Vol.9-1

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第一話】Day-1:Jul/18 ムンバイ 雨のち曇 27℃

約4ヶ月超振りのインド出張に出掛けた初日である。今回は香港経由ムンバイから始まる2週間6都市の旅となる。
インドでは何事も予定通りに行かないものだが、時には良いこともある。
香港から乗り継いだ便の指定座席はB777の真ん中4席の内側であったが、自分の列の一つ前の列から最後部までの数列だけが何故か3列設定になっていて、その真ん中席に座るはずであった。ところが、席に到着するとインド人の母娘とみられる2人が自分の席に座っていて、「あのぉ、そこは私の席なんですが・・」と言うと、「そちらの席に座ってもらえますか?」と通路側の席を指差した。事前に許可を求めることなく座っているところがインドであるある。しかしこれは結果オーライ(古い!)であったのだ。自分は常にできるだけ通路席を予約しているのだが、今回は取れなかったのであった。しかも本来なら中央部は4席シートなのに、その列は3席になっていたから、自分の席の通路は通常の倍の広さであった。お蔭で5時間のフライトが快適に過ごせたのである。幼い娘を同伴していた母親も隣同士になれて助かったことだろう。寝落ちしたその娘さんに何度か蹴られたが、大したことではなかった。ただ、機内食ではベジタリアンを選んだら、これは全く美味しく無くてガッカリ。キャセイ航空は手を抜いていたなぁ〜。
この後、ムンバイ空港に到着してからのエピソードが早速面白い連続となる。
(第一話完)

Vol.9-2

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第二話】(Day-1:Jul/18) ムンバイ 雨のち曇 27℃

今回初めてのことだが、機内で乗客全員に1枚の紙が配られた。SDF(Self Declaration Format)と書かれていて、どうやらパンデミック予防対策のようだ。直近でエボラ熱などの感染地域に滞在していたかなどの質問に答える自己申告書であった。全ての設問に答えて、自分のインドでの滞在予定先や緊急連絡先などの情報を記入しておいた。入国審査時に提出することになる。
実はつい最近、インド在住の友人から、このSDFも既に電子化が進められていて、事前の電子登録が必須と聞いていたのだが、どうやら今回は紙の申告で良いようだ。
さて、フライトは定刻(翌19日00:20)より50分早く、23:30に到着した。
入国審査ではアライバル・カード(入国カード)を書いて出すのだが、これが何と完全電子化されていたのである。いや、電子化が始まったのはもう1年程前からと知っていたが、これまでは紙のカードも置いてあって、それに記入して出していたのだが、今回は紙のカードはどこにも見当たら無かった。こうなったら電子化するしかない。スマホを使って掲示されているQRコードでアクセスしてカード入力するのだが、これが厄介なのだ。インドで使用するスマホをオンにして早速試したら、何と残高不足でインターネット接続ができないことが判明した。止むなく日本のスマホを使って、空港の無料WIFIに接続して、QRコードでアクセスし、自分の口座を作って登録完了後にようやくアライバル・カード入力が完了するまでに30分を費やした。
入国審査を無事に終えたのは到着後約1時間後であったが、ふと気付くと、あのSDF(自己申告書)を提出していなかったのだ。つまり、検疫も素通りで、入国審査官も税関職員も、誰もSDFを要求しなかったということだ。ヤレヤレ、新しいルールが徹底されないのもインドあるあるである。
(第二話完)

Vol.9-3

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三話】Day-1:Jul/18 ムンバイ 雨のち曇 27℃

今回のこのシリーズは初日からハプニングの連続である。
ムンバイ空港の入国審査を無事に終えて、パスポートの入国スタンプを確認しようとページをめくると、スタンプが無い!、と焦ってもう一度ユックリ見直したら、何と、空白の6ページを吹っ飛ばして、ポツンと押してあったのだ。ヤレヤレ安堵して、荷物引き取りに向かった。表示されたターンテーブルに着くと、丁度自分のスーツケースが流れて行くのを見つけて追いかけると、他人がそれを担ぎ上げて下ろしている。直ぐに追いついて、「あのぉ、それ、私のですけど?」と言うと、そのインド人の旅行者は、「えっ、そうでしたか?自分のものと見間違えたようです。ゴメンナサイ!」何と、危うく他人に持ち出されるところであった。持ち上げると腰が抜けそうに重いスーツケースを下ろしてもらってラッキーと、気持ちを入れ替えて税関に向かう。長い行列ができているので、ふと見回すと、「Senior Citizens & Wheel Chairs」という表示を見つけたので、誰もいないそこから入っていって、荷物をX線に通して税関を無事に通過し、出口手前で日本円をインドルピーに両替して、ターミナルの外に出て、ホテルから出迎えのドライバーを探したら直ぐに自分の名前が書かれたプラカードが見つかった。外国旅行では空港で出迎え人と直ぐに合流できないと不安で仕方が無くなるものだ。大空港ではターミナルも出口も複数あるので要注意である。出迎え人との連絡方法も事前に確認しておく必要がある。今回は出迎えのドライバーの名前も、車の番号も、携帯番号も連絡が来ていなかったのだが、信頼できる友人がアレンジしてくれたので不安は無かった。
約15分でホテルに到着したのは、翌日の午前1:30、空港到着から2時間後であった。車を出ると、外の湿気で一瞬にしてメガネが曇ってしまう。気温は日本と変わらないが、ここムンバイはモンスーンの雨季に当たり、湿気がトンデモナイ。
部屋に入って一息ついて、明日の朝食を誘ってくれていた当地のインド人の友人にメッセージを投げたら、翌朝返事が来て、昨日の午後から感染症か何かで胃の調子が最悪なので、今朝の朝食のお伴はできなくてスマナイと断ってきた。お気の毒だが、それなら前日に連絡をしてくれても良さそうなものだが、余程具合が悪かったのであろう、これもインドあるあるである。
(第三話完)

Vol.9-4

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第四話】Day-2:Jul/19 ムンバイ 曇のち雨 27℃

一夜明けて、2日目のムンバイは湿気は多いが、曇っていて快適である。ホテルの近くのBarista系列のカフェに入ってみた。
インド産のコーヒー一杯が税込242ルピー(約440円)とベジパフ(パイのような軽いパン)が152ルピー(約275円)計394ルピー(約715円)と決して安くはないが、コーヒーは旨い。インド産のコーヒーは、インド産のアッサムティーやダージリンティーなど、有名な紅茶ほど知られていないが、実はインドはコーヒーやワインの産地でもあるのだ。自分はいつもインド出張から自宅への土産にアラビカコーヒー豆を買って持ち帰っている位だ。
このカフェで、嬉しい発見があった。数年前に日本からインドに渡って高評価を得ているスナック菓子の「カリカリ」を見つけた。これはかの有名な「柿の種」のインド版で、亀田製菓の副社長に就任されたインド人のジュネジャ・レカ・ラジュ氏がインド市場への進出の貢献者として知られている。同氏は現在は会長にまで上り詰められた。
このカフェの店員さんにカリカリを持ってポーズをとってもらったが、この二人が自分で稼いだバイト代で、この店に客としてコーヒーを楽しむことも、カリカリを買う機会も遠い先のことだろう。そこにインドの社会が抱えるけたたましい貧富の差が現実として存在している。家電のセールスをしている店員が、使ったことのない家電製品を販売していたり、クルマを運転したことのない新車のセールスがいたりするのが当たり前の社会だが、インドの経済成長に伴って、いつかそのような格差が無くなれば、16億人にも成長することが確実視されているインドが、いつか世界一の経済大国になることも現実のことになるだろう。
(第四話完)

Vol.9-5

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第五話】(Day-2:Jul/19) ムンバイ 曇のち雨 27℃

