもらった。超新鮮で皮付きだけあって香ばしく最高に美味いと皆んな大好評であった。最もお勧めのレバーと砂肝の焼肉ソース炒めを作って出したら、これまた超絶賛された。自分も久し振りに味わった最高の鶏レバーであった。新鮮な鶏を堪能したあとは、豚しゃぶ鍋を皆んなで突っつきながら、ビール、焼酎(日本製)、ウイスキー、ラム酒と飲みものも十分に楽しんだ。会話が弾んだことは言うまでも無い。(第三十話完)

Vol.6-31

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十一話】(Day-17:Nov/9)デリーNCR 晴20℃

今朝は早朝5時過ぎにIndobox社の丹治社長と共に宿舎を出発してハイデラバード空港へ。昨夜は飲みすぎて、寝不足で体調は今ひとつ良くなかったが、予定通りデリーに到着。気温が20℃以下に下がっていて大変過ごしやすいが、やはり冬に向かって大気汚染が酷くなる予兆を見た気がする。どんより曇ったデリーの空港出口で、出迎えのドライバーが見当たらないと思い、ホテルに連絡をしたら、ドライバーは既に待っていてくれた事を知らされた。いつもはプラカードに大きく名前を書いて出迎えてくれるのだが、今日はカードを用意していなかったので、見落としていたようだ。空港から常宿の日本人専用旅館風ホテルに移動して、一息つく間もなく街中に出掛けて一仕事終えて、ランチはずっと実現していなかったCoCo壱番屋での初の試食がようやく実現した。
高級モールにあるお店は日本のCoCo壱の、カウンターで食べるファーストフードのイメージとはまるで違う。洒落たディナーレストランの雰囲気があり、カウンターは無く、座り心地の良いテーブル席のみだ。アルコール飲料も揃っていて、落ち着いてユックリ食事とお酒を楽しめるレストランである。メニューも豊富で前菜からサラダ、ラーメン、うどん、オムカレーまであって、ベジタリアンとノン・ベジも区別されている。内容的には驚くほどバラエティに飛んでいる。日曜日の午後1時で、お客の大半が日本人であったが、午後2時を過ぎるとインド人客が増えて逆転した。インド人の昼食は夕食と同様に遅いのであるある。
インドではまだ2店舗展開だが、10年内に100店舗展開を目指しているという。とあるレポートでは客単価は日本とほぼ同じというが、それはインドでは超高級料理を意味するから、超上層部の顧客のみが対象となる。果たしてインド人の好みに合致するのか、リピーターがどれだけ確保できているのか、真価が問われる時期に来ているのではないかと思う。
その後、当地で日本人学生のインド留学など、日印の学生交流をされている日本人女性と面談した。今後、双方の活動の地域を拡大するために、相互連携の可能性があることを確認した。
丹治社長と別れてホテルに戻ることにした。久し振りに大浴場で身体を癒すのが楽しみだ。(第三十一話完)

Vol.6-32

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十二話】(Day-17:Nov/9)デリーNCR 晴20℃

ホテルに戻って気がついたことは、地下1階に新しく鍼灸指圧サロンができていて、日本人が経営しているというので、見に降りてみた。確かに日本的なサロンで、日本人の経営者と思われる女性が応対してくれて、サービスメニューの説明を受けた。初回は30%割引とのことで、予約をして先に大浴場へ。久し振りに大きな湯船に浸かるのは有り難かった。寒くなってきたせいか、お湯の温度が低く感じたので、翌日マネージャーに伝えておこう。そういえば、部屋のエアコンの温度調節もできなかった。リモコンの電池が弱っているかも知れない。
お風呂から上がって、鍼灸指圧サロンで90分のアロマ全身マッサージをしてもらってスッキリ疲れが取れた。施術したのは日本人ではなく、やはり北東インドの女性であった。肩凝りには何が良いかと尋ねると、鍼灸を勧められたので、次回試してみよう。
夕食はこのホテルの楽しみである。特別サービスメニューがあって、今日は「シーフードフライ」を注文して、オクラ和えとご飯と味噌汁を付けてもらった。ビールに始まりウイスキーのお湯割りで締めた。満腹である。
今日は大浴場でお湯に浸かり、マッサージをして、美味しい和食を堪能して、大満足の1日となった。(第三十二話完)