12時半にホテルをチェックアウトして、午後1時過ぎに当地ムンバイに住むインド人の友人と再会して、別のホテルにチェックインした後、ホテル近くのレストバー(お酒が飲めるレストラン)でランチをしながら、近況を交換した。今後も様々なプロジェクトがあり、自分も貢献できることを確認した。彼には明日のプネ行きの特急列車の予約をお願いしておいた。
一旦ホテルに戻って、明日のホテルと明後日のハイデラバード行きのエアチケットを予約して休憩。
午後8時に友人がピックアップしてくれて、夕食のシーフードレストランへ。カナダに住む彼の長男が帰国中で、今回初めて会った。まだ若いが近くムンバイにカフェチェーン店を開業すると言う起業家である。彼の運転でレストランに向かう途中、その第1号店となる店舗も案内してくれた。
ムンバイは海に近いので、シーフード料理が楽しめる街である。今回案内されたところは、歴史のある小綺麗な、かつ庶民的な場所であった。タリーと呼ばれるセットメニューの中から、海老のタリーを注文した。ホストの二人が、蟹爪フライとアサリを追加オーダーしてくれたので、十分過ぎる量であった。料理もどれも美味しくて堪能した。但し、このお店ではお酒は置いていないので、白ワインが飲め無くて少し物足りなかった。インドでは良くあることだ。
ホテルに戻ると、そのままバーに直行してウイスキーとつまみのマサラピーナッツチャールを注文して、2杯お代わりした。午後11時を過ぎたので、バーを出て、ホテルのレセプションで近くにリカーショップは無いか聞くと、歩いて数分であると言うので、出掛けると直ぐに見つかり、閉店前にウイスキーの小瓶をゲットしてホテルに戻った。インドではウイスキーなどのハードリカーは、通常のフルボトルの他にハーフボトルやクオーターボトルがあるので非常に便利である。ミニボトルで飲み比べもできるし、飲まずに飾りにも悪くはない。これは要するに、日銭を稼いだ人がお酒を楽しめる仕組みであるある。
(第五話完)

Vol.9-6

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第六話】(Day-3:Jul/20) ムンバイ 雨 28℃

今朝のムンバイは雨である。当地はこの季節に大雨による冠水被害が出ることで知られている。今日も鉄砲雨の注意喚起が出ていた。通常この時期に3回の大雨が来るという。その1回目は先週辺りにあったようだ。
今日は自分の第二の故郷となったプネに鉄道で移動するのだが、最新の全席1等指定の特急は満席で予約が取れたのは、2等車や3等車のある急行列車となったようだ。その経験も悪くない。
昨夜は深夜前にホテルを出て近くのリカーショップに歩いてウイスキーを買ってきたが、これはインドに慣れきっている自分だからできることで、初めてインドを訪問する日本人旅行者には決してお勧めしないことである。道傍には浮浪者もいるし、歩道で生活している家族も居るし、危険な野良犬にも出くわすことがあるからだ。実際、自分にも以前に野良犬に咬まれた経験があるので、その怖さは身に染みているから、深夜の外出にはそれなりの警戒神経を張り巡らすのだ。
今朝の朝食は、当地の典型的な取り合わせを久し振りに楽しんだ。何と言っても新鮮なパパイヤはいつも最高のご馳走である。ワダと呼ばれる米粉で作ったドーナツをサンバーと呼ばれる冬瓜などが入った野菜スープに浸して食べるのが最高に美味い!! インドに帰ってきたなぁ〜とつくづく感激するのだ。
それにしても、自分ながらに思うのは、インドに帰ってくると、正に水を得た魚となっているなぁと自認している。さぁて、これからどんなハプニングが待ち受けているのか。面白いことに出逢う予感でワクワクドキドキハラハラと湧いてくるものがある。
(第六話完)

Vol.9-7

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第七話】(Day-3:Jul/20) ムンバイ 雨のち曇 28℃

当地の気候は想定通り快適である。気温は30℃を超えることは無く、湿気は多いが風があると涼しいのである。この時期は正に日本からインドに避暑に来ている感覚なのである。
午前11時にチェックアウトして、友人の次男坊にピックアップしてもらって、予約した列車の始発駅まで送ってもらった。久し振りの再会を喜び合い、近況を交換したら何と、彼は来月南米のボリビアで自身が結婚式を挙げると聞いて驚いた。その相手がペルー人女性というから二度ビックリ。希有なご縁で結ばれたという。スペイン語を母語とするフィアンセは英語が達者ではないため、二人の会話はグーグル翻訳でと言うから、また驚いた。いつか近い将来、南米で日本的経営やモノづくりの講習会を一緒にやろうという話に意気投合したのだから、人生とは何と面白いことか。自分はメキシコに5年間駐在した経験があり、スペイン語もまだ使えるので南米訪問も問題無いので、新しい楽しみが増えたのも不思議なご縁である。
さて、今回の列車はチェンナイ・エクスプレスという名の在来型急行列車で、1等車から3等車まである中の、THIRD AC(3A)であった。つまり日中はベンチシートに3人掛けで座り、夜になると3段式の寝台に変わるのである。ふと昔観た「チェンナイ・エクスプレス」というボリウッド映画を思い出した。この列車は西のムンバイから東のチェンナイまで約1,300キロを22時間かけて結んでいる。
半時間ほどで始発駅に着いたが、いつもの世界遺産になっているムンバイセントラル駅ではなく、6車線しかないマイナーな始発駅である。建物も古く歴史を感じさせてくれる。新しい発見は、駅構内の移動をサポートする電動カートがあって、50ルピー払うと目的の列車の乗り口まで荷物と共に運んでくれるのだ。重い荷物を運ぶ手間が省けたて助かった。
始発駅なので慌てることもなく、ホームでチャイを飲んで、早目に乗り込んだ。同じコンパートメントには一人の男性と、乳幼児を連れたイスラム教徒と覚しき若い夫婦が乗り込んできた。
列車はほぼ定刻に静かに発車した。駅構内も車内もアナウンスが一切無いのは日本とはまるで異なるが、これに慣れてしまうと、逆に日本の鉄道はアナウンスが多過ぎて喧しくて仕方が無いように感じるものだ。
さてこれから自分の第二の故郷となったプネまで、3時間20分の列車の旅が始まった。
(第七話完)

Vol.9-8

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第八話】(Day-3:Jul/20) ムンバイ 雨のち曇 28℃

ムンバイからプネまで3時間20分の寝台急行列車の旅である。ほぼ定刻に出発した始発駅はLOKMANYA TILAK駅と名付けられているが、これは当地で活躍したフリーダムファイター(独立戦士)の一人の名前である。彼の苗字がTILAKでLOKMANYAは「インドのヒーロー」という尊称であるらしい。ちなみにインドの国父として知られるマハトマ・ガンジー(ガンディー)も同じく、Gandhiが苗字でMahatmaは「偉大なる魂」という尊称である。ガンディー翁の本名はモハンダス・カラムチャンド・ガンディーである。インドの著名人には尊称が付いていることがあるのだ。
さて、乗車した急行列車は、途中幾つかの主要駅で停車し、一人の若い女性が乗り込んできた。このコンパートメントでは大人が5人と赤ん坊が1人となった。(定員6人) その女性は向かい側の席だが、直ぐに3段式寝台の上段に荷物を上げ、自身も登ってパソコンを操作し始めたが、暫くすると毛布を被って横になり寝始めたようだ。赤ん坊を抱えた母親は窓に向かって座り、お乳をあげているようだ。父親と隣の男性が会話をし始めている。外人と分かってか、あるいは北東インドからの出稼ぎと見られたか、それは分からないが、誰も自分に声をかけて来なかった。声をかけられたのは一度だけ、車掌によるチケット確認であった。電子化されているので、スマホに届いたPDF版のチケットを見せるだけだ。そもそもインドの鉄道では「改札」というものが無い。見送る人や出迎える人は、本来は「入場券」を買う必要があるのだが、改札が無いので自由にプラットフォームに入れるのだ。
車内では物売りの往来がハンパない。ペットボトルの飲料水やソフトドリンク(アルコール類は販売禁止)、お茶とコーヒー、お弁当やハンバーガー、ビリヤニ(南インドの炊き込みご飯)などの食事、ポテトチップスなどのスナック、地域の特産のチッキ(ピーナッツやカシューナッツ、ゴマなどのナッツ類を、「ジャグリー」と呼ばれるサトウキビ糖のシロップで固めた伝統的なお菓子)などのお菓子類までは当然としても、携帯電話用充電コード、アクセサリー、そして腕時計まで売りに来るのだ。眠りに落ちても、これらの売り子達が頻繁に次々に声を上げて通るので、ユックリ寝ていることもできない。
この地域は南インドを広く覆っているデカン高原の入り口に当たる場所である。列車は山道を登っていくが、時々超低速になったり、一時停車している。何もアナウンスが無いから、何が起こっているのかも分からない。途中の駅を発ってから、ドアが開けっ放しになっていることに気付いて、空いているドア口から外を見たら、何と人が線路を歩いているではないか!考えてみれば、危険ではあるが確実に目的地に歩いて到達できることは間違いない。そして煙たいなぁと、ふと前方を見ると、若者が一つ前のドア口でタバコを吸っていた。これもインドあるあるである。
列車は何度も一時停止を繰り返したので、かなり到着が遅れる予感があったが、やはり目的地のプネ駅に着いたのは定刻からちょうど1時間遅れであった。ヤレヤレ、以前に乗った全席リクライニング座席の特急列車ほど快適とは言えなかったが、面白い旅ではあった。スマホにインストールしている高度計を見たら、ここは標高554mであった。
(第八話完)

Vol.9-9

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第九話】(Day-3:Jul/20) プネ 曇 26℃

プネ駅に着いたのは定刻の1時間遅れであったので、ホテルには寄らずに駅から約束の面談場所に直行することにして、世話人の知人にタクシーを呼んでもらったが、上手くタクシーが見つからず、3度目の正直で乗ったが、半時間ほど時間を無駄にしてしまった。ようやく面談会場に着いたのは、約束の時刻を少し過ぎていた。インドで時間通りに事が進まないのは、こういう事が起こるからであるある。
本日の面談相手はCII(Confederation of Indian Industryインド産業連盟)という日本の経団連のような大きな組織のプネ支部のメンバーであった。その中の一人とは以前に知り合い交信をしていて、今回のプネ訪問時にグループで会おうということになっていたのだ。
7名の参加者と名刺交換して、早速日印関係とビジネスの進め方に関するプレゼンをした。参加者の中で日本を経験しているのは2人だけで、その他の人達には日本は未知の国である。それだけに活発な質疑応答になった。今後、具体的な事業領域での日印間のビジネス開拓の可能性を個別にオンラインでも協議しようということでおひらきに。
そこからホテルに送ってもらって、チェックインを済ませて懇親会の夕食会場へ。メンバーにはベジタリアンもいたが、幸いホテルに近いレストバーを予約してくれていた。日本を経験していた一人は、この直近の夏休みに家族連れで日本に旅行したそうで、奥さんはベジタリアンで食べるものに苦労したらしいが、本人も子供も日本食が気に入って大いに堪能したそうだ。次回は3ヶ月ほど滞在して、ビジネスの機会を探りたいと意気込んでいた。色々とお手伝いができそうで、益々忙しくなるだろう。
固いシートの列車の長旅の後で、ホテルに戻ったのは午後10時を回っていた。さすがに疲れが出て、いつの間にか寝落ちしたようだ。
(第九話完)

Vol.9-10

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十話】(Day-4:Jul/21) プネ 曇 26℃

昨晩泊まったホテルは素泊まりで一泊4千円しないが、エアコンは付いていて、珍しくツインベッドルームであった。エアコンのリモコンがいかにも怪しげで、いつか断線するのではないかと訝しながら、試さずに放置して夕食に出掛けた。ホテルに戻って早速エアコンを点けようとしたら、案の定電源が入らない。フロントに下りて誰かに見てもらうように頼んだら、若い使用人来てくれて、何をどうしたのか分からないが、ちゃんと動き出した。温度調節の仕方も教えてもらったので、涼しくしてグッスリ休めた。しかし、このリモコンはそのままではアカンやろうと思うのだが、インド人の感覚では壊れるまでは使うということのようだ。そもそも自分の家ならちゃんと修理交換するだろうが、一泊するだけの赤の他は気にしないし、ホテルの使用人も自分に責任は無いと考えているから、何もしないに違いない。万事そうであるから、インドでは経営者が余程繊細な感覚を持ち合わせていないと、安全や清潔といった、ユーザー目線のメンテナンスが非常に弱いのである。以前にも書いたが、エアコンを設置する人はエアコンを自分で所有したことはないし、ホテルの従業員はホテルに泊まったことがないのが、インドの現実なのである。
これも先に書いたが、インドでは路上生活者がいたるところで見られるが、当地プネの都会の真ん中でも今だに存在しているのだ。これらの貧困層がアパート暮らしをするようになれば、インドが一歩先進国に近づくことになるだろう。
(第十話完)

Vol.9-11

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十一話】(Day-4:Jul/21) プネ 曇 26℃

午前11時に当地の友人とカフェで再会し面談した後、空港に向かった。西インドのプネから南インドのハイデラバードに飛ぶ。国内便は預ける荷物は15Kgまで、機内持ち込み手荷物はリュックやハンドバッグなどとは別に7Kgまでと制限があるので、日本から持ってきたスーツケースの中に収めていたキャリーバッグを取り出して、荷物を2つに分けてチェックインした。チケットは3席の真ん中で取ってあったが、通路席は空いてないか聞いたら、Exit(非常出口)席が空いているとのことで席を替えてもらった。搭乗したら、その列は誰も隣に座らず、3席を独り占めしたのである。
その便は定刻より少し遅れて出発、約1時間で到着した。荷物もスムーズに引き取って、タクシー乗り場へ。予約時点では909ルピー(約1,500円)と表示されたが、到着したら、775ルピーであった。なんかラッキー続きで気味悪い。
今回もいつものように、自分がアドバイザーを務める会社の社長宅に泊めてもらうことになっている。何と偶然にもこの日は同社長ご子息の16歳の誕生日とのことで、焼肉バースデーパーティーであった。今日は運の良い日に違いない。インドでは普通食することが無いビーフと、新鮮なポークを野菜も一緒にホットプレートで焼いて、タレと塩で戴いたのだが、めっちゃ美味しかった。まさかインドでビーフの焼肉とは驚愕である。長年住んだプネでは州の法律でビーフはご法度だったのだ。
今日誕生日を迎えた息子さんは「インド最高!」と言っている。その感激を多くの日本の若者にも発信して欲しいとお願いした。
(第十一話完)

Vol.9-12

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十二話】(Day-5:Jul/22) ハイデラバード 曇 26℃

当地ハイデラバードもデカン高原にあり標高550mあるため、日中の気温は26℃前後で30℃を超えることは無いので快適である。
今日はアドバイザーを務めるコンサル会社Indobox社主催のインド人材関連のセミナーに参加登壇した。日本の中堅中小企業5社がインド人材の活用を目指して、企業紹介を行ってどのような人材を求めているのかを発表して、インド側の求職者とのマッチングを図る試みである。日本側のプレゼンが日本語で発表された時には、同時翻訳アプリを利用する初の試みであった。同時翻訳の効果はあったようだ。参加していた約40名のインド人の若者の前で、日本での就職機会と注意事項について短いお話をした。セミナーの後、数人の参加者が個別に相談に寄ってきた。この中の何人が日本で就職することになるのか、愉しみだ。今回の就職マッチングは今後も継続していくという。
夜はムンバイで活躍中のYoutuberのMAYOさんがゲストとして招かれてインド談義で大いに盛り上がり、夕食を楽しんだ。デザートは当地の極上のマンゴーを堪能した。
https://youtube.com/@mayo_india?si=1BOirCApd9ml-v_W
(第十二話完)

Vol.9-13

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第十三話】(Day-6:Jul/23) ハイデラバード 曇 26℃

自分が滞在している集合高層マンションは、全体で約2000世帯入っている大規模なコンドミニアムで、インドで言う3BHK(3LDK)の高級マンションである。日本と違うのは各ベッドルームにバス・トイレが完備していることだ。セキュリティゲートでIDやパス(通行許可)の確認を経て、敷地内に入るとミニスーパーやカフェテリア、クリニック、公園、ジムとプール、バスケットボールコートなどがあり、安全で優雅に便利に暮らせる環境が整っている。それにコロナ以降急速に発達したホームデリバリーサービスは、今では生鮮食料品はもとより、日用品から家電まで何でも配達してくれるから便利である。飲料水や野菜果物などは時間帯によって速ければ10分で届くというのだから驚異的だ。それも24時間対応である。日本の都会なら、近くのコンビニに出掛けるような買い物が、自宅に居ながら10分で届くのだから、これほど有り難いことは無い。日本の都会でもこれをやれば、特に一人暮らしの高齢者にも受けるサービスではないか。但し、外国人労働者に頼ることになるだろう。インドでこれが実現したのは、圧倒的に失業者が多いことと、バイクを乗る人が多いからである。自家用車でショッピングモールに行くのも交通渋滞が益々酷くなっているし、週末はパーキングも満車である。
高級マンションに住む上流階級の住民は、必ず複数のメイド(家事手伝い)を雇っている。滞在中のこの家でも毎朝午前7時にメイドが来て、半時間ほど全部屋の掃除をして出ていく。最近は臨時のメイドをオンデマンドで呼べるらしい。按摩サービスもあって、アプリで予約したら、家まで来てくれるらしい。但し、当たり前だが同性の按摩師が来るとのこと。インドではこと左様に新しいサービス(雇用)が生まれているのだ。
↓この中の3D WALK-THROUGHを観てもらえば、日本よりも快適なインドの生活環境に驚くだろう!
My Home Vihanga | 2BHK ,3BHK Flats Near Financial District | Gachibowli https://share.google/L7EvdwqKYYswEUW4s
(第十三話完)