Vol.6-33

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十三話】(Day-18:Nov/10)デリーNCR 晴20℃

当地の気温は徐々に下がっている。日中の最高は27℃だが、最低気温は日本とほぼ同じ12℃である。インドはシンガポールのように年中暑いというイメージがあるが、広大なインドは当たり前だが北と南、沿岸地域と内陸部では大きく異なる。首都ニューデリーは北部内陸地なので、寒暖差がとんでもない。真夏(5月)は50℃近くなり、真冬は0℃近くまで下がることがある。だからニューデリーより北は冬は暖房器具が不可欠となる。
今朝は日本とのオンライン面談があり、その後インド人の知人のお誘いを受けて、デリー郊外のノイダという街に出掛けた。ここはタージマハルがあるアグラやヒンドゥー教の聖地バラナシのある、ウッタルプラデシュ州の玄関口だ。車で約1時間半で訪問先に到着して、知人と合流した。ここは人材派遣業者で、インド人を世界各国に送り出している。近年は介護人材をドイツに送っているらしく、社内のドイツ語会話教室の授業も見せてもらった。ドイツの次に注目しているのが日本だということで、呼ばれたのである。創業者は日本の少子高齢化と労働事情にも通じていて、将来に向けて日本への人材派遣の基盤作りから始めたいとのこと。自分が最も注力している仕事なので、喜んでお手伝いさせてもらうことにした。早速明日、ニューデリーの日本人関係者との面談をセットした。
到着すると直ぐに、ロウソクに火を灯す歓迎と祈りの儀式があり、花束も受け取った。(あるある)
この仕事は自分のライフワークの一つと考えているが、それは自分が将来要介護となった場合に、インド人の介護士にお世話になるであろうことを想定しているからである。(第三十三話完)

Vol.6-34

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第三十四話】(Day-18:Nov/10)デリーNCR 晴20℃

先日ハイデラバードに来訪された大阪の地銀ご一行様から、以下のメッセージを受け取った。疲れが吹っ飛んだ。
・・・
「今回のインド視察を通じ、私を含めて参加メンバー一様に、一言では表せられない程大きな刺激を受けることができました。
得た知見や刺激を今後は、社内浸透・弊行お客様へ展開し、インドと関西を繋ぐ一助となれるように尽力して参ります。」
・・・
こういうフィードバックを得る度に、「やってきて良かった」という思いと、「もっともっとやらねば」という思いが深くなっていくのを感じる。
(第三十四話完)

Vol.6-35

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十五話改】(Day-19:Nov/11)デリーNCR 晴20℃

ノイダでの人材派遣会社との面談後、知人の車でホテルまで送ってもらう途中で、別のインド人の友人から電話が入り、「今から私の知り合い3人と〇〇で会って頂くことは可能ですか?」ときた。その友人とは兄弟のような関係だし、知人との夕食会まで時間は合ったので、面会の指定場所まで送ってもらった。友人に「着いたよ」とメッセージを入れると、「申し訳ないです。今さっき、3人がここを出たばかりなので、後40分後に着きますが、待って頂けますか?」ときた。そんな事になるだろうと、既に読んでいた。時間はあったので「良いですよ。待ってます。」と返信して、待ち合わせ場所のカフェには入らず、辺りを散策する事にした。
ここはイギリス統治時代の円形の広場を囲む、高級ブランドやお洒落なお店が入っている繁華街、コンノートプレイスという欧州的な雰囲気の漂う場所である。十数年振りに来たのでウロウロしていると、骨董品のお店が気になって入った。伝統あるお店のようで、北インドの民芸品、調度品や絵画が目を引く。面白いことに、このお店は一つの看板で2店舗が併設されていて、経営者は違うという。恐らく2代目の兄弟が暖簾分けしているに違いない。
そろそろ面会者3人が着く頃だ。ここはまた今度、ジックリ見に来ることにしよう。(第三十五話完)