Vol.9-14

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十四話】(Day-6:Jul/23) ハイデラバード 晴 27℃

今日は当地の国立工科大学ハイデラバード校(IIT-H)を訪問した後、半官半民のスタートアップ・インキュベータ(起業家支援機関)であるT-hubを訪問した。
IIT-Hとのアポは午後2時であったので、余裕を持って正午過ぎに宿舎を出てタクシーをアプリで予約したら2分後に到着するはずだったのが、5分経ってもドライバーが一向に来ない。いつの間にかドライバーが変更されていた。アプリで見るとドライバーが全く動いていないので、予約をキャンセルして予約し直したら、また同じくドライバーが動いていない、少ししたらまたもやドライバーが変更されている。そのドライバーも動いていない。同じことが何度か繰り返されたので、絶対何かがおかしい。そこで現在間借りしてお世話になっている家主の社長に聞いてみると、「ドライバーのストライキかもですね」とのこと。なるほど、それはありそうだ。同社長に予約してもらったタクシーにやっと乗り込んで、ドライバーに何が起こっているのか聞いてみると、やはりストライキであった。結局IIT-Hに着いたのは約束の時刻を15分遅れていたが、事前に事情は伝えていたので何ら問題はなかった。
IIT-Hでは、国際交流担当教授と産学連携担当教授との面談ができて、今後のIIT-Hの活動に貢献できることは喜んでさせて頂くことを約束した。面談後、同学キャンパス内に設置されているInnovation Centreに拠点を構えているスズキの研究開発センターを1年振りに訪問して、新しいメンバーとの顔合わせをした。
郊外のIIT-H大学を出て市内に戻り、久し振りにT-hub幹部との面談をした。同社が推進中の''Japan Immersion Program''(日本人対象インド研修)の次の展開について議論した。自分が貢献できることが結構ありそうで愉しみである。今後益々忙しくなりそうで、ワクワクしてくるのであるある。
(第十四話完)

Vol.9-15

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第十五話】(Day-6:Jul/23) ハイデラバード 晴 27℃

予期せぬ悪いニュースが今夕飛び込んで来た。何と、明日は全ての教育関係施設が臨時休業(閉鎖)になるという。それは最近首都ニューデリーで社会問題となっている、大学入試問題漏洩事件に端を発し、教育大臣の辞任を求める反政府抗議運動の余波が当地にまで及んでいる模様だ。
以下のような通達が州内の全家庭に届いているらしい。
この通達が出たために、明日の午前に予定していた私立大学訪問はキャンセルされたのである。ヤレヤレ、インドでは何事も予定通りに行かないということなのだ。
(第十五話完)
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CIRCULAR

Subject: Holiday on 24th July 2026 (Friday) –Statewide Bandh(以下註釈)
This is to inform all teaching staff, non-teaching staff, and students that 24th July 2026(Friday) will be observed as a holiday in view of the bandh.
All concerned are instructed to inform the faculty, students and staff.
Further, please note that the Examinations scheduled on 24th July 2026 are postponed. The revised schedule will be notified shortly.

Registrar
註釈:
「Bandh(バンド)」とは、主にインドなどの南アジアで使われる言葉で、政治的な目的などで行われる「ゼネスト(全国一斉ストライキ)」や「大規模な都市封鎖(商店街や学校、交通機関の閉鎖)」を意味します。語源はヒンディー語で「閉じる」「縛る」を意味し、抗議活動として強制的に社会機能を停止させることを指します。
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インド「ゴキブリ人民党」が首都で抗議デモ 警官と衝突し60人負傷 https://share.google/v0mbuwy38WEzhvIhk

Vol.9-16

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十六話】(Day-7:Jul/24) ハイデラバード 晴 28℃

今日は午前に予定していた私立大学訪問がキャンセルされたため、日本で開催が予定されていた、ある私設研究会にオンライン参加した。ところが、接続して開始時間を15分過ぎても一向に始まらない。同じく参加していた5人も心配そうにつぶやき始めた。知っている人はいない。一人の参加者が主催者事務局に電話をしてくれて、今日のオンライン接続はできそうに無いとのこと。過去にもこの研究会はオンライン対応が苦手なことを知っていたので、やっぱりかぁ、と今日は諦めかけたのだが、参加者の人達から、せっかく時間を取っているので、今参加している人達でお話をしませんかという提案があり、そうすることになったのである。自分も当初の予定(大学訪問)がキャンセルされたため、時間はあるのでそのままオンライン接続して様子を窺っていたら、各位の自己紹介が始まった。自分の番になって、経歴の紹介に続き、いつもの「日本の将来はインドしかない!」と言うと、参加者からインドの話を聞きたいと言う声が上がり、何とそのまま続いて約30分のプレゼンをすることになったのである。
プレゼンが終わると参加者からの質問と感謝の言葉を頂いた。その後雑談をしていたら、予期せず事務局が接続できたようで、そこからは本来の研究会の講演が聞こえてきた。
ヤレヤレ、日本で開催しているハイブリッド研究会でさえ、こんなことが起こるのだから、インドの不確かさを馬鹿にはできないのである。
午後から約束していた面談に出掛けた。最近当地に進出された著名な日本企業の代表者とT-hubで面談して、インドでの生活を楽しむ秘訣についてや、家族を迎える際のインド観光のポイント、そして最重要トピックであるインドでの仕事上の注意点などをお話した。少しでも役に立てていれば幸いである。
さて、今日の夕食はお好み焼きであった。自分はお好み焼きを焼くのは得意なので、やらせてもらった。青海苔や紅生姜などの具材は十分揃っていないが、鰹節、ソース、マヨネーズ、マスタードはある。インドでお好み焼きを食べられるとは何と有り難いことか、楽しく美味しい夕食を堪能させてもらった。
(第十六話完)

Vol.9-17

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十七話】(Day-8:Jul/25) ハイデラバード 晴 28℃

今朝の朝食は南インド料理のレストランに出かけた。小洒落た感じの庶民的なところであった。南インド料理と言えば、自分が大好物なのは「Wada Dip」と呼ばれる定番で、第六話でも書いたものだ。驚いたのは、この店のことではなく、道路の向かいに建っている非常に奇抜な色をした商業ビルである。こんな派手なのは流石にこれまで見たことが無かった。
朝食を終えて、今日の最初のイベントに向かった。We Workというレンタルワークスペースで、主に20代の若者達が集まるグループに、日印関係と日本が目指しているSociety 5.0という社会の概念についてプレゼンをした。
この会場で見かけた、日本に関するものが2つあった。1つはビルのレセプション(受付)横の7月のイベント案内掲示板に、7月7日Tanabata Wishesとあったので驚いた。親日家グループが企画開催したのだろう。もう1つはレンタルスペースのホールに置いてあった何冊かの本の一番上にJapanese Interiorsと題する立派な本に気付いた。中を見ると現代的な日本の建築美の写真集であった。偶然に見かけたことが何とも不思議なpleasant surprise (嬉しい驚き)であった。
(第十七話完)

Vol.9-18

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十八話】(Day-8:Jul/25) ハイデラバード 晴 28℃

午後はIndobox社の丹治社長と共に、当地の著名な私立女子大学を訪問した。ムンバイの知人からの紹介で、初めての面談である。学長が出迎えてくれた。ここはインドの私立校では良くある幼稚園から大学院までの一貫教育をしている、規模の大きい女子教育機関である。地方から来ている学生のためのホステル(寮)もあるが、大半の学生は地元から通っているそうだ。
学長との挨拶の後、学生へのプレゼンの機会を設けてくれていた。約60名ほどの2年生が集まっていた。いつものように''Opportunities for Indian Youth with Japan''というタイトルで約40分の講演をさせてもらい、続いて丹治社長からIndobox社の概要と活動について話をしてもらった。
講演の後、教授陣が集まっていた会議室に通され、学長も交えて日本の教育機関との交流を目指し、Indobox社が協力することを約束した。
丹治社長宅での夕食には、日本から当地に駐在している若者5人がゲストとして招かれた。内4人とは一昨日IIT-H大学のInnovation Centreで面談していた。夕食には新鮮な鶏の唐揚げが特別メニューとしてもてなされた。これは以前にも書いているが、生きた鶏をその場で屠殺して鶏肉として販売しているお店に出掛けて自分が調達してきたものだ。(Vol.8第十一話参照)
ゲストには自分の経歴とインドとの関わりについて、ゲストからの質問に答える形で話をした。日本から20代の若者がインドに駐在していることは非常に素晴らしいことである。海外事業経験者でさえインド人と仕事をすることは容易ではないのだから、ビジネス経験の浅い若者には大変な苦労が伴っているに違いないが、自分を磨く絶好の機会と捉えて果敢に多様な困難に挑戦して欲しいと思う。
(第十八話完)

Vol.9-19

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第十九話】(Day-9:Jul/26)  ハイデラバード 晴 30℃

今日はハイデラバード滞在の最終日である。日曜日だがインドの若者向けの日本留学セミナー'Study in Japan'が開催され、Indobox社のアドバイザーの立場で登壇し、日印関係について短いスピーチをした。自分に続いて丹治社長から日本の労働者不足の状況とIndobox社の取り組みについてプレゼンをして、参加者の日本留学への関心を高めることができたように思う。いつものことだが、講演の後も多くの参加者が写真撮影と個別相談に寄ってきた。休憩を挟んで後半は個人別のコンサルティングをやっていた。1人でも多くのインドの若者が日本への留学と、希望する就職の機会が得られることを祈り、少しでもお手伝いができれば嬉しく思う。
イベント会場を出て、タクシーで中華料理店に行きランチをした。何とそこは50年以上の歴史を持つ、知る人ぞ知る老舗であった。料理の味も量もメニューもかなり良い。偶然の発見となった。今後はこの店からのホームデリバリーもできそうだ。
https://www.instagram.com/reel/C6_TSeavmU4/?igsh=bHQ3M2psM2hld3hk
ランチの後、空港へ向かった。チェックインを済ませて、ゲートに向かっていると、ムービングウォークの前方に、歩かないで立ち止まっているカップルが通路を塞いでいて、誰も注意しないので後ろの何人もの人も止まっていた。こっちは時間に余裕があったので、「通して下さい」と声を上げることは憚られたが、その次のウォークには乗らないで普通に歩いた方が速かった。
(第十九話完)

Vol.9-20

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第二十話】(Day-9:Jul/26)  チェンナイ 晴 31℃

ハイデラバードから約1時間飛び、南インドを代表する大都市のチェンナイに着いた。ここは低地で海岸沿いなので気温は高いが、真夏はすでに超えたので気温は最高でも36℃程度、但し最低気温は30℃近くあり、蒸し暑いが今の日本よりは快適である。今回の当地訪問の主たる目的は、最近自分が正式に特別顧問に就任したFWC Japanという団体のインドの本部創設者で、意気投合して友人となったDr.CK Ashok Kumarの70歳の誕生記念日を祝うことである。実は今日の昼間がその記念祝賀パーティーであったが、先にハイデラバードでの活動を約束していたため、祝賀会には間に合わなかったのである。
夕刻午後7時過ぎに着いて、友人のアレンジで出迎えが待っていた。タクシーでホテルに向かうと思っていたが、予定を変更してミーティングに向かうと言う。その友人とシンガポールから祝賀会に参加するために来訪中の年配者が待っているとのこと。実はまだ今晩どのホテルに泊まるのかさえ知らされていなかった。出迎え人によると、そのシンガポールから来ている年配者の宿舎で顔合わせをして、その後ホテルに向かう事になるらしい。
FWC(First World Community)の創設者で当地の名士でもある友人と再会を喜び合い、お互いの古稀を称え合った。そこでシンガポールから来訪している年配者を紹介された。その年配者は著名な科学者で、御年84歳とのことだが、まだまだ現役で活動されているようだ。古くから日本との関係も深いとのこと。今後何かお役に立てることがあればと思う。
面談を終えてホテルに向かう車内で電話があり、先月日本で会った当地のヨーガ専門家が今から会いに来ると言う。これも予期しなかったことだが、インドではあるあるだ。ホテルの場所を知らせたら、チェックインして直ぐに部屋までやって来た。しかも友人を伴っていた。(あるある) 結局3人で夕食をすることになり、ホテルから歩いて15分ほどでバーを見つけて入ったが、ピーナッツとチップスなどのスナックしかない。大瓶ビールを飲み干してそこを出て、ホテルの横のレストランに移動した。そこはノンベジだがお酒は置いていない。メニューを見て驚いたのは、チキンカツ・サンド、タマゴ・サンドが有るのだ。聞くと、この店のオーナーが日本食のファンだと言うから納得だ。チキンカツ・サンドを注文したら美味しくいただけた。
夕食後、ホテルに戻る前にリカーショップに寄ってビールと大好物のオールドモンク(国産ラム酒)をゲットしようと思ったが、あいにくそのショップには置いて無かったので、同行したヨーガ専門家にオールドモンクを買ってきて欲しいと頼んで、ストロングビール大瓶2本を買ってホテルに戻ったのは午後11時を回っていた。ビール1本飲んだらもうベッドに倒れ込んだ。
(第二十話完)

Vol.9-21

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第二十一話】(Day-10: Jul/27)  チェンナイ 晴 34℃

当地は晴だとやはり暑い。朝から34℃まで上がっている。まず今朝は昨晩会ったシンガポールから来訪中の年配者を交えての朝食会に出かけた。総勢5名になっていたが、友人は来ないという。初対面の人もいたので、互いの自己紹介をしている。特に目的もなく集まっているというインドあるあるの光景だ。共通の知り合いが例の友人という訳である。ここはベジタリアン料理のレストランだが、メニューを見ると非常にバラエティに富んでいることを改めて認識させられた。
食事を終えて、市内のモールに移動し、同友人がサポートしているNaturalsという自然療法コスメの本社を訪問した。ここに来るのは2度目である。そこの会議室で待っているとFWC創設者の友人が現れて、日印間のビジネスに繋がる製品やサービスについて協議することになり、数人のビジネスオーナーが順番に各自の事業のプレゼンを始めた。個々の事業について日本と組むための一般的なアドバイスをして、以降は個別に交信することとした。その後、Naturals傘下の美容専門学校と高級理容店を訪問した。これも2回目であるが、約1年前と変わりはなさそうだ。
その後、友人とシンガポールの年配者と別れて、北インド料理のランチの後、このタミール・ナドゥ州の産業大臣との面会に向かった。午後4時のアポらしいが、車を駐める場所が無く、ウロウロしていると午後4時を過ぎていた。大臣室前の待合に着いたら20分を超えていたが、待っている人も10人近くいて、一向に順番が回ってこない。40分になっても入れてもらえない。これだからインドではアポの時間が守られることは非常に稀なのだ。
この次のアポは観光大臣との面会が午後5時に控えていると言うから、当地の人は何ともおおらかであるある。それにしても、待ち合いの10名の中でジャケットを来ている男性は2人だけで、自分に同行している3人も含めてラフな服装であるのは、おおらかを超えて余りにもカジュアルであることにも驚いた。結局、産業大臣との面談が実現したのは午後5時をとうに過ぎていた。事前に調べておくべきであったが、何と女性の大臣であった。長年の日印関係の自己紹介をして、自分がFWC Japanの特別顧問として両国の中堅中小企業間のビジネスマッチングに、日印双方で努めていることを伝えた。
(第二十一話完)

Vol.9-22

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第二十二話】(Day-10: Jul/27)  チェンナイ 晴 34℃

州の女性の産業大臣との面会の後、当初5時にアポを得ていた観光大臣との面会に向かったのは午後5時半を過ぎていた。大臣は外出中で不在であったが、戻ってくとのことで待たされること約40分、大臣の執務室には自分のグループとは別に、4組ほどの面会者が次々に入ってきた。自分達が最前列に着席して待っていたのだが、大臣が戻ってくると、後ろで待っていた大臣の顔見知りと見られる人達が次々と前に出て大臣と立ち話を始めた。都合でFWC代表の友人が来れなくなったからか、自分たちは後回しにされた恰好だが、これもインドあるあるなのだ。友人が来ていたら一番に面会できていたに違いない。長身で恰幅の良い観光大臣との面会も非常に和やかで好意的であった。大臣には今がちょうど時節となっている京都の祇園祭のデザインの手拭いを記念品としてプレゼントしたら大層喜んでもらえたようだ。今後、日印間の双方向のツーリズムの進展に少しでも貢献できるよう努力することを表明した。約束の時間とはかけ離れてしまったが、両大臣との面会は成功裡に終えることができて安堵した。インドでは約束の時間を守ることよりも、状況が変わっても辛抱強く待って、本来の目的を果たすことが重要視されているのであるある。
ホテルに送ってもらって同行したFWCメンバーと別れた。
(第二十二話完)

Vol.9-23

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十三話】(Day-10: Jul/27)  チェンナイ 晴 34℃