Vol.6-36

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第三十六話】(Day-18:Nov/10) デリーNCR 晴20℃

約1時間待って面談した3人のインド人は、それぞれに日本から技術を移転して新たなビジネスの可能性を見出したいという、まぁ良くあるある話であった。この手の話は山ほど届くので、本気度が怪しい相手には常にこう言うことにしている。「自分は新しいビジネスを求めていない。だが、日印の橋渡しはできる。橋渡しをしてもその後が続かなければ自分の評判を落とすことになる。もし貴方が真剣で熱意が十分にあるなら、先ずは日本語でコミュニケーションできる人を雇って下さい。それができたらまた話をしましょう。」これでほとんどの場合、2度目の面談はない。(あるある)
コンノートプレイスで暫く過ごして、今晩ご一緒するもう一人の日本人の車で、知人宅での夕食会に向った。少し前に家族連れで日本を訪問していた時に、大阪で奥さんとも会っていて、今回はこっちがデリーに来たので夕食に誘われたという訳だ。着いたら午後6時半を回っていたが、インド人の夕食は午後7時以降なので丁度良い。街のレストランも午後7時に開店するのが一般的なのだ。
もう一人の日本人のゲストと一緒に、インド人の共通の知人宅で家庭料理(手料理だが、メイドさんも手伝っている)と飲み物を堪能し、遅くならない内においとました。(第三十六話完)

Vol.6-37

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十七話】(Day-19:Nov/11)デリーNCR 晴20℃

昨日訪問した人材派遣会社の日本向けプロジェクトを立ち上げるに当たって、インド政府機関であるNSDC(National Skill Development Corporation)の、最も重要な人物2人に会うことができた。昨日の面談の中で、日本政府機関であるJICA(国際協力機構)からNSDCに出向されている日本人の方に、電話で事情を話して今日の面談が実現した。インドではあるあることだ。その日本人の方にお願いして、日本へのTITP(技能実習制度)のインド人責任者(数年前に日本で会っていた)にも声をかけて頂いたら、幸運にも同席してくれた。これもインドあるあるである。
その後、自分がアドバイザーとしてインド事業のお手伝いをしている大阪のアパレルメーカーのインド現地会社を訪問して、最新状況と今後の対応についてミーティングを実施した。
その後、自分が定宿にしている日本人専用のホテルで、同社の幹部と夕食会をすることを提案した。
というのも、幹部たちの宿舎は古くて色々と問題もありそうだからである。この日本人専用に設計されたホテルには、必ずバスタブとウォシュレットがあり、大浴場と和食レストランが常設されていて、毎日朝と晩と和食が食べられて、ランドリーも毎日無料である。流石に1ヶ月で借りると割高になるが、数日間滞在する日本からの出張者にはうってつけなのだ。そして来年末までには、何と日本人向けの長期滞在用マンションAJU JAPAN TOWNが新築オープンするというから楽しみだ。今後日本企業がインドに進出する際に、東南アジア並みの快適な駐在生活が確保されることは頼もしい限りだ。(第三十七話完)