先の産業大臣と観光大臣との面会について補足しておくと、インドは人口も14億人を超え、面積も日本の9倍と広く、州ごとに民族も言語も異なる多様性で知られる。今回訪問しているムンバイとプネはマハラシュトラ州で、この一つの州に日本の人口と面積がスッポリ収まってしまう。同州の言語はマラーティ語である。ハイデラバードはテランガーナ州で、2014年にAP(アンドラ・プラデシュ)州から分離独立した州だが、ここの言語はテルグ語である。そして今訪問中のチェンナイはタミール・ナドゥ州にあり、言語はタミール語という訳である。隣にあるAP州と言語が全く違うのだから、当然ながら古代から歴史的に別々の独立した国家(王朝)であった。したがってインドでは州ごとに独立した三権(立憲・行政・司法)が存在している。各州には州首相(チーフ・ミニスター)がいて、各大臣がいるということなのだ。
つまりインドはアメリカ合衆国の体制にに近い連邦共和国なのである。ついでに、当地チェンナイではインドの最重要公用語であるヒンディー語を話せる人口は非常に少ない。2011年の調査では、タミール・ナドゥ州でヒンディー語の話者人口はわずか2%程度であった。従い、町中のあらゆる標識の言語はタミール語と英語である。他の州ではヒンディー語での表記もある。例えばムンバイではマラーティ語とヒンディー語と英語で表記されているし、ハイデラバードでは、テルグ語とヒンディー語と英語である。ニューデリーでは、ヒンディー語と英語が標準だが、ウルドゥー語もよく見る。ウルドゥー語は表記文字がアラビア語やペルシャ語に近く、右から左に書くが、話し言葉ではヒンディー語とほぼ同じである。ヒンディーとウルドゥー語を合わせてヒンドゥスタン語と呼ばれることもあるようだ。言語だけでもインドは多様でややこしいのであるある。因みにウルドゥー語はパキスタンの国語である。
https://share.google/6gjkBq5hSF8a1igXL
(第二十三話完)

Vol.9-24

「インドあるある話シリーズ(Vol.9) 2026年7月編 第二十二話】(Day-10: Jul/27)  チェンナイ 晴 34℃

この日、モールで見かけた自動販売機に驚いた。現金は使えず電子マネー専用なのだが、日本と違って交通系のICカードもスマホのタッチ決済も無いので、QRコードによるスマホ決済のみなのだが、自動販売機に設置された端末にはメニューが表示されるので、画面タッチでメニューから複数の商品を一度にタッチで選択して、合計金額をQRコードで電子決済すると、商品が受け取り口に下りてくる仕組みである。自動販売機をモールや空港など至る所で見かけるようになったのは数年前と記憶しているが、現金が使えない機器を見たのは今回初めてであった。
(第二十四話完)

Vol.9-25

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十五話】(Day-11: Jul/28)  チェンナイ 晴 34℃

今朝はチェンナイからポンディシェリという、インドに8都市ある連邦直轄領の一つで、元フランスの植民地に向けて、南に165km車で移動する。インド洋に面したベンガル湾の海岸線を約3時間半のドライブとなる。
途中で朝食休憩を取った。ここは東南アジアや中東にも展開している人気の南インド料理店である。初めてイディアッパムと呼ばれる麺のようなパンを試してみたら、美味しくて気に入った。これは米粉で作られる細い麺を丸くまとめたようなパンで、ココナッツチャツネをかけて手で食べる。サイドには甘いココナッツミルクが添えてある。自分の好物であるサンバーという野菜スープも頼んで味変を愉しんだ。食後は南インドのフィルターコーヒーで仕上げとなる。
高級店ではないので、食事を終えるとHand Washの洗面所に行って手を洗うのだが、今日はそこはバケツに入った水をすくって洗った。これもインドあるあるである。節水対策と思われる。
さて、ドライブを再開するとしばらくして海岸線が見えてきた。ビーチやリゾートも所々に見えてきた。椰子の木が生い茂っている南国の景色である。
しばらくすると、この海岸線の道路拡張と高架工事が続く。これは想定内であった。まだまだインドの交通インフラは発展途上である。数ヶ所で工事現場の迂回ルートが設けられていた。少なくとも片側2車線の高速道路を整備完了しなければ、ポンディシェリへの観光誘致は難しいだろう。午前11時過ぎにポンディシェリの街に入ったようだ。州をまたいだが、州境のようなチェックポイントは無かった。フレンチコロニーがどのような街なのか、ワクワクしてくる。
(第二十五話完)

Vol.9-26

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十六話】(Day-11: Jul/28)  ポンディシェリ 晴 34℃

当初はFWC幹部2人がチェンナイから同行することになっていたのだが、1人は別の用件で来れなくなったようだ。(あるある)
ポンディシェリに着くと3人のFWC現地幹部が迎えてくれた。
当初FWC創設者である友人に聞いていたのは、ここのCM(チーフ・ミニスター、首相)に12時に面会するはずだったのだが、例によって「予定は未定」であるある。午前11時半に最初に面談したのは、前IT大臣であった。12時を半時間も過ぎても一向に動く気配が無いが、前大臣はしきりに誰かと連絡を取っている。
午後1時前になって漸く面会を終えて、2つ目の面談は当地のCII (前出 Confederation of Indian Industry、インド産業連盟)の地区会長であった。そこはフランス風の建物の中に事務所とレストランが入っている。簡単な面談を終えて、レストランを案内してくれた。
その後、いよいよ州首相との面会に5分ほど歩いて向かった。待合室に通されたのは午後2時を回っていた。またも首相は席を外しているようだ。待つこと1時間を超えたが、その間に面会者がどんどん増えて、待合室は一杯になっていた。午後3時を過ぎた頃、首相が執務室に戻られたが、その後も動きがない。こっちは遠く日本からはるばる面会に来ているのだが、オフィシャルな外交ルートではないため、飽くまでも当地の世話人と首相の側近者との繋がりの強さで優先順位が決まるようだ。これもインドあるあるの典型であると言えよう。
結局、次のアポであるChief Secretary (首席秘書官)との面会時刻(15:45)が近づいたので、首相との面会は諦めて秘書官との面会に間に合わせた。首相よりもむしろ重要な面会相手だからだ。秘書官は約束の時刻に面会してくれて、事前に届けられていた自分の略歴にも目を通されていたようで、非常に前向きな話ができた。次の展開が愉しみだ。同秘書官の執務室は海に面していて、いつでも海面の様子とビーチの景色が愉しめる絶好の場所であった。
その後遅いランチを近くのベジタリアン料理店で摂った。これで今日の予定のやっと3/5を消化し終わったばかりである。
(第二十六話完)

Vol.9-27

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十七話】(Day-11: Jul/28)  ポンディシェリ 晴 34℃

当地はインドの中で最も面積が小さく、人口の少ない(70万人)行政地区の一つであり、7,700万人のタミール・ナドゥ州に囲まれた海沿いの小都市である。正式名称はPuducherry(プドゥチェリ)だが、フランスの植民地支配が280年ほどあり、Pondicherry(ポンディシェリ)としても知られるが、当地の人々はPondy(ポンディ)と呼んでいる。市内を通る運河やフレンチクオーターなどが特徴である。建物もフランス風の高い天井と両開きのドアや窓が多いのが目につく。街を歩いているフランス人風の女性を数人見かけたが、旅行者に見える人と永住者に見える人がいたように感じた。
驚いたのは、1947年にインドはイギリスの植民地から独立したが、当地ポンディがフランスから独立したのは1954年であったことや、日本と縁のある独立戦士の1人のネタジ(指導者)・スバス・チャンドラ・ボースが、イギリスの監視下から逃れるために当地に滞在していたことである。その記念館が残っていた。(閉まっていた)
先に書いたCIIの建物を案内してもらった時に、レストラン2階のベランダからふと下を見ると、社会福祉団体が
路上で無償で食べ物を提供している様子が見られた。これは貧富の差がとてつもないインドの各地で見られることである。個人で活動している人もいるようだ。他のインドの街と同じく、この街にも路上生活者や物乞いは居るのだろうか、気になるところだ。
(第二十七話完)

Vol.9-28

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十八話】(Day-11: Jul/28)  ポンディシェリ 晴 34℃

遅いランチを終えて、市内のアーユルヴェーダ・クリニックを訪問した。各都市に同種のクリニックは多く存在するが、このクリニックの経営者は観光客向けのリゾートホテルにもクリニックを構えている。アビヤンガやシロダーラを含むほぼ全ての基本的かつ本格的なアーユルヴェーダ施術が男女共に受けられる。海岸線のリゾートホテルに案内してくれたが、そこはどの先進国のリゾート・ホテルにも匹敵するレベルと言って良い程の高級感があった。近い将来、ここに宿泊してアーユルヴェーダを体験してもらう、年配者向けのウェルネスツアーを企画したいと思った。
今日の最後の面談は夕食会である。今日会ったアーユルヴェーダの事業者の友人が合流する予定であったようだが、先方に予定が入ったらしくドタキャンとなり、4人だけとなった。(あるある)
(第二十八話完)