Vol.6-38

「インドあるある話シリーズ(Vol.6)2025年10-11月編第三十八話】(Day-20:Nov/12)デリーNCR 晴20℃

今日はデリー地区の最終日である。先ずは当地の日系人材斡旋会社を訪問して、昨日訪問したアパレル会社での人材募集について相談した。
その後、オンラインでアッサム州でのセミナーに登壇して、いつもながらインドの若者達に日本に来てもらうことを啓蒙した。
それからデリー空港に移動すると、プネ行きのフライトが45分遅れている。IndiGo航空なら余り遅れることはないのだが、今日は別のLCCのSpice Jetなので、遅れることがあるある。いつも国内便で苦労するのは、預けるバゲージの重量である。15Kgまでの制限があり、16Kgを超えないように、その分手荷物に振り分けるのだ。もちろん、手荷物は基本1個7Kgまでという制約があるのだが、実際にはキャリーバッグ1個だけの重量を計って通している。つまりハンドバッグは実のところメッチャ重いのだが、軽いバッグであるかのように振る舞うのである。
結局70分の遅れで出発した。次は我が第二のホームタウンのプネである。(第三十八話完)

Vol.6-39

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第三十九話】(Day-20:Nov/12)デリーNCR 晴20℃

インドの路上でよく見かけるのが、大八車(死語か?)での物売りと、ストリートフード(立ち食いの店)であるある。
物売りの行商は野菜、果物、日用品、竿竹(これも死語かも!)、オモチャ、衣服類、サングラス、オートバイのヘルメット、本類、などなど、あらゆる物を売り歩いていたり、特定の場所で店を開いていたりする。最も驚いたのは、自転車に乗りながら、ありとあらゆる日用品(掃除道具や洗面道具、食器など)の信じられない程の量を運んで住宅街をユックリ動き回って、通いのメイドさん達に売っている行商である。タイミングが合わず、写真に収めていないが、それはもう驚愕に値する。もう一つ驚くのは、トマトだけとか、葡萄だけとか、一品のみを売っている行商である。ちなみにトマト、玉ねぎ、ジャガイモなどは、生活の必需品とされていて、最底辺の階層の食費を守るために政府が価格統制や在庫のコントロールをすることがある。これらの野菜の価格は日本の5分の1から10分の1程度に抑えられている。
一方、ストリートフードもバラエティに飛んでいる。写真はデリーの路上で、ランチやスナックを売る業者である。チャパティ(小麦粉のパン)を伸ばしてフライパンで焼いて、オカズ(カレー)と売っている。恐らく誰かに場所代を払って毎日同じ場所を陣取っているのであろう。直ぐ前には政府機関の建物があり、職員がランチを食べに来るのだ。一品物を売る業者も多く、スナックならパニプリが最もポピュラーであろう。焼きトウモロコシも香ばしくて美味しい。サトウキビをその場で砕いて絞って作って新鮮な甘いジュースを飲ませてくれるのも自分の好物である。(Vol.6第二十二話ご参照) ストリートフードには特定の機材も必要となるが、インドの露天商で最も衝撃的だったのは、なんと言っても「路上散髪屋」である。歩道上に椅子と鏡だけを置いていて、髭も剃ってくれるのだ。ほとんど投資資金を必要としない、最も効率の良いビジネスである。庇も無いので雨天は休業となるが、インドでは雨は極端に少ないから成り立つ。この散髪はカットだけなら100円もしない。速くて安い散髪である。流石に自分は試したことはないが、ちゃんと冷房の効いた散髪屋には良く通っていた。最高に気持ち良くてクセになったのは、オイルヘッドマッサージである。ハイビスカスオイルやハーブオイルを頭皮まで染み込ませてシッカリ5分程マッサージしてくれる。ハッカが含まれているようで、特に暑い時期にはサッパリする。これが150円ほどの追加料金でやってくれるのだから、有り難い。これを日本でやったら数千円かかるのではないか。おっと、忘れていたが、これら露天商も支払いはUPI(Unified Payments Interface統合決済システム)であり、キャッシュ払いをしようとするとお釣りがないと言われて多めに払ってしまうので要注意である。(タクシーも同じ)
露天商はインドの名物だが、貧しい人達には救いでもあるので、まだまだ消えることの無いビジネスとして存続するだろう。(第三十九話完)