Vol.9-29

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第二十九話】(Day-12: Jul/29)  ポンディシェリ 晴 34℃

今朝は朝食も摂らずに7時から出掛けた。当地で有名なオーロヴィルと呼ばれる国際エコヴィレッジとでも呼ぼうか、ポンディとタミールナドゥ州に跨る、世界的にも珍しい国際的共同体でスピリチュアルな体験をした。
オーロヴィルとは、インドのタミル・ナードゥ州ヴィリュップラム県にある国際的な共同体のことで、インド人思想家・宗教家であるオーロビンド・ゴーシュのパートナーであったフランス人女性ミラ・アルファサ(Mirra Alfassa)によって、1968年に設立された。世界中の人々が、民族・国籍・思想信条・宗教を乗り越えて調和することが目指されている。
先ず午前中はこの共同体の中心である「マトリマンディール」と呼ばれる、金色の巨大な球体をした瞑想施設を訪問した。ここは特定の宗教や教義には属さず、「人間のunity(一体性)」を象徴する精神的シンボルとされていて、世界から多くの訪問者があり、事前予約が必要で、夏から冬にかけては宿泊施設も予約が取れない程という。
このオーロビルという共同体とマトリマンディールという瞑想施設のことは筆舌に尽くし難いが、訪問する価値のある場所であると確信した。
マトリマンディールのチェンバー(ドーム)の中は「完全なる静寂」が求められ、会話は厳禁、スマホや財布の持ち込み禁止、備えてある白いソックスを履く。
特にドーム最上階の瞑想ルームでは15分間、完全厳粛な静寂が求められ、もし咳やくしゃみが出そうなら、そっと部屋から退出するように言われた。会場の中心に設置されたクリスタルボールを囲うように、約30人ほどの自分は朝食を抜いてきたので腹の虫が鳴くのを恐れていたのだが、何と、瞑想が
始まって10分ほど経過した頃に、予期せずいきなり小さい咳が出てしまった。その音は静寂の瞑想会場に響き渡ってしまったのだ。ドームの中なので、音が広がっているため、誰が雑音の発生者かは、恐らく自分の席のに近くに座っていた人達でさえ、分からなかったかも知れない。15分が経過し、照明が点いた時に、誰もこっちを見る人はいなかったのでホッとした。下の映像を観ればどのような場所なのかイメージが湧くであろう。
Visiting the Matrimandir | Auroville https://share.google/BsiwK43cIIz55vnqb
過去に日本人がここを訪れてブログを書いているのを発見したので、こちらを参照されたい。
【オーロヴィル滞在記①】インドに創られた世界都市|Kaede https://share.google/nkEGUo92R9gJXudSu
Matramandirを出て、Auroville Visitor Centreのカフェテリアで遅い朝食(ブランチ)をして、次のアポに向かった。
(第二十九話完)

Vol.9-30

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十話】(Day-12: Jul/29)  ポンディシェリ 晴 34℃

この日の午後12時に国立ポンディチェリー大学訪問が決まっていた。良くぞ僅か1週間程度前の要請で受け入れてくれることになったものだが、これもFWC(First World Community)団体の当地の幹部が、同大学のNo.3の立場の学部長とのコネがあればこそ実現したのであった。しかも数日前に学生に向けた講演をお願いして、それも実行されたのだから尚更素晴らしい。キャンパスに到着して経営学部の学部長に挨拶に行き、そこから本日の講演会場に移動した。40名程の経営大学院(MBA)の1、2年生が待っていた。講演のタイトルはいつもと同じ、Opportunities for Indian Youth with Japan である。その中で、聴講生たちのマルチリンガル度を聞いてみると、驚いたことに、当地周辺の言語であるテルグ語、カンナダ語、マラヤラム語のどれかを話せて、当地の言語であるタミール語は話せないという学生が2、3割いたので、後で聞いてみると確かに、周辺の州から進学してくるそうだ。因みにインドの大学で学ぶ言語は英語なので問題は無いのであるある。
好評裡に講演を終えて、今回受け入れ手配をしてくれたNo.3の学部長との面談で、早速日本語教育と日本の大学との連携について相談を受けた。FWC として相談に応じる事を約した。
(第三十話完)

Vol.9-31

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十話】(Day-12: Jul/29)  ポンディシェリ 晴 34℃

インドの国立大学の名前は所在地の都市名や州名が付いていることが多いのだが、その地名がローカル言語化されて変更されても、大学名は変更されていない事に、10年程前に気付いた。2015年頃に東インドのコルカタ(旧名称はカルカッタ)のIIM(Indian Institute of Management国立経営大学院)に招聘されて、講演をした時に気付いたが、大学名はIIM-Calcuttaであった。2017年辺りであったか、西インドのムンバイ(旧名ボンベイ)のIIT(Indian Institute of Technology国立工科大学)
に招聘されて、講演をした際に気付いた正式名称はIIT-Bombayであった。
今回訪問したポンディチェリー大学も、1985年に設立された当時の地名のままであった。地名が変更されたのは2006年である。
コルカタ(ベンガル語)は2001年、ムンバイ(マラーティ語)は1995年に地名がそれぞれ英語から、各地の母語に変更されているのである。
これはとりも直さず、インドが1858年から1947年までイギリスの植民地として直轄統治下にあったことに由来する。1911年まで首都はカルカッタであった。実際のイギリスによる間接統治は正式には1757年から始まっているのだが、イギリスの東インド会社がカルカッタに設立されたのが1600年なので、インド人から見るとイギリスによるインド支配は300年以上に及ぶことになる。
ついでに、フランスによるインド支配も正式にはフランス東インド会社設立の1664年からという。
因みにWikipediaによれば、17〜18世紀に欧州からインドに進出した東インド会社はオランダ(1602年)、デンマーク(1616年)、ポルトガル(1628年)などを含め8ヶ国に及ぶというから、インドの歴史は何とも複雑である。
(第三十一話完)

Vol.9-32

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十二話】(Day-12: Jul/29)  ポンディシェリ 晴 34℃

大学のゲストハウスでランチをご馳走になり、オーロビルに再度向かった。同コミュニティを運営している幹部との面談がセットされていた。ここは環境に配慮した製品の開発や、自然の恵みであるハーブを使ったモノづくり、オーガニック農業など、環境と健康に優しい事業を世界中から誘致しているようだ。ユニークなSound Healing Center(音による癒し)として設立されたSVARAMという体験型の遊戯施設もあった。
Home - SVARAM https://share.google/uGD0PpPRxgSerW0NL
幹部に案内された幾つかのショップとの面会と、幹部との面談で、FWCの立場で日本とどのように関わっていけるかを探ることとした。
このオーロビルは現在進行中の公園整備工事を2028年2月21日(Motherと呼ばれる創立者の生誕150周年)までに終えて、記念すべきマイルストーン(設立60周年)を迎えるという。それまでに、オーロビル視察とアーユルヴェーダを含むインドの伝統医学体験ができるウェルネスツーリズムのエコシステムをFWCが関わって確立できることを願う。
(第三十二話完)

Vol.9-33

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十三話】(Day-13: Jul/30)  チェンナイ 晴 34℃

今日は朝ポンディシェリのホテルを出て、チェンナイに戻り空港に向かう予定であったが、FWC創設者で友人から電話があり、チェンナイで時間があるなら、案内したい所があるから来てくれと言うので、寄ることに。そこは大規模な老人世帯向け高級コンドミニアムで、特に老人向けの3食、介護、診療、各種リクリエーション(運動と娯楽)、日常の買い物ができるミニスーパーなどの設備とサービスがほぼ何でも完備し整っている。土地が狭い日本ではこれほど贅沢なコンドミニアムは先ず無いだろう。全体で約1000世帯が居住しているというから相当な住民数である。同様の施設はインド各地に展開していると言うので、次回プネでも見に行ってみようと思う。
老後の生活に関わる設備やサービスは圧倒的に日本が先進国である。今後、シルバーケアの事業分野でも、日印の連携と協力が始まるかも知れないと感じた。
そこの食堂でベジタリアン・ランチをご馳走になり、空港に向かった。ヤレヤレ、今日もまた予定外の行動になってしまったが、フライトには十分余裕があるので、結果オーライである。
(第三十三話完)

Vol.9-34

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十四話】(Day-13: Jul/30)  グルグラム 晴 32℃