Vol.6-40

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第四十話】(Day-21:Nov/13)プネ晴23℃

昨晩、午後8時にインドの我がホームタウンのプネに着いた。デリーより少し暖かい。いつも故郷に帰ってきた憩いの感がある。延べ10年住んでいたのだから当然ではある。今日から大学のゲストハウスに泊めて貰うので、飲酒は出来ないから、空港に隣接されたミニモールの中に、一軒だけお酒が飲めるパブを見つけた。その名もThe Fisherman's Wharf Puneときた、シーフード専門である。南インドのゴアが本店で、ベンガルール、ハイデラバード、チェンナイなどで店舗展開しているようだ。どうりでデリー地区では聞いたことがない。
メニューを見ると、飲み物はビールからワイン、ハードリカーまで豊富で、ビールも8種類ほどある。ところが、である。一番ポピュラーなビールを注文すると、今日は置いていないという。どのビールがあるのかと聞くと、最も高い3種のみあると言う。これが曲者であるある。インドでは、お店によっては売上に対する店員へのインセンティブ(歩合給)があって、できるだけ単価の高いものを売り付けることがあるからだ。安いものは在庫が切れたと聞かされたら、顧客は別の高いものを注文してしまうのだ。こういう時には、敢えてビールを止めて、別のドリンクに切り換えることにしている。安いラム酒のソーダ割りにした。
シーフードスープ(イカ入りクラムチャウダー)は美味しかった。ベジタリアングリルサンドイッチもまずまずであった。
さて、そのモール内にあるアプリタクシー乗り場で、店員に予約を頼むと、「今すぐ乗るならXL(高級車)しかありません。」ときた。その手には乗らない。自分のスマホで一番安いタクシーを予約したら数分で到着した。料金は約半額だ。但し、現金払いなので、例によってお釣りはもらえず、少しチップをあげた格好になった。
インドでは事程左様に、誰もが高い物を売り付けようとするが、客が外国人と見るや、そのレベルは跳ね上がるのであるある。相手のペースに乗らないことが肝要だ。
さてさて、ゲストハウスに着いたのは午後10時近く。受け付けの係員が予約表を見ているが自分の名前が無いという。何度か見直してくれたが、見当たら無いようだ。学長直々に予約してもらったのだが、どうやら末端にまで届いていなかったようだ。(あるある) スマホに残していた学長からの録音メッセージを聴かせると納得したようで、3人部屋のVIPルームに通してくれた。ヤレヤレ、これでやっと安眠場所が確保できた。お湯も24時間出るし、トイレットペーパーもある。明日は朝から数百キロ離れた田舎街にバスで移動して一泊する予定だ。シャワーを浴びて明日の長旅に備えるとしよう。(第四十話完)

Vol.6-41①

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第四十一話】(Day-21:Nov/13)プネ晴23℃

今朝は当地マハラシュトラ州の東の端の田舎街にある大学総長の出身地の里でのイベントが、明日予定されているというので、大学関係者に混ざって貸切バスで移動することになった。300キロ程あるらしい。さて、目的地には何時になるのか。行ったことのない田舎街へ冒険の旅が楽しみだ。
今朝は8時に朝食を頼んでいたが、部屋に届いたのは8時半を過ぎていた。当地定番の朝食である。イドリ(米粉が原料の蒸しパン)、ウプマ(スジ粉で作った柔らかいケーキ)、ポーハ(米フレーク)とサンバール(野菜カレースープ)である。イドリにはココナッツチャツネが良く合う。美味しく懐かしく戴いた。
さて、バスに乗る集合時刻は9時10分と聞いていたので、急いで向かったが、9時半になってバスに乗り込んだものの、例によってまだ出発しない。遅れてくる誰かを待っているのか、誰も何も伝えてくれないので、成り行きに任せるしかない。
結局バスが出発した時、午前10時半を過ぎていた。バスの中で1時間待たされたことになる。
今回の目的地はLatur(ラトゥール)というマハラシュトラ州東端の田舎街である。途中2回の休憩(ランチとティー)を取って、目的地のホテルに着いたのは午後8時過ぎ。プネを出発してから9時間半後である。これは羽田からデリーに飛ぶ飛行時間に等しいから、やはり長旅であった。
ヤレヤレ、やっとホテルに入れるかと思いきや、全く予想もしない難関が待ち受けていたのである。(第四十一話 続く)