デリー空港にはほぼ定刻通りに着いて、いつもの定宿からのピックアップを受けた。ここもチェンナイ同様にムッとした暑さだが、真夏はとうに越えているので、むしろ日本のうだるような暑さよりはカラッとしている。
チェックインを済ませて、直ぐにレストランに降りた。ここでは本格的な和食がふんだんにあるので助かる。過去13日間毎日3食インド飯漬けであったので、流石にもう結構となっていたから、ほうれん草のお浸し、オクラとオニオンの和え物、キムチチヂミ、そして親子丼を全てハーフサイズで注文した。ここはそういう頼み方ができる所が有り難い。ほうれん草のお浸しだけでも癒されるが、親子丼となると感激であるある。美味しく戴けたのだが、少しだけ出汁と塩と砂糖の塩梅が気になったので、ここの日本人責任者に「ひょっとしてシェフが代わったのでは?」と聞いてみたら、やはり5月に代わっていたそうだ。自分の味覚も捨てたものでは無いことに安堵した。料理ごとに自分なりのフィードバックを伝えておいた。このホテルのインド人オーナーを昔から知っていて、数年前から定宿として利用しているので、料理に限らず、気が付いたことはフィードバックするようにしている。日本人客だけを迎えているホテルなので、そうすることでサービス向上に僅かでも貢献できれば嬉しく思う。
いよいよ明日は最終日である。
(第三十四話完)

Vol.9-35

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十五話】(Day-134 Jul/31  グルグラム) 晴 34℃

当地は首都ニューデリーに隣接する、インドを代表する新興商業都市の一つだが、ハリヤナ州に属する。2016年に地名がグルガオンからグルグラムに変更されたが、まだ多くの人がグルガオンと呼んでいる。自分がニューデリーに駐在していた2011年〜2012年は今ほどの賑やかさと華やかさは無かったので、その後にできたメトロの新線やショッピングモール、高層ビル群を観て驚くばかりだ。当地は日本人が最も多く住む地域でもあり、和食のレストランも迷うほど多くある。日本食料品の店も増えたようだ。今日買い物に行ったモールには、4軒ものその種のお店が同じフロアにあるという具合だ。外国で暮らす日本人にとって、日本食料品の入手が容易であることは非常に重要なポイントだからである。
今朝の朝食バイキングも冷奴、納豆、卵焼きなどの副菜にご飯と味噌汁を有り難く頂戴した。
忘れてならないのは、ハイデラバードやチェンナイではこのような贅沢はできないという事である。
(第三十五話完)

Vol.9-36

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十六話】(Day-14 Jul/31)  グルグラム 晴 34℃

今朝は当地に来るたびにいつも通っている私立一貫教育校を訪問した。インド全土で知名度が高く、各地の著名な教育機関とも繋がりの多い教育者で、Muni International SchoolのAshok Thakur校長に会うためである。同校長とはある日印間の教育プロジェクトで知り合い、初対面で意気投合したのだが、何回目に会った時のことか忘れてしまったが、年齢の差はあれ(自分の方が歳上)、お互いの誕生日が同じ3月20日である事を知って、益々互いに出会ったことの運命に感じ入ったのであった。だから、今回も出張の予定を知らせてから、お互いに再会を予知していた。前回会ったのは今年の3月初旬であったから、それ以来半年も経過していない。今回はお互いの近況報告と、今後の協力について話をした。数多いインドの友人の中でも、彼とは全く裏表のない本音で語れると感じられることが、お互いに心地良い関係となっているのである。
この学校に向かってホテルからタクシーで移動中、ドライバーが分岐点を越えて直ぐに停車したことに気付いた直後、何と今通って来た一方通行路を逆走して分岐点まで戻り、Uターンして正しい進路に入ったのだ。(あるある)
それと、同学校のある通りは狭いのだが、タクシーを降り、歩いて学校の入り口に向かっていると、ある労働者が三輪車で太くて長いパイプを運んでいて、危うく当てられそうになった。直ぐ後ろを走っていたバイクの若者が足で蹴っているところを撮った。
同校長は今日の午前中に教育者の集まりがあったらしいが、自分との再会を優先してくれたようだ。その集まりに遅れて参加するという彼の車に同乗して、彼が先に会場で車を降り、午後3時頃までこの車を自由に使ってくれと言ってくれた。これは有り難い!この後は日本インド商工会訪問と、北東ナガランド州料理店でのランチ、友人が経営する日本食レストラン訪問、モールでのショッピングなどの予定をしていたので、足を貸してもらえるのは大助かりである。こんな所もインド人とのお付き合いの有難みである。
(第三十六話完)

Vol.9-37

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十七話】(Day-14 Jul/31)  グルグラム 晴 34℃

友人の校長先生からドライバーをお借りしたので、移動が楽になり非常に助かった。ランチには以前にも何度か利用した、北東ナガランド州他の料理が専門のレストランで、北東インド特有のチベット風ラーメン(Thukpaトゥクパ)を注文して、久し振りの味を愉しんだ。
定宿のレストランでウエイトレス兼雑用係として働いている若い女性達は皆この北東インドからの出稼ぎである。マニプール州やナガランド州から来ているのだ。ここのナガランド州料理を彼女達に差し入れしてあげようと思い付いた。定番のノンベジ料理とタケノコ料理を持ち帰ってプレゼントしたら大層喜んでくれたようだ。わざわざ礼を言いに寄ってきてくれた娘もいた。
さて、今日の夕方にどこかで会うことを予定していた知人との交信で、どうやら家庭の事情で叶わないと言ってきた。(あるある) 仕方無いので、当地で日本食レストランを長年経営されている日本人オーナーのお店に飛び込んでみると、いつもはそこに居られるオーナーが今日は外出中とのことで、携帯で繋がり、しばらく近況を聞くことができた。
今夜デリー空港から深夜発の夜行便で香港に向かうことになる。ホテルに戻って休憩し、パッキングを済ませた。本来なら正午までにチェックアウトすべきところ、特別に延長してもらっていた。午後8時にチェックアウトして、ホテルの送迎車で空港に向かう途中、ショッピングモールに寄ってもらうことにした。インド服の買い物をしてからモールの中のスーパーにも寄ってみた。スーパーの入り口では、ハンドバッグや買い物袋はしっかりバンドで閉じられるのだ。これは万引き予防の為であるが、日本ではこんな事はあり得ないが、インドでは当たり前の事であるある。貧富の差の大きい途上国等ではむしろ当然の予防策だろう。会計を済ませた後の出口でも、警備員がレシートを確認して、手荷物のバンドを切ってくれるのである。無事に予定していた買い物を終えていよいよ空港に向かった。
(第三十七話完)

Vol.9-38

「インドあるある話シリーズ(Vol.9)2026年7月編 第三十八話(最終話)】(Day-14 Jul/31)  グルグラム 晴 34℃

これで今回の2週間6都市のインドの旅のエピローグを迎えた。今回も多くのハプニングに遭遇したが、幸いにも事故や体調不良等の不具合も無く、多くの友人と知人に大変お世話になった事に感謝したい。
最終日にドライバーを貸してくれた友人も有難かったが、宿泊した定宿の経営者である友人は、いつも宿泊費は受け取ってくれないのだ。それでは申し訳ないので、二回目から飲食代は払うようにしていたが、今回は食事代(酒類除く)までも面倒を見てくれた。
実のところインド人は、日本人とは真逆とも見える行動原理を持っているので、一見付き合い難いのだが、意気投合して信頼に裏打ちされた友情が確立されると、これ以上に頼れる人はいない、というのが自分が15年以上インド人とお付き合いしてきた結論であり、持論でもある。
これを読んで下さっている皆様には、インドの旅のけたたましくスリリングでワクワク・ドキドキ・ハラハラする、リアルな実体験を少しでも共感して頂けたら嬉しい。皆様にも是非実地に体験して頂きたいと思う。実際に「磯貝さん、インドに連れて行って!」という声も有るので、そのような機会を独自に企画してみようかと思う。それによって少しでも多くの日本人が、インドの生体験を通して、自分の持論である「日本の将来はインドしかない!」ことを理解してもらえたら何よりである。
インドに行く度に、「今度はいつ来る?」とか「次回はこっちにも来て!」と声がかかる。次回は9月後半を予定している。乞うご期待!
(第三十八話完 このVol.9完結)

追伸)8月1日午前9時28分に香港に到着した。ちょうど日本への帰路の半分の位置である。乗り継ぎ便はまたも深夜発の夜行便で関空に向かう。安いチケットを求めるとこうなるのだが、今回は待ち時間が長いので、マカオ観光に初挑戦してみようかとも画策している。旅はまだ終わってはいない。(完)

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