Vol.6-41②

「インドあるある話(Vol.6)2025年10-11月編第四十一話】(Day-21:Nov/13)プネ晴23℃

長距離バス旅行は、9時間半かけて目的地のホテルに着いた。さて、実は一つの不安が既によぎっていたのである。それというのも、自分は特別ゲストとして学長から招待を受けているのだが、当初聞いていたアレンジと実際は異なっていたからである。当初はゲストハウスから車で付き添いの教授が同伴してくれるとのことであったのだが、昨晩の学長からの連絡では、大学から出発するバスに教授達と一緒に乗って来てくれということだった。それは構わないのだが、当初聞いていたアレンジとは明らかに対応の格が下がっていたのだ。
そういう事なので、ホテルの部屋はどのようにアレンジされているのか、気になっていた。それは自分の名前は乗り込んだバスの乗員リストには載っていなかった事を知ったからである。
果たせるかな、ホテルのチェックインでは2人で一部屋の相部屋が充てがわれていた。これは大学職員ならインドでは常識的だ。レセプションホールで座って待っていると、自分が呼ばれてカウンターに行くと、「この人について行って下さい」と言われて、一緒にバスで来た大学職員の後を部屋まで行くと、「この部屋でご一緒します〇〇です」、と言って自己紹介を始めたのである。ちょっと待ってくれ、この部屋はダブルルームで、ベッドは一つしかない。自分を部屋に案内してくれたのかと思いきや、同伴しますので宜しくと言うのだ。彼には罪はないので、招待してくれた学長と、学長から指示を受けて面倒を見てくれている世話役の職員にも以下のメッセージを送った。
「私は知らない他人と一緒にベッドを共有したことは、人生で一度も無いし、そうする用意はない。自分で支払うから一人部屋を用意して欲しい。」
直ぐに学長から電話が掛かってきて、「手違いがあったようで申し訳ない。別の部屋を確保するから取りあえず荷物は自分(学長)の部屋において、夕食に行ってください。」と言うので、先ずはホッとして、部屋を出てレセプションに下りて、学長の部屋に自分の荷物を預けてくれと頼むと、何ということか、「その名前の人は泊まっていません。」ときた。その後の、学長と3回電話でのやり取りで分かったことはこうだ。
当地に来ている大学関係者は3グループに分かれていて、経営層のトップグループ(A)、管理層のグループ(B)、その他グループ(C)で、ホテルも3つに分かれているのだ。当初の予定では、自分は学長と同じAグループに入る予定であったのが、被招待者が増えたか何かの理由で、自分がそのAグループからCグループに落とされていたようだ。
結果として、自分はBグループの滞在ホテルで、個室を充てがわれて、ようやく落ち着いた。この事がまた次に想定しなかった偶然を生むことになる。(乞うご期待!)
今回の問題は、トップの意思に反する事が起きてしまった、という視点と、その理由として、自分の存在が、世話人達にとっては、単に学長の友人であること程度にしか伝わっていなかったと(本当は創設者で今回のイベントの主宰者の総長と自分の関係もあるのだ)いうことと、まだ就任して1年程度の学長に対する世話人達のリスペクトが意外と低いのではないか、総長の跡取り息子派の人間が世話人の中にいるのではないか、そういう背景から、自分への扱いがぞんざいになったのではないか、と考察した。詰まる所、ホストである学長が意図したことが、実際にゲストの世話をする現場に下りていくに従って、正しく伝わらないことが良くあるということであるある。
ヤレヤレともかく、これで安眠できる。(第四十一話完